彼氏活動

母とわたしのあいだには幼い頃からうっすらと、思春期以降は激しく、成人してからは執拗な毒親アダルトチルドレンの戦いがあった。恋人が出来るたびに何かと横やりを入れ、結婚してからは事あるごとに夫婦仲を邪魔してきた母。
そんな母と最近不思議な蜜月にいる。

 

母は食道楽が好きだがしまり屋で、特に年金暮らしになってからは贅沢なものを自腹で食べたがらない。そんな母に好物を食べさせるため店を予約し、車を出す。もちろん財布も出す。気に入ったものがあればお土産も買う。
ふぐのコース、蕎麦、天ぷら、寿司、馬刺しなど、ザ・ご馳走というものをときには高速飛ばして食べに行く。
母は返礼として娘を折に触れては家に招き、手料理をふるまってくれる。
そして本と映画と仕事の話、趣味の話、政治の話、家族の思い出話をする。

 

母からされたことを忘れたわけではない。
でも目の前にいる白髪の小さな女性にはもうそれほどわたしを傷つける力があるようには思えない。

 

夫と別れて一人暮らしを続けている母にとって、わたしが一人に戻ったことは何か緊張を緩和する効果があったようだ。

夫に養われていたときは、わたしの稼ぎで母に何を送っても母はわたしではなく夫に礼をいった。だから母に贈り物をするのは母に自分を平手打ちをさせる機会を与えるようなものだった。

それに当時はわたしも手元にいくらあるかに関係なく、まずは自分たち夫婦の家計を第一に収支をやり繰りしなければと思っていた。余分があればやがて訪れる自分たち家族の老後に備えなければと思った。母の預貯金がわたしたち夫婦のそれとは比べ物にならないほど多いことも知っていたからなおさらだ。

 

夫を失うと同時に、訪れるはずだった老夫婦としての未来を失い、代わりにわたし名義の口座に少しまとまった額のお金が振り込まれた。母にはひとりに戻った娘の様子を見に行く口実が出来たし、わたしには誰に気兼ねすることなく財布の紐をゆるめる自由ができた。

 

近況報告なのか、遠まわしの催促なのか、いきたい店、食べたいものを語る母はかわいい。店の予約に浮かれたスタンプを返してくる母。店のしつらいに興味津々で、料理が美味ければ目を輝かせてレシピを想像し、不味ければ礼も忘れて料理のまずさをあげつらう母。


ガソリン代、高速代、飲食代、お土産代など二人でちょっとした額になるけど、喜んでいるからまあいいやと思う。人間いつ死んでしまうかわからないし、いつまで美味しいと思いながら食事ができるのかもわからないのだ。

 

「もしかして、これはデートなのでは」とふと思う。
わたしは母の彼氏になっているんじゃなかろうか。


わたしの接し方はいわゆる中年期の理想の息子ってやつなんじゃないか。もしかしたら母がわたしの結婚に抱いていた苦々しい思いは息子をとられた母親のそれに似たものがあったのではないか。だとしたら、一度結婚してから再婚の見込みが薄い状態で一人に戻ったいまのわたしは母にとって理想的なのかもしれない。

 

独身のときに将来を潰されるのはたまらないけれど、いちどは家庭を持ったし、仕事もまずまず安定してるし、もう生き急ぐ理由もない。
要するにお付き合いに差し障りがない。
たまに生活ぶりについて小言を言われることもあるけど、母もこの年齢の子には親としての権威を笠に着るジャンルも少ない。

 

子供の頃、いつか母にしてやりたいと思ったことがたくさんあった。お互いこれといった持病もなく、足腰も目も耳もしゃんとしているいまならそれを実現できる。母もひとりになったわたしになら気兼ねせずしてほしいことをねだることができる。


ぽっかり空いた人生の空白期間に訪れた短い行楽日和を大事にしようと思う。
人をだいじにする方法は、もちおをはじめ、いろんな人が身をもって教えてくれたからね。