ステーションワゴンに乗って

仕事帰りにジョリーパスタスマホから更新している。

わたしは仕事でいくら稼げているのか把握していない。把握しないといけないと思いながら日々目の前の仕事と持ち越した仕事に追われている。

「生活の為に働く」というが、いまのわたしにとって仕事は食い扶持を稼ぐ手段であると同時に人間らしく社会参画する手段である。

つまり寝て、起きて、着替えて外へいく動機づけになるもの、食べて生きる理由づけになるのが仕事なのである。寝ていても口座にお金が湯水のように振り込まれる暮らしだったら、弱って死んでしまうんじゃなかろうか。

もちおがいたときは家で仕事をすることにいささか支障があったので仕事部屋を借りて、そこへいくために車を使った。

費用の面で言えば仕事部屋も車も処分した方が生活費はかからない。すぐにでも処分するべきなのではと寡婦歴2ヶ月目くらいまで悩んだ。

寡婦歴3ヶ月目でセブ島留学が決まっていたので、「この間どちらも使わないのだからこれを機に」とも思った。

しかし思い掛けない偶然が重なって、わたしは車の車庫証明をとり、名義変更を自力ですませた。図らずも登録日は16回目の結婚記念日だった。

うまくまとめる自信がなくて書かないできたけれど、うちの読者のみなさんは長文をものともしない方々である。書かないで後悔したことが増えていくので、書けるうちに書き残しておく。



夫の愛車は父の会社のものだった。


葬儀を終えて一週間も経たないある日のこと、父から突然車の名義変更の用紙を渡された。


一般的に親から車を譲り受けるとは恵まれたことだと思うのだけれど、このときわたしの胸中はどちらかといえば父から遠まわしの見限り宣言を受けた気分だった。


もちおがいたあいだは通院、療養に車があって本当に助かった。「でも普段の生活なら公共交通で何とかなる。自力で維持するのは難しいから車はいらない」と父に何度か話していた。車を維持するだけの稼ぎをどこから捻出すればいいのか。確か秋には車検もある。


以前書いたが、父はわたしに「生前贈与として不動産を譲る」と東京から呼び寄せた。そしてすっかり引っ越しが済んでから「あれは会社の持ち物だから銀行でローンを組んで買え」と手のひらを返した。


わたしたちは譲り受けるはずだった住まいに寮として住み、もちおは身を粉にして父に奉公し、病をえて遂に亡くなった。


父はもちおが亡くなる数ヶ月前から「万が一のことが起きたときは退職金として住まいの名義をお前に替える」と再び言ってきた。


そして葬儀を終えて10日ほど経った頃、またしても「あれは会社の持ち物だから渡せない」「俺が金を払ってきたものをお前が好きにするのは正直気分が悪い」「はっきりさせておくが、そもそもお前たちがこちらに住みたいが仕事も住まいもないというから提供してやったんだっただろう」と強烈な手のひら返しをしてきた。


このとき「おまえが乗る車の維持費を会社が払うのか」とも言われ、やはりあれは縁切りだったのかとも思った。父がこれまでどれほど無茶な名目で経費を落とし、親族を保険に入れているかを思えばこれはあまりな仕打ちだった。父が葬儀の会場でわたしにいった最初の言葉は「保険証を返せ」だった。


9月にはこういうことをひとくさりの文章としてまとめて書くことが出来なかった。もちおは死ぬ、もちおの病を忌み嫌ってきた父と父を支持する姉妹らとは縁が切れる。幸い「寮」からは追い出されなかったが、援助は一切ない。手元には各種請求書と寡婦スタンプラリーのための手続きが山積みで、体重は過去最低最悪である。


しかしわたしは本当に土壇場に強い女なのである。窮鼠猫を噛むというが、わたしは追い詰められたら壁抜けをする鼠だ。かくして「ご飯食べられないから入院したいので留学する」という計画が実行に移された。


11月に留学を控えた10月のある日のこと。「セブ島へいくまえに車なんとかしなくちゃな…父に返すか…近々車検だった気がするし…」と重い気持ちで仕事部屋へ向かった。


「いつだっけ…セブ島いってるあいだ預かってくれるかな…」この頃は日付どころか曜日も時間もわからず暮らしていたので、いつか確かめなければと思いながら車検の日を確かめていなかった。


「よし、ちゃんとするぞ」と信号待ちでフロントガラスをふと見ると、車検の日付は一昨日だった。
血の気が引く思いがした。


信号が変わって最初に目についたガソリンスタンドに「車検」と書かれた旗があった。これだ。何でもいいから代車を出してもらおう。心臓をばくばくさせながらスタンドに飛び込んだ。



「すみません、車検をお願いしたいんですけど!」「はい、お日にちは」
「もう、過ぎているんです」
「はい?」



結果からいうとわたしが車検の日だと思ったのは定期点検の日で、車検は来年だった。わたしは胸をなで下ろし、これも何かの縁とそのスタンドで名義変更をする決心をした。そしたら名義変更だけで3まんえんもするじゃないですか。


えー。3まんえん稼ぐのにどんだけ掛かるよ。
「自分で出来なくはないですが、結構大変ですよ」
へー。どのくらい大変か試してみようじゃないか。


「ガソリンとオイルと保険と税金と駐車場で年間…それだけ稼ぐのにかかる時間は…」と何週間も悩み続けていたのに、この瞬間からわたしの思いは「3万円かかる手続きを自力でやれるか試してみたい」に変わった。


よくしたもので、ネットを使えば車庫証明の取り方も名義変更の手続きもすべて公開されている。問題は受付時間にそれらを管轄の窓口で済ませられるかということだけれど、わたしは勤め人ではないのでこれも何とかなる。


わたしは仕事の合間を縫ってこつこつ用紙を埋め、セブ島へいく直前、出張の合間を縫って二週間ほどかけて名義変更の手続きを済ませた。


そして「今日出せなかったら名義変更はできない」という日に書類が揃った。わたしは綱渡りの予定を何とか繋ぎきり、陸運局で書き損じないようにと緊張しながら必要事項を記入していた。


その時ふと頭の中で長いこと聞いていない古い歌が流れていることに気がついた。



ヒーターを切って
コートにうずくまる
つぎの街でカセットを買おう
おしゃべりにも疲れたから



鈴木祥子だ。アルバムの歌だったな。
わたしは静かに歌いながら書類を記入し続けた。



2人の荷物をひとつにして
紙コップのコーヒーわけあえば
自由なんて 簡単に 手に入るものね

ステーションワゴンに乗って
大きな月を追いかけよう
ステーションワゴンを買って
あなたのために何でもやる

私をかわいそうと
思わないでね




次の瞬間、わたしは車検証の車種の欄をみて目を疑った。これまでずっと大型のセダンだと思っていたこの車の車種の欄には「ステーションワゴン」と書いてあった。もちおが知らない歌だったけれど、もちおが歌でわたしに語り掛けている。


留学前は出張と仕事の予定でスケジュールはびっしり埋まっており、唯一空いていた届けを出した日は16回目の結婚記念日だった。車のナンバーには結婚記念日を選んだ。もちおが好きな車だったから残しておきたかった。せめて神無月に出雲へいくという約束を果たすまで手元にあってほしかった。


車を維持する合理的な理由は見つからない。でもいまこの車を維持することはもちおの願いなのだろう。何故かはわからないけど。



ステーションワゴンに乗って
大きな月を追いかけよう
ステーションワゴンを買って
あなたのために何でもやる







私をかわいそうと
思わないでね





あっちこっちと半日がかりで走り回って、最後に陸運局のだだっ広い駐車場でナンバープレートのビスを外して、新しいプレートを取り付けた。


前と後ろ2枚のナンバープレートに8本のビスがいる。ところが、どうしても最後の一本のビスが回らない。どうやらねじ穴が馬鹿になっているらしい。


プレートチェックの係員はプレートのナンバーだけをチラと見ると「あっちでつけてください」とだけいって知らん顔だ。ナンバープレートなしでは公道を走れないが、取付てくれる人はどこにもいない。


「もっちゃん、ビスつかない。手伝って」返事はないけどいってみる。するとビスがするすると…と言うことはなかったが、わたしはくじけなかった。最愛の人を亡くして頼る身内もいない哀れな未亡人に冷たい不親切な係員の前で、惨めな敗北を喫してたまるもんか。


わたしは魔女のようにやせ細った手をバンパーの隙間に突っ込むと、あの手この手で何とかねじ穴を固定し、遂にナンバープレートを自力で嵌めた。


16回目の結婚記念日をたったひとり秋の夕暮れの駐車場で迎えた。これからわたしのステーションワゴンに乗る。維持費も稼ぐ。自分で運転してどこでもいく。あなたのために何でもやる。


こうしてわたしはいまもステーションワゴンに乗っている。いま振り返ってみると車なしには食事や買い物に出る体力はなかった。


仕事部屋もそのままだ。仕事をすべて自宅で完結させることはできる。でもセブ島留学でわかったけれど、いまのわたしには外へ出て人に会う理由が必要だ。生きるために。生きるために仕事と車が必要だから維持するために稼ぐし、生きるために仕事が役に立つから働く。


親族とは9月以来音信不通になった。でもいいの。これは人生の伏線なの。こういう展開と演出が好きなのよ、うちの人生の脚本家は。ぎりぎりのところで盛り返して、ぐいぐい生きていくヒロインが好きなんだと思う。