発熱日記

いま熱を出して朦朧としている。これはベッドで寝ながらスマホで書いている。
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鼻うがいをはじめて5ヶ月目になる。


おかしな話だけれど、もちおを亡くしてからの日々で最初に心から「生きてるの楽しい!」と思ったのは鼻うがいをしたときだった。長年鼻が悪く、物心ついたときから終始モヤモヤしていた鼻の中をダイレクトに洗うのは楽しかった。こんなにすっきりするとは!



「鼻うがい最高。河豚刺身くらいいい。河豚刺身、カシミア*1、鼻うがいだ」と友人に話して笑われた。



わたしは虎河豚の刺身が大好きなんだけれど、河豚はもっぱら実家の寄り合いに呼ばれて食べるものなので実家と疎遠になってからは食べていない。ノドグロの握り、岐阜の「栗きんとん」も食べると恍惚とするものだけれど、こちらもこの辺で簡単には手に入らない。



その点鼻うがいはいい。手軽で毎日楽しめる。セブにも鼻うがいセットを持っていった。あれで喉をやられなかったんだと思う。



ところが、先週遠出した先で一度、帰宅してから鼻に出来た腫れ物が痛くて二度、鼻うがいを休んだら、てきめん風邪を引いた。



もともと腎臓病に鼻うがいが効くというのではじめたのだけれど、予想外に風邪を引かない記録を更新し続けられたことがうれしかったので残念だ。



昨日は朝から風邪のだるさがあったが、この日は一カ月ほど前から予約した健康診断の日だった。日を改めて待つのが億劫で、一昨々日、耳鼻科でもらった抗生物質を飲みながら行ってきた。



わたしは注射針が大嫌い。見るからに嫌そうな顔をしているのか「これまで倒れたり気を失ったりしたことはありませんか」と訪ねる看護士さんの声がいつも心配そう。細い針にしてもらう。10ccくらいの血液を細い針で採ることがいやでいやでたまらない。「献血では400ccほどを太い針で勢いよく採る」と聞いて献血する人を見る目が変わった。



しかしそれ以外の検査は割合どれも物見遊山で受けている。胃カメラもアトラクション感覚だ。これまで血圧が低く心拍数が高かったのに、血圧はいい感じで心拍数はゆっくりになっていて小躍りしたい気分だった。運動、いいな!他もよくなってるといいな!



枕を替えたせいか去年身長が1.5cm伸びていた。今年は体重を伸ばしたい。まず5kg増を目標に47kgあたりから。



パーソナルトレーナーが顔を見る度「食べてますか」と聞いてくるので意識が高まる。先日はたと「定食を食べるときご飯を大盛にして、トーストを食べるなら二枚にすればいいのだ」と気がついた。正確にはそう考えたときに「でも糖質はがんの餌になるから控えないといけない」という呪縛がこれまでより軽くなっていたので食べることを選べた。



実は健康診断を申し込んだのは医療保険と生命保険を整理するためだった。ひとりになって少し手堅い医療保険個人年金がん保険に入った。失業手当ても退職金も出ない身なのだからこういうところはしっかりせんといけん。



同時にこれまで入っていた掛け捨ての県民共済とクレカ経由で入ったがん保険を止めることにした。しかしもちおの経緯を省みるに、かれこれ6年人間ドックも健康診断も受けていないわたしがいまがんに罹患していない保証はどこにもない。どうせなら検査を受けて、罹患していたらもらえるものは全部もらおうと思う。



いま少し生きていることが面白くなり始めたところだから、せっかくなら健康だったらいいなと思う。ご飯を食べて、筋肉と脂肪を増やして、仕事をもっとちゃんとやる。海外へも出る。好きな人にも会う。



もちおだってそうしたかった。でも出来なかった。願うよりずっと早く人生が終わった人たちが大勢いる。わたしがその一人にならない保証はどこにもない。一日、一日が奇跡だ。



その貴重な一日をどうすることも出来ず痛みと苦しみに喘いで過ごす人生だってある。今日は朝から高熱が出て、布団の中で身体を丸めて冷え切った手足をさすりながらガタガタ震えていた。身体が痛くて痛くて身の置き所がない。



痛い痛い、寒い寒いと七転八倒しながらもちおが最期の日々に高熱を出しながら布団をかけておくことも出来ないほど弱り、痛みに喘いでいたことを思い出した。それから一昨年の一月にわたしが泊まりで出掛けているあいだにインフルエンザに罹って高熱を出して一人で寝ていたことも。



なんであんないい人があそこまで苦しみ抜いて命を終えなければならなかったのだろう。最期の瞬間に向けて容赦なく冷たくなる手足をさすりながら「もうがんばらんでいいっていってやって」と姑がいった。「はてこさんのために生きようとがんばっとるんと思うんよ」



わたしはこんなときに手垢にまみれた常套句を言わせる気かと怒りに燃えたが、もちおが息を引き取ってから弟が誰にいうともなく似たようなことをいった。普通はここまでガリガリに痩せてボロボロになるまで生きてない。もちおさんは最後の最後まで使い切って、戦い抜いていったんやね。



戦うなら仮装通貨なんかで遊んでないで温泉いったり、日を浴びたり、運動したりする方向で戦ってくれたらよかったよ!とも思う。それでももちおが最期の十日間なんども「まだこんなに動けることが信じられない」と医師らを驚嘆させるところまで全身を蝕まれてなお生きていたのは確かだ。



あの頃のことは少しずつ忘れていくような気もするし、思い出すことに耐えられるようになってから少しずつ思い出していけるような気もする。



いつかわたしが人生を終えるとき、わたしを看取るもちおはいない。迎えに来てくれるのだったらいいなと思う。「はてこがかわいいばあちゃんになるのを見たい」と泣いていた去年の五月のもちお。



あなたのかわいいカミさんはわたしが思っていたよりずっとたくましくて、時々ついていけない気持ちになるけど、もちおはきっとそれでもずっと奥さんが好きよね。



もちおがいなくなって、わたしは自分のことを遺品みたいに感じることがある。もちおにとっては掛け替えのない宝物だったけれど、わたしの世間的な価値は100円のワゴンに並べてもらうことすら出来ない古本みたいなものなんじゃないかと。



でも別の時はぜんぜん違って、これはお宝ですよ、と思う。だってもちおが長いこと手塩にかけて可愛がってだいじに磨き続けて来たんだからね。



わたしはもちおに出会って無条件に愛されることと、愛される自分を愛すること、愛し合う人生の楽しみを覚えた。



人を大好きだと思うとき、楽しくて何かに夢中になっているとき、悲しみに胸が張り裂けそうなときよりも強くあざやかにもちおが近くにいる気がする。わたしはひとりになったけど、もちおと出会う前の愛を知らなかった頃に戻ったわけじゃないんだなと感じる。



生き返らないなら覚えていたい。わたしはもちおのいない世界に日々なじんでいくけれど、ここにくる前にいた世界のことを覚えていたい。そこでもらったものでいま生きている。

*1:上質のカシミアセーターに頬ずりするときも生きててよかったと思う。