瓢箪から美尻

亡き夫を偲んで泣いてばかりいるようなブログを書いているけれど、日頃わたしはそこそこ元気にやっている。

 

年明けから酷い咳の発作が出るようになったのだけれど、何度調べても何でもないという話なので諦めて咳が出始めたら止まるまで咳き込み続けてやり過ごす。数分で済むこともあれば一時間以上かかることもある。でも、それだけ。それで寝込んだり、予定を諦めたりはしない。泣くこと、耐え難く苦しくなること、死にたくなることもこの咳みたいなもので、突然やってきてどうにも抑えることはできない。でもそのまま日常は続いていく。咳き込みながら洗濯物を干し、泣きながら歯を磨いている。

 

もちおとよくいった場所に行かなくなった。もちおとよく聞いた曲、とくに去年切羽詰まっていたときによく聞いた曲を聞かなくなった。意図的に避けていたわけではなかったのだけれど、実験の条件を一部変えると違いが際立つみたいに、思い出がある場所へいくとそこにもちおがいないことが強調されて怖い。

 

「もしかしてもう二度ともちおに会えないの?」と一日に何度も思う。答えを出さずに日常に戻る。日常には日常の悩みが山積みなので違う悩みで気を紛らわす。

 

悩みにも緊急だけど軽い悩みや重いけど甘い悩み、贅沢な悩みもあって、悩みながらも「生きている人間のことで悩むのは楽だよな」と思う。じゃあ去年、一昨年生きているもちおのことで悩んでいたのが楽だったかといえばぜんぜんそんなことはない。要するに生死に関わる悩みと比べたら楽だということだよね。

 

とはいえ上手くいかないことはいろいろある。このままいったらどうなるのかと思う。誰か助けてほしい、どこかに頼むと楽になるのかと毎日思う。軽い仕事のはずなのに。自分で出来るはずなのに。前はできてたのに。悩みながらも大抵のことは「旦那を亡くして一年も経ってないんだから仕方がない」と問題の解決を先送りにしている。でもよそさまがそれで納得してくれるとは限らない。そもそも夫の死について知っている人ばかりじゃないから、やっぱりヤバい。

 

それでもどんなに思い詰めてもできないときはできないので、そういうときはジムへいく。ジムから帰ってもできないことはできない。でもスマホをなで続けるよりはジムでむやみやたらに筋トレした方がいい。

 

三食ご飯が出るところへいきたくて留学したが、ジムは「外へ出る理由がいる、人のいるところへ行きたい、顔見知りがほしい」とはじめた。さらに「言葉を交わす相手がほしい」と頼んだパーソナルトレーニングだった。家の近所で24時間営業で好きな時に出入りできるならピアノ教室でも英語教室でもよかった。そもそもわたしは自他共に認める運動嫌いだったから、嫌なことは絶対にやりたくなかった。

 

ところがパーソナルトレーニングとジムが予想外にいい感じで、想定外に筋トレに目覚めた。顔見知りはできないし、周りは男性ばかりで輪に入れる様子もないけれど、できなかったことが少しずつできるようになるのは面白い。体重は増えないけれど「負荷が軽いと有酸素運動になって痩せてしまう」とトレーナーが毎回ハードルを上げるので負荷は増え続けている。いつのまにかバーベルを背負ってスクワットをするところまで来てしまった。

 

気が付けば「膝に座られると骨が刺さる」と幼い頃から母に不評だった臀部に人間らしい膨らみがつきつつある。意図せず四ヶ月かけて天然の肉座布団が育っていたのだ。このままいったら、もしかしたら、硬いところにジェルクッションなしで座れるようになるかもしれない。

 

徐々に興味がわいてきて、筋トレでハッシュタグを検索したり動画をみたりした。モデルやAV女優が美脚、美尻作りのために鍛えまくっている。TOEICスコアを上げるために留学する人がいて、身体が資本の業界人が身体に投資している。寡婦ライフをサバイブしようとはじめたことが知らない世界に通じていてびっくりする。

 

ジムにはもちおの思い出がない。パーソナルトレーナーはもちおを知らないし、いまのわたししか知らない。もちおがいなくなってから知り合った人が少しずつ増えていく。どうやって増やしたらいいのかわからないけど、増えていけばいいなと思うし、関係が深まればいいなと思う。

 

わたしは寂しいワンコなので、人に好かれたいと思う。これまでもちおに好かれていれば他の誰に好かれようが嫌われようが大きな問題ではなかったけど、いまはいまのわたしと出会う人たちに好かれたいと思う。好きな人がいる人生は前向きな悩みがある。次に会うとき何を着ようかとか、何を話そうかとか、どうしたらもっと仲良くなれるかとか、どうしたら楽しい、面白いといい気分になってくれるかと悩む。生きている人のことで悩むのは楽だ。どうにでもなるし、どうにもならなくても、死ぬことに比べたらたいしたことない。

 

働いて、ジムへいって、服を買って、化粧を研究して、まるで予定があるみたいに、明るい将来があるみたいに、生きている人の世界で暮らしている。将来がなくてもいい。暫定将来があることで今日生きている。涙と咳が続いても。