自撮りとジムでピッと凛々しく

寡婦の不幸顔を払拭しようと先日買ったスマホには、自撮り用の優秀な補正フィルターがついている。

 

自撮りフィルターをかけると魔法のようにシミもシワもムラもくすみも飛ぶ。陶器のような美しい肌に唇と頬が薄っすら赤みがかって見える。同時に眉とまつ毛は薄れ、目鼻はかすむ。

 

わたしはこのフィルターによって化粧をするたびに悩み続けた長年の疑問、目指すべきゴールが見えた。

 

これは下書き、お手本、テンプレートだ。

 

これをベースにフィルターをかけても消えない程度に眉とまつ毛を書き込み、目鼻に陰影をつけ、フィルターが頬と唇だと認識した位置に赤みを加えればいいのだ。

 

化粧を終えたらインカメラでフィルターあり、なしを切り替えて顔を確認する。

 

シミしわくすみムラを消すことを目的に化粧をしてはいけない。フィルターをかけて美しく、なしでも不自然でないことを目標にする。

 

このメイク方法は想像以上に効果があった。わたしはこれまで化粧をして「きれいになった!」と思えたことがほとんどなかった。肌に色をのせて顔の印象がよくなるということをどうしても信じられず、上手くいったときと悲惨だったときのプロセスがどう違うのか理解できなかった。何度かプロの手を借りてみたが、「これはひどい」という結果になることは珍しくなかった。

 

効果が感じられないものにお金と時間を掛ける気にはなれない。社会的に求められる場では毎回手探りで一通りの化粧をしたが、やっと塗り上げた顔を夜にぜんぶ落とさないと眠ってはいけないというのが化粧すること以上に億劫だった。

 

もちおは化粧が上手くいけばそれなりに褒めてくれたけれど、化粧をしなくても四六時中愛しい妻を褒めそやしていたし、化粧に失敗すれば誰よりも痛烈な言葉でありのままの感想を述べた。

 

なのでこれまでわたしにとって化粧とは成功してえられる報酬が低いくせに当たる確率も低い高価なクジのようなものだった。しない方がマシだ。

 

しかし自撮り用フィルターによって報酬は飛躍的に上がり、外れる確率が一気に下がった。

 

肌だけではない。フィルタープロデュース画像では白髪が不自然に目立つこともわかった。ということで髪と環境と懐が傷まない線としてヘナ染めをはじめた。正直「これで染まってんの?」と首を傾げる程度の仕上がりだけれど、フィルター越しに見るとそのままのときよりきれいに見えるのでよしとする。

 

 

これらに加えて髪型を変えた。

 

もちおはなぜか髪型にはもの凄くうるさく、妻が気に入らない髪型にしてくるとその場で文句を言い始め、切り直すまで抗議を止めなかった。美容師には都度もちおの反応をフィードバックしていつも最大限もちおの好みを反映する髪型にしてきた。そうすることが楽しかったし、喜ぶもちおをみるのは至福のひとときだった。

 

しかし残念ながらもちお好みの髪型はもちおの愛とともに完成するスタイルで、わたしの悲劇的な寡婦ライフにはよるべのない哀れさを添えるばかりだった。

 

そこで「夫ウケを考えない髪型にしてみたい」と美容師に相談した。「男ウケを狙う方向で」とまでいった。外見だけでも華を盛って幸を偽装していく所存である。

 

さて、美容師という職業の人々、とくに女性の美容師は、油断するとなぜかわたしの頭を美少年風に刈りたがる。なぜだ。こっちは別にハンサムとか、マニッシュとか、そういうの求めてないんですよ。夫もそういうのは嫌がった。懇意にしている男性美容師もそういう髪型は避けてきてくれていた。しかしこの美容師は夫の庇護を離れたいまなら美容師の好きなアレでやっちゃっていいだろうと思ったようだった。

 

「女性らしい丸みのあるシルエットです」と渡された鏡の中にはいかにも美容師が好きそうな、後ろ姿だと性別がわからなくなるフォルムがあった。何もこんなに切らんでも。


しかしこの髪型は女子ウケがめちゃめちゃいい。切った瞬間から熱烈な反響があった。とくに年下の女子らがちやほやしてくれるので、とても気分がいい。

 

こんなに女子にキャーキャーいわれたのは生まれて初めてだ。うれしい。もちおに毎日褒められる日々が終わって沈んでいたけど、お嬢さま、お姉さま方に甘い褒め言葉をもらう日が来るとは華を盛った甲斐があった。

 

男性の反応は微妙。女子ウケするものは男ウケが悪いというが、こういうことかと思う。美容師はお客様であるところの女子にウケる髪型を提案するのかもしれない。

 

真っ向から髪型に言及される仲ではないので、何か奥歯にモノが挟まったような言い方をしてくる人、静かに距離を置いてくる人のほか、面識がないも同然の夫の知人から蔑みまじりにからかわれたりもした。

 

うれしくない。招かれざる客の癖に審査員気取りなおっさん多すぎ。夫がいるときはよその奥さんに意見することは流石に控えていたのかもしれないが、おっさんは赤の他人であってもおばはんが色気づくのが面白くない。そう、「色気づきやがって」ともいわれた!

 

一方で直接会ったことのない男性の中には褒め言葉と共に食事に誘ってくる人、性急に熱烈なプロポーズをしてくる人もいた。うれしい。彼らにはこのまま会わずにどこにもいないわたしを夢見ていてほしい。

 

 

いまでは毎日、基本的にどこに出掛けるにも化粧をする。そうすることが楽しいし、元気が出るからだ。肌の負担にならない化粧品をコスメキッチンで買ったので、化粧を落とさずに寝ても大丈夫。でもいまは化粧を落とすことも苦ではない。

 

もちおと生きる幸せで胸がいっぱいだったわたしの輝きは戻らないけど、スマホがいい塩梅に匙加減をしたわたしにはあらまほしき美しさがある。無加工のわたしにも不幸と哀れさを払拭する程度の輝きがある。少しずつ、いまのわたしが幾重にも重なった薄い皮の奥から生まれて来ている。


今日出先で親族が世話になっている古い知人に会った。挨拶したが、久しぶりに会うせいか、親族抜きで会うのが初めてだからか、随分よそよそしく他人行儀な態度だった。人伝にお悔やみの言葉をくれたと聞いていたので内心少なからず傷ついた。


お互いそのまましばらく他の人と話していたが、かなり経ってから知人はふいにお客様モードから昔ながらの調子で困惑しながら「化粧をしとったけん、わからんやった」といった。続けて寡婦ライフを気遣う思いやりのこもった言葉をくれた。

 

知人が最後にわたしをみたのは看病のあいまに病院を抜けだし、普段着のまま白髪混じりの髪をふりみだし、口紅すら塗らずに親族と気が沈むような暗い話をしていたときだ。


今日のわたしは仕事帰りに友人を連れて、友人とのお出かけに張りきっておめかししていた。


「これまで、化粧してなかったんですか?」と一緒にいた友人がわたしに尋ねた。
「化粧してなかったのよ」
「はてこさん、すごく変わりましたよね」
友人はいった。


「この前会ったときは人生のどん底だったからね」
「でもあれ、まだほんの数カ月前ですよね」
「そうだね。あのときはわたし、上から下までもちおの服着て暮らしたりしてたのよ。靴下からトランクスまで。懐かしいとかじゃなくて、洗濯して服を選ぶ気力と知能が働かなくて。でもあれからジムいって、パーソナルトレーニングはじめて、スマホ変えて化粧変えて服も髪型も変えたのよね」
「いいと思います。はてこさんには生きるチカラがある」

 

という感じで、いま自撮りとジムを励みに生きています。
いよいよ来週に迫ったはてなハイク滅亡にもきっと耐えていこうと思います。

 

 

もっと大変なこといっぱい待ち受けてる。
それはきっと華麗に羽ばたくチャンス。
だからピッと凛々しく。