死と失恋と未来のない恋

エントリーの感想をもらって思ったこと。

 

事故で妻子を亡くした方が「子供はやがて大人になり、妻とは生涯ともに暮らすのだと当たり前に思っていた。その未来が一瞬で消えてしまい、受け止めきれない」というようなことをおっしゃっていた。

 

こういう感想って高齢者を亡くした時には出てこない。5年前、最愛の祖父を98歳で亡くしたときは本当に悲しかった。祖父にいつまでもいつまでも元気で生きていてほしいと思っていた。けれども、5年先、10年先に祖父と叶えたかった夢が祖父もろとも消えたということはなかった。祖父はすでにわたしが幼かったときから大人になるまでのドラマのハイライトシーンにそこそこ登場してくれたし、今後さらに歳を重ねてその年齢ならではの活躍をしてくれるとは期待していなかった。

 

もちおが息を引き取ったとき、もちおと一緒に日々を生き抜き、老後を迎え、二人で歳を重ねていく未来が消えた。二人でやりたいこと、行きたいところがたくさんあったし、あんなことがあった、こんなことがあったと思い出を語り合いたかった。

 

甥が今年成人した。いつか甥が大人になり、仕事に就き、家庭を持って、子供に恵まれるようなことがあったら、それを二人で見ることができたら、二人で手を取り合って喜びたかった。幼い甥の世話をした日々のことを何度でも語り合いたかった。

 

もちおはまだ四十代に入ったばかりだった。少なめに見積もっても二人で過ごす時間はまだ二十年以上あると思っていた。保険が満期になったら何に使うか二人で考えたかった。満期になるまでその話題で何度も盛り上がりたかった。

 

こういう悲しみを、わたしは最初の婚約者にふられたときに味わった。

 

彼とは出会ってすぐに結婚前提で交際をはじめて一年足らずで別れた。でも受けたダメージは甚大で、「いっそひとおもいに」と思いつめるくらいだった。*1立ち直るまでにかかった時間はつきあった時間の何倍にもなった。そんなにひどく損傷を受けたのは彼が素晴らしい人格を持つ人だったからでも、身を焼き尽くすほどの甘く激しい恋だったからでもない。わたしが自分の人生に彼との未来を思い描いてしまったからだ。

 

彼と出会ったときわたしは別件で大きな問題に巻き込まれていて、四面楚歌、孤立無援、天涯孤独という気分でいっぱいだった。そんなとき逃げ延びた先で出会った彼から結婚を視野にいれた真剣な交際を申し込まれた。若く世間知らずだった*2わたしは、彼の申し出をありふれた痴話話ではなく、まさに神の救いと受け止めた。

 

はじめて手を繋いだとき、頭の中に「傷ついた日々は彼に出会うための大切なレッスン」という歌*3が流れて泣いてしまった。やっと自分の家族が出来る。友人や家族に祝福されて新しい人生をはじめるときが来たのだと思った。がんばろう。これまでのことはきっとこのときのためのものだった。無駄じゃなかった。

 

そうして夢ではなく、現実の計画として目の前に広がっていた未来が、彼から別れを告げられたとき一瞬で消えた。わたしは宿した子供を生まれる前に亡くしたような気持ちで、「死んだ子の歳を数える」という諺を考えた人はすごいなと思いながら何年も過ごした。

 

長いつきあいでも、片思いでも、失恋には大なり小なりこういう痛みがある。若いときの恋はとくにその痛みが大きい。人生に結婚や子育てを期待しているあいだに巡り合う恋は、恋愛としての価値のほかに「これは人生を左右するパートナーとの出会いかもしれない」という価値がある。とくに若いときは恋の価値と、愛の価値と、人生すごろくの価値の区別がつきづらい。

 

恋はめくるめく陶酔と甘い痛みのある快感をくれる。愛は深いやすらぎと消えることのない穏やかな喜びをくれる。そして恋が愛になって二人が結ばれると、人生すごろくのイベント参加権が獲得できる。ようにみえる。でも恋や愛が芽生えた人と人生すごろくの里程標を共に通過できるかどうかはわからない。恋と愛は別物で、同時発生もするけど進化したり昇格したりはしない。恋や愛は人生すごろくイベント参加の絶対条件ではないので、恋や愛はイベント参加を保障しない。

 

人生すごろくの訴求効果は馬鹿に出来ない。どうしても上がりたい目があるとき、人は目の前のどうしようもなく強い恋心も、誰よりも深く愛する人も振り切って、イベント獲得チャンスにエントリーすることを優先することがある。つまり独身を保って(あるいは戻って)まだ見ぬイベント参加に有利な候補者を待つ。または恋も愛もわかない相手とイベント参加権獲得のためにチームを組む。

 

どこかの時点で「この人とは人生すごろくのイベントをクリアできない」と断念することで死ぬ恋と愛がある。その人とのいまを諦めるか、人生すごろく自体を諦めるか。「このままそばにいてもつきあえない」「このままつきあっても結婚できない」「このまま結婚していても子供が望めない」「このまま子育てしてもほしいイベントが発生しない」こうした思いが恋や愛に勝つと、人は目の前の人をどれほど好きでも相手から離れる決断をする。離れられた側には選択肢がないので、やはりその人と人生すごろくを上がるという可能性はそこで絶たれる。

 

人生すごろくと恋愛を同時進行でやるのは大変だ。何より人生すごろくは目に入ってみるまで一つ先の目に何があるかすらわからない。だからいつ誰と組んだら有利かなんて本当はわからない。わかるのはいまいるコマのことだけ。

 

恋と愛はいつもいまいるコマを薔薇色に変えてくれる。だけど「いま恋愛にはまったら次のコマで不利になるのでは?」と思うと、人は「冷静で客観的な視点から現実的な判断」を下そうとして目の前の恋や愛を心から締め出す。上手く締め出せないままドアに心を挟むととてもとても痛い思いをする。

 

愛する人をなくすのはつらい。その人と生きるはずだった未来が絶たれるのもつらい。愛する人の人生すごろくから絶たれるのもつらい。またどんな事情であれ、愛する人とその人を愛する気持ちを自ら絶って、見えない未来に向かうのもつらい。三者に共通しているのは愛する人と生きる可能性を失うのはつらいということだ。

 

ありふれた痴話話と家族を亡くすことを一緒にするなんてとんでもない話だと思う人もいるだろうけれど、いろいろなロストを経験してみて、これらがもたらす痛みがとてもよく似ているのはこういうわけだといまは思う。

 

あなたに幸あれと思っています。お互い、がんばろう。 

*1:思えばあの辺から痩せ始めた。

*2:そして定型発達者の思考パターンが読めなかった

*3:松任谷由実の「ダンデ・ライオン~遅咲きのタンポポ~」原田知世バージョン