DV息子を殺す親を責める資格は誰にあるか

息子の暴力が手に負えなくなり、近隣の小学校を標的にしかねないと思った親が思い余って手を掛ける事件が起きた。そこまで追い詰められた加害者に同情する声と、何も殺さなくてもよかったと加害者を非難する声を目にした。

 

わたしは中学生のころ父親の暴力がゆるせず、殺すしかないだろうかと真剣に考えたことがあった。素手では難しいので、やはり刃物を、包丁を使うことを考えた。リビングから続く台所で母を怒鳴りつけ、手を上げる父の背後に迫って包丁を振り下ろすところを細部までありありと想像してみた。そして「無理だ」と思った。自分には父を殺すことができない。

 

腕力の問題ではない。父は毎週のように酔って前後不覚になっていたから、タクシーから降りたままの姿で玄関先に酔いつぶれているところをそっと縛り上げて襲えば、ひとりでも息の根を止めることはできたと思う。殺ったあと隠すことは考えていなかった。とにかく死ねば、これ以上母に暴力をふるうことはなくなる。それで少年院に入るとしても暴力がやむならやるだけの意味はある。でもできなかった。自分には人を殺せないと思った。考えるだけで手が震えた。いまも思い出すと手がしびれてくる。殺せない自分を軟弱で情けないやつだと激しく憎んだ。おまえが弱っちいからあいつは好き放題女房を殴りまくっているんだよ。母が殴られることは自分が殴られるより辛かった。

 

「親に殺された息子」という言葉には強者に殺された弱者という響きがある。けれども70代の老夫婦が自宅に居座る中年男性から大金をせびられ、日常的に暴力をふるわれ、それも単なる動物的な衝動ではなく土下座を強要し、隣近所に響き渡る音量で昼間からAVを流すなど故意に恥辱を与えるような精神的な暴力を振るわれ続けるとはどれほどの苦しみだっただろう。

 

事件は一人暮らしをしていた息子が実家に戻って一週間で起きた。「たった一週間」と書いていた人がいたが、このような暴力を十代からふるい続けてきた男が帰ってきてからの一週間だ。*1手を掛けた父は大変な恐怖を感じたと供述している。

 

わたしの父がもっとも暴力的だったのはまさに三十代から四十代にかけてのことだった。この年代の男性と一日中閉ざされたドアの奥に閉じ込めら、七十歳を過ぎて暴力をふるわれ続けることの恐ろしさはどれほどだっただろう。こうした状況にいた人に、親だというだけで、身内だというだけで、何の訓練も受けずこれほど苛烈な暴力を受けた老人に、肉体的、精神的に追い込まれてきた老夫婦に、理性的で合理的な判断を期待するのはいったいどういうわけだろう。

 

わたしの父の暴力癖は二度の離婚と三度の結婚、そして加齢と病によって徐々に勢いをなくしていった。一方わたしはもう父に依存しなければ生きていけない子供ではない。けれどもこれが兄や弟による暴力だったら、そしてわたしが兄や弟を扶養する義務を負っていたら、その地獄はいつまで続いたかわからない。

 

親に暴力をふるう兄弟に姉妹が手を掛けた場合、世間の目は親が子供に手を掛けるより同情的になるのではなかろうか。姉妹に兄弟を躾ける義務があると思っている人はいない。しかしひとたび関係が親になったとたんなぜここまで暴力にさらされ続けた老夫婦を糾弾する人がこれほどいるのだろう。「子供は親が家庭で躾けるもの」をどこまで拡大解釈するのだろう。まるで血縁以外の人間が抱える問題に社会はなんの責任もないかのようだ。

 

こうした物の見方は親に適切な責任感をもたせるどころか困窮している人を見捨てる口実にしかならない。また圧力を受けた側は我が子として生まれた人間が起こす問題や功績を自分と切り離すことができず、無限のプレッシャーを受ける。実際「親はどんなことをしてでも子供のすることに責任をとらなければならない」の延長にあの事件はあるのではないか。

 

逆らえない相手からふるわれる暴力の辛さは筆舌に尽くしがたい。相手がクラスメイトでも、会社の人間でも、上官でも、親でも、伴侶でも。小さな手足をばたつかせていた頃からみてきた息子や娘にふるわれる暴力であってもその辛さは変わらない。また自分にふるわれる暴力を耐えることはできても、守るべき相手にふるわれる暴力をただ見ているしかないという無力感と自責の念、自己嫌悪は計り知れない。

 

殺された息子に姉が重なったと書いた人がいて、その人に「逃げてほしい」と書いた人がいた。病人として収容された手に負えない人たちを相手にする仕事をしている人だった。「見捨てなさいというけれど、自分が暴力をふるう側だったらどうかと考えることはないの」と書いた人がいた。

 

殺人は暴力の最たるものだ。息子に手を掛けるとは正気ではない。のんびり明るく余生を過ごしている老夫婦は息子を殺さない。殺すしかないと思い詰めるほど追い込まれた老夫婦を対岸から追い詰める声で、いま息を殺して暴力に耐えているたくさんの家族をこれ以上追い詰めても何もいいことはない。

 

父を殺さなければと思っていたあの頃、何をしてほしかったかな。暴れる父に声をかけてほしかったな。わたしや母がすっかり殴られ終えてから「何かあったらいってください」「お父さん自身も苦しんでいるんだよ」じゃなくて。「逃げなさい」でもなくて。人目があるぞと父に気づかせてほしかった。たくさんの人目があれば違ったと思う。

 

「引っ込んでろ」といわれて母が殴られているあいだ周りで指をくわえてみていた従業員の人たちや、わたしが殴られている間中隣の部屋でテレビをみて笑っていた父の愛人は、わたしが父を殺してもどうこう言う資格はなかったと思うよ。あんたたち、なにかしてくれたの?って思ったと思うよ。

*1:犯行の動機は返り討ちではなく、このままでは息子が近隣の小学校を襲いかねないと考えたからだった。このことがなければDVは野放しのまま事件は起きなかったかもしれない。