グレタ・トゥーンベリを叩く野口健をみて思うこと

「環境少女」と川原由美子の漫画みたいな呼ばれ方をしているグレタ・トゥーンベリさんに全世界のおっさん、ならびにおばはんが自制心を忘れ、とうとうそれらに対応するコールセンターができるというネタが少し前に注目を集めていた。

 

これ、有料にしたらかなり儲かるんじゃなかろうか。お金払ってでもあの娘っ子に一言(6000文字くらい)言ってやりたいという人はたくさんいそう。生身の人間が相手をするとストレスが割に合わないのでスマートルピーカーにやらせるといいと思う。「すみません、よくわかりません」

 

今日は自称山屋*1アルピニスト野口健が鉄道で移動するトゥーンベリさんの食事風景をスクショして鬼の首を取ったように騒いでいた。

 彼がネトウヨであることは少し前から薄々気づいていた。しかし登山家として、諸外国の自然環境をしる人として、また富士清掃の音頭取りを継続している人としてそれなりの敬意を抱いていた。だが彼もまた皮一枚剥げば「モノ言う女子供に敵意を隠せないよくいるおっさん」であった。とても残念だ。

 

野口健のような「グレタは〇〇を利用してるから偽善者だ」という手法で彼女を論破した気になっている人は多い。上記の食事風景をスクショして決定的な証拠をみつけたかのようにはしゃいでいる人は狭い観測範囲でもかなりおり、何万回もリツイートされていた。

 

野口健はCOSMO石油から仕事をもらっており、現在は新車試乗tweetをトップに固定している。世界を股にかけているのだから当然飛行機の利用も多い。登山に欠かせない酸素ボンベをはじめエベレストにある数えきれないゴミの大半は登山者のものであり、彼が捨てていったものも少なからずあるだろう。彼のような登山者が今後も山を訪れるかぎりエベレストの汚染はすすむ。いくら富士山を清掃し、環境学校を主催したところで根本的な解決にはならない。そもそも化石燃料小売り店でもあるコスモ石油にスポンサーになってもらうというスタイルが「それってどうなの?」という気がする。

 

これは、やましかろう。

 

この先各所で「飛行機についてどう思われますか」と聞かれるだろうし、コスモ石油との付き合いと環境負荷についても質問される機会があるかもしれない。厄介なことになった。「よくもそんな(よけいなことを)言ったわね!」と言いたくもなる。

 

彼が実際トゥーンベリさんの何にそこまで腹を立てているかはわからないが、わたしは個人的に彼女が注目を集めるようになってから生活がつらくなったことを認めざるをえない。環境負荷についてどれだけ個人的な犠牲を払う覚悟があるのか、日々真剣に考えざるをえなくなったからだ。

 

母が環境問題に深い関心を寄せていた影響で、わたしは比較的早い時期からプラスチックレジ袋や食品添加物化石燃料の節約などについて意識して育った。夏場にエアコンをつけなかったのはそのためだ。エアコンをつけようとすると小さな流氷の上で痩せ細るシロクマが目に浮かぶ。

 

マイクロプラスチックについて知ってから重宝していた「激落ちくん」の買い置きも処分した。「個人的に支持する経営者から買い物をすること、これが消費者にとってもっとも身近な政治運動です」という言葉を生活クラブの会報で読み、多少高くても経営方針に共感を覚える店から買い、納得いかない商品は不買した。

 

ところがわたしは自動車を所有している。それもステーションワゴンにひとりで乗っている。主な目的地はサウナである。環境負荷に目をつぶり、金にものを言わせて外食産業を利用してサウナに通っているあいだは快適だった。懐が寂しくなるのは自己責任で覚悟の上だ。とにかく元気になることが先、元気になったらまた働けばいい。いまは非常事態なんだから。

 

こうしてわたしは個人生活のために途上国の若者を海抜2メートルの地に追い込んでいる。いまや車に乗るたびポングラッツ人形のようなトゥーンベリさんの真顔が浮かぶ。自分が運転するときだけではない。「お取り寄せ」でネット通販を利用すれば、深夜の高速道路をひた走るトラック*2が浮かぶ。

 

もしもこれまで自転車と公共交通機関を利用する暮らしをしていたら、通販に頼らず地場産業を中心に暮らしていたら、車がいかに環境負荷の高い乗り物かを認めることになんの苦しさもなかっただろう。でももうわたしは知っている。車がいかに便利で、快適で、楽しいものかを。車が選択肢をどれほど広げてくれるかを。そして個人的な快楽をもたらすものを公共の精神から諦めることは本当に難しい。「大枚はたいてディーラー車検に出したのに」なんて思っちゃうのよね。

 

こうした事実を知らなかったわけではない。もちおが通院していた病院までは車で一時間の距離があり、通っていた温泉は都市高速を使って逆方向へ一時間のところにあった。運転しながら「わたしはたったひとりの家族の命のために環境負荷に目をつぶっている」とよく思った。個人的な利便性を優先して環境負荷から目を背ける人をどうこういえない。

 

それでも野口健のように「おまえが完璧な解を出すまでおまえのことは徹底的に叩く」という気にはなれない。彼らがわたしと同じようにいたたまれなさから逆上しているのかどうかわからないが、持続再生可能エネルギーを模索し、環境負荷を軽減しよう、科学者の声、途上国の若者の声に耳を傾けようと声を上げる彼女に難癖をつける正当で合理的な根拠がどこにあるのか。

 

彼女を黙らせたところでわたしたちが破壊した環境を次の世代によいものだと思い込ませることなんてできない。たった一艘しかない船の底を長年齧り続けてきた鼠たちが、「船底を齧るのはたくさんだ」と声を上げる子鼠を威嚇してどうしようというのか。まして模索する子鼠を嘲笑う理由がどこにあるのか。

 

だけど船底を剥がす権利を持つことがステイタスだった世界に生きてきた自分には、剥がせる板が目の前にあるときそれを齧らないでいることはすごく難しい。いまわたしは飛行機で海外旅行へいきたいのだ。それもただ気が塞いで仕方がないからという理由で。老後の資金を使い込み、船で世界一周がしたいのだ。そのお金があればセブ島の100人の裸足の子供たちに100年のあいだ毎年新品のサンダルをプレゼントできると知りながら。

 

大人になって生き方を買えるのは難しい。それでもなんとか個人的なレベルで持続再生可能エネルギーを模索していこうと思う。あきらめたらそこで終わりだからな。

 

*1:めんたいじゃないやつ

*2:ブコメにダンプ警察が来て訂正。