「どういうつもりで誘ってくるのか」より大切なこと

定型発達のみなさんがどうやっているのかわかりませんが、わたしは気があるのかないのかわからない微妙な言動をとる相手には「この言葉は(誘いは)どういうつもりですか」と正面から聞いてきた。

 

そうすると大半はしどろもどろになりながらも(まれに憤慨する人もいた)友人として遊びたいと思っているだけだという趣旨のことをいってきたので、友人として遊んだ。逆にどういうつもりで応じたのかと聞く人はいなかったので、このやり方は一般的ではないのだと思う。男女であってもとくに前置きがなければ大前提としては友人として遊んでいるというのが公式見解なのだ。

  

中には聞けない相手もいた。聞きたいと思った時点で心底惚れ込んでしまって、答えを聞くのが怖かった人だ。そこまでいくとひとり相撲の沼におぼれて行くも戻るも身動きとれないようになり、相手が沼から引き揚げてくれないかぎりどうしようもないという状態になった。

 

ひとり相撲の沼にはまると相手と両想いになることよりも「こちらの片思いだったときに恥をかきたくない、相手にキモいと思われたくない」ということが至上命題になる。

 

だからことさら「これはあくまで友情です」というポーズをとってみたり、とってつけたようなリラックスしてます感や冷静さを演出してみたりと、相手に警戒されないように必死になる。要するに好意を隠す。

 

一方で隠しに隠した熱い好意をささやかな兆しから見抜いてほしい、気づいてほしい、そして気持ちに応えてほしいと無茶な期待もする。同時にどうせ自分なんかの好意はうれしくないだろうし、気持ちに応えてもらえるなんて奇跡は起きないのだと勝手に絶望する。

 

期待する自分と絶望する自分のはてしないひとり相撲、それが重度の片思いだ。

 

ここまで来ると相手が自分に好意があるかどうかより、期待する自分と絶望する自分のせめぎあいに決着をつけることに夢中になってしまうので、相手の行動をありのままにみることも、相手に気持ちを伝えることも、何より相手を喜ばせたい、楽しませたい、しあわせにしたいという思いを噛みしめたり実行したりする余裕がなくなる。

 

すぐそばにいる惚れた相手に手も足も出ない。ヤドカリか亀のように殻の中で悶々としながらひたすら奇跡が起きるのを待ち、表面的には平静を装うことに全力を尽くして疲れ果てる。これはアカン。

 

こういう幾多のひとり相撲本場所による数々の負傷を経て、わたしは土俵に上がる前に決着をつけることにした。つまり微妙な関係の相手にはさっさと気持ちを伝える、または相手の気持ちを聞くことにしたのだ。

 

しかし微妙な関係の相手に「どういうつもりで誘ってるの?」と真顔で正面から聞かれて、率直に答えられるのは待ってましたと口説く準備ができている人と、我々少数派である非定型発達者くらいだと思う。いや、非定型発達者だってひとり相撲の沼に深くはまっていたら素直な気持ちを話せるとは限らない。「友人として」と答えた人たちの言動をふりかえるに「あそこでフラグを折ったな」と思う例もある。

 

もちおは知り合った当初あからさまな好意を率直に示してきたけれど、はっきり交際を申し込んではいなかったので「つきあいたいの?」と聞いたら「つきあいたい!!」といってきたのでそこからどうするか話し合うことになった。

 

当時わたしはもちおに惚れ込んではいなかったので「フラれたらどうしよう、キモイといと思われたくない」とひとり相撲に引き込まれることもなかった。

 

で、いまになって思うことは、もちおはどうして沼にはまって亀と化さずに済んだのだろうということだ。なぜあの人はまっしぐらに、夢も仕事も故郷も後にして、迷わずやってこれたのだろう。わたしがいる人生を選ばない理由はいくらでも見つけられたのに。

 

もちおはフラれないこと、キモイと思われないことより、惚れた相手と関わる機会を棒に振ることの方が損失だと思っていた。自分かわいさでひとり相撲にはまってしまうわたしとそこが違った。「自分なんかが相手の人生に関わったら迷惑になるかも」なんて思わずに、どう関わったら相手の人生に貢献できるかを考えることに熱心だった。

 

そしてもちおがしてくれたことの中でわたしの人生に最も貢献したことは、わたしが応じようが応じまいが、出し惜しみせず、源泉かけ流しで好きすき大好き愛してるかわいいかわいいいつも一緒にいたい何でもしてあげたいそれができてしあわせだ!!と言葉と行いで伝え続けてくれたことだ。

 

これがわたしに伝播して、「何いってんの、どうかしてるよ、冷静になりなよ」といっていたわたしも徐々にもちお好きすき大好き愛してるかっこいい頭いい最高いつもいつも一緒にいたい(以下略)になり、歩くときは手をつなぎ、座れば肩に頬を寄せるという過去誰にもやらなかったことを臆面もなくやるようになった。

 

というわけで、微妙な相手に真意を尋ねるより大切なことは、まずこちらの好意隠さず伝えていくことだといまは思う。相手の気持ちを知ったところで関係が上手くいく保証はない。自分が相手とどんな関係を築きたいか、それをよくよく自分で自覚して、相手にとってそれがうれしく楽しく面白くしあわせなものであるように創意工夫をした方が、プレゼンはうまくいく。

 

もちろんうまくいかないこともある。でも、自分に対する相手の好意という日々変化するものを特定しようとするよりプレゼンの内容とプレゼンの方法の両方に力を入れることの方がずっといい。

 

どちらにしても命に限りがある以上、生身の身体で永遠に続く関係は持てない。思いが通じても人生のなかで惚れた相手と言葉をメールや電話で交わしたり、目を見て笑いあったり、横顔や後ろ姿を見つめたりできる時間はわずかしかない。

 

進展ねえ。進展もいいけど、そこに至るまでの道に咲いているお花もあら素敵ねと眺められるようになるといいのにね。そうして一緒に楽しめる相手とならもっと遠くまで歩いてみたくなるものでしょ。

 

以上本日のはてなの話題からでした。

https://anond.hatelabo.jp/20190423004817