「蔑み」から「理解」に着替えた体のいい差別

在庫一掃。

ゲイに告白された上に口止めされて、書くのもはばかられるようなセクハラを受けながら誰にも言えなかったというブログを読んだ。

highsoneet.hatenablog.com

「その気のない相手から性的に求められることは恐怖だ。口止めをされ、周囲の理解もえられず本当につらかった。一時期は電車に乗っている同性を見るのも受け付けないほど辛かった」同情する。「だからゲイは異性愛者に告白すべきではない」え、ちょっと待って。

 

ブクマは批判多め。ブコメにもあったけれど、女性はその気のない男性から性的アイコンに迫られることが非常に多い。しかし全員が男性嫌悪になるわけではないし、世の男性すべてが自分を尊重しないわけではないことがわかっているからだ。

 

「男は、女は」と主語を大きくしたエントリーはだいたいこういう突っ込みを受ける。しかし不愉快な旧友の蛮行とうだつの上がらない成人後の暮らしを「底辺」でくくったエントリーを主語警察のみなさんがスルーしたのはなぜなの。

 

社会の底辺というレッテルの万能性

「元エントリーのリンクを」という意見があったので、今回はリンクして書きます。

toianna.hatenablog.com

底辺社会で苦しんだトイアンナさんは私立中学に入って底辺を抜け出す。*1一時期は努力せず底辺にとどまり続けるかつての旧友を蔑みの目で見ていたが、人生に行き詰ったとき底辺の不遇ぶりに思いをはせ、改心するにいたったという話。

 

さらっと書くとなるほど思うけれど、このエントリーは小市民の、今回の件ではあちらでいわれるところの底辺を生きてきたわたしから見ると、「日本人の女だからあなた芸者でしょ」くらいの極端なレッテル貼りに満ちている。

 

彼らがいじめに励むのは底辺だから。先生がいじめっ子をかばうのはいじめっ子が底辺だから。自分の触ったものを食べようとしないのは底辺だから。成人式に出た全員が無職で労働意欲がないのも底辺だからだし、警察沙汰を起こすのも底辺だから。はたしてそうだろうか。「あいつらがああなのはどこそこ出身だからだ」といった話には眉に唾を付けて聞いた方がいい。*2

 

いじめに励むやつは根っから嗜虐心が強いのもいれば、しかるべき注意を向けてもらえば改心する子もいるだろうし、訳アリないじめっ子が教師にかばわれるのは底辺小学校特有の傾向ではなく、教師の資質だと思う。*3成人式で再開した旧友が触ったものを食べない? これはそもそもどういう状況? *4シンナー吸って歯が欠けてるやつが多いとかなら底辺にあって良家の子女にないことだと思うけど、地方の就職率は全国的な問題であり、同時に原因も個々さまざまだ。警察沙汰については問題こそ違えど知名度の高い大学にいたらありえないというものでない。

 

これらをひっくるめて「底辺だから」とはあきらかな思考停止で、もはや気に入らないものにレッテルを貼っているようにしか見えない。底辺レッテル万能すぎる。これに違和感を感じることなく「そうか、底辺だもんな」と思う人らが大勢いたけれど、はてなの多数派にとって、公立校とか地方社会って南アフリカ以上に非現実的で遠いものなの?

 

たった一人の同性に告白されたことで「ゲイは」とひとくくりに語る人には違和感をえるのに、母校での苦々しい思い出を「底辺は」とくくる話には共感する。これを見て大勢の人が心の中に「底辺」でくくっている世界を持っていることがわかって、怖かった。*5だって何かあったとき「底辺だったから」で納得しちゃうのって「オタクだったから」で犯罪を理解した気になるのと同じじゃない。なんなの、底辺て。

 

落伍者バイアス

就職後のある時期、トイアンナさんはその後仕事や恋愛で体を壊し、精神的に参ってしまう。そして今度はまともにものを考えられなくなった自分を底辺に重ねる。ああ、底辺はきっとこんな風に何か辛い状況でまいってしまって、あんなことやこんなことをしていたんだ。自分はそれを理解していなかった。蛇蝎のごとく憎んでいた底辺と自分を重ねるとは、もう本当に相当凹んでいたのだと思う。

 

まいっていたときトイアンナさんが何をしたのかは書かれていない。まさか同僚の背中を的にコンパスを投げたり、えんがちょえんがちょ騒いだりしたわけではないと思うので、そのときの自分のどの辺が底辺と同じだと思ったのかわからないが、知的判断力、あるいは苛立ちを抑えきれない気持ちが凶悪なクラスメイトに重なって見えたのかもしれない。

 

しかし判断力、自制心、想像力の欠如、そしてメンタルヘルスをやられることも、やはり底辺特有の問題ではない。高学歴の子弟にも自制心のないぼんくらはいるし、底辺社会にも温和な子、自頭がいいものは少なくない。富裕層にも精神疾患を持つ人はいる。*6

 

蔑みから同情への転身はわが身をつねって人の痛さを知ったかのような話に見える。もちろん悪気はないのだと思う。けれども不愉快だったあれこれに貼った底辺というレッテルをカテゴリーごと一部表現を書き換えて理解したと思うのは思考停止であり、偏見の固定化だ。この種の差別はあらゆるところで見られる。「おまえはゲイだけど、底辺だけど、そうなってしまったのはおまえのせいじゃないよ」。*7そこには相変わらず「自分が認める対等な人間」の枠から脱落した、忌避する対象として人を偏り見る目がある。

 

私立校、一流企業幻想

公立校出身、底辺育ちとして思うのは、底辺社会にいる子供らの大半は不幸な生い立ちを背負った病んだ子供ではなく、平凡な親に育てられた人間だということだ。いい子もいれば悪い子もいる。いじめもあれば楽しいこともある。「クラスメイトが最高だ」と思う子もいるし、「クラスメイトが最悪だ」と思う子供もいる。しかし「あいつらは底辺だ、底辺だからダメなのだ。私立中学は底辺じゃない」という選民意識的な発想は、いったいいつからどんな風に宿ったのか。

 

友人に私立小学校を中退させられた人がいる。自分からことさら話題にはしないけれど、彼女は正真正銘のいいところのお嬢さんで、いまは立派なお仕事に就いている。しかし彼女の小学校時代の思い出は教師ぐるみの嫌がらせによって苦渋に満ちている。退学させられたいきさつもあんまりな話だった。トイアンナさんの地獄は進学率の低い公立小学校にあったのかもしれない。しかしわたしの友人の地獄は両家の子女を選別して入れる私立小学校にあった。

 

トイアンナさんの中学、高校時代がすばらしいものだったのなら幸せなことだ。留学先の友人たち、同僚たちと話が合うなら恵まれたことだ。でも高名な学校にも名のある企業にも陰惨ないじめはあり、苦しむ人はいる。事実トイアンナさん自身がかつて働いておられた広告業界モラハラパワハラ、セクハラについて再三書いておられたと思う。トイアンナさんが進学率の低い公立小学校出が育つ地域以外で地獄を見なかったとしたら、その後の人生にその種の苦労がなかったのはそれこそ運だ。

 

例外として現実を除外すること

「確かに階級が上の世界にもいじめはある。馬鹿もいる。でもそれは例外」と階級地獄にいる人はいう。そして底辺の定義に当てはまっても好ましい特質がある場合は、定義そのものを考え直すのではなく「あなたは底辺の人じゃないよ」と名誉市民に加える。これが選民意識でなくてなんだろう。

 

教育の不足から低賃金で働く貧困層がいること、しばしばそこが犯罪の温床になっていることは現実で、正されるべきだと思う。しかし同時に善意からであっても反社会的行為や倫理的問題を特定のグループや階層と紐づけることには慎重であるべきだ。黒人の社会的立場が低い国でどれだけの黒人が撃ち殺されているか、それが現実的に必要な対策だったと主張する白人がどれほどいるか、真剣に考えてみる必要がある。

 

理解とは黒人を白人化することではないし、富裕層の文化をすべての人が共有するべきということでもない。平等に機会があり、人としての権利が認められるということだ。平等とは「階層を上がる」ことではなく、どこに属していても身の安全と尊厳が尊重されるということだ。

 

以前トイアンナさんはヤリチンの家には村上春樹があると嘲笑気味に書いていたが、村上春樹の本は非モテの家にもある。ようするにそのカテゴリーわけはおかしい。今回はいじめと就職難、そして差別心むき出しの感情的なエントリーを底辺社会に結び付けているわけだけれど、これも村上春樹を読むヤリチンと負けず劣らずの認識だとわたしは思う。

 

アメブロの書き手は元キラキラ女子ということだったけれど、ライフスタイルや恋愛といったごく私的なことにすら階層やカーストを持ち込みたがる人からこの種の問題が発信されたのは、偶然じゃないと思うな。

 

 

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:その後留学し、帰国後名のある大学に入って外資系企業OLになったのちフリーライターとして独立しているというところまで考えるとさらにサクセス感がある。

*2:「彼らが底辺だからこういった問題を起こすではなく、こういった問題を起こすのが底辺なのだ」ということだとすれば、いわゆる上流階級でのいじめや有名大学の犯罪が底辺扱いされないのはなぜなのか。

*3:事なかれ主義は私立でもあるんじゃないの。

*4:中学から私立にいった、仲が良かったわけでもない子に大勢でくっついてまわったってこと?それは底辺社会のありふれた光景とはいいがたい。むしろ地元の仲間とつるむのが楽しくて仕方がない子のが多い。

*5:似たような例で「地方」と出ただけでわかった気になり、東京以外をひっくるめて語るというのがある。

*6:底辺に不足しているのは富裕層の文化とコネクションであって、知性ではない。馬鹿は底辺の特権ではないのだ。

*7:「あの人は話が通じないからアスペ」から「アスペに生まれたのはあの人の責任じゃない」を理解だと思う人は、アスペルガー症候群とは何か、目の前の人の反応はそれによるものなのか考えることをやめてしまう。