夫を亡くしてセブ島に留学することになった 帰国前日

f:id:kutabirehateko:20181201110551j:plain
今夜セブを発つ。パソコンを仕舞ったのでスマホで書いている。

セブではほとんど毎日テンパっているか、泣くのをこらえているか、泣いているかのいずれかで過ぎていった。悲しみが癒えることはなかったけれど、毎日三度三度食事をして、人と会って、話して、ホテルから通りを渡って学校へ、食堂へと階段を上り下りして暮らした。

「日本に帰ってからどうするの?」と英語で聞かれるたびにもちおのいない寒い部屋が浮かんで泣きそうになる。朝昼晩と顔を見るたび「お、来たな!」という顔で挨拶してくれたセキュリティーガードのあんちゃん、おじさん、厨房の人たち、ホテルマンと会えなくなることが寂しい。ただ顔を見るだけでお互い笑顔になれる人たちに囲まれて、ずいぶん助けられていた。

セブの人たちは貧しさにまつわる様々な問題と日々戦っている。誰もが遠く離れたところに住む家族、親族、友人、恋人たちを思う寂しさと彼らを思う温かな愛情を持っている。送りたいもの、送らなければならないものをどう工面するか、送られてくるものをどうやって待つか、多くの人が毎日心配している。

大変な苦労だと思うけれども、そういう繋がりがあることがうらやましくもある。毎日大声で笑いあっているセブの人たちの無邪気さ、人懐っこさが守られる世界であってほしい。

短いあいだだったけれど、ご近所さんの輪に入れてもらえて光栄だった。セブの人たちはいつでもどこでも、そして誰もがほんの少しのセブ語で大感激してくれた。他人モードから旅人歓迎モードにモードチェンジしたときのあの屈託のない笑顔。

誰もがフレンドリーだった学校のスタッフのなかに、ひとりだけ拒絶的でニコリともしないセキュリティーガードがいた。はじめの晩に受け付けをしてくれた人で、英語で挨拶をすると皮肉な笑いで無視された。以来どんなに挨拶をしてもいつも冷たく目をそらされる。

昨日母のIDガードを返しにいったらこのセキュリティーガードが受付にいた。

「今日のセキュリティーガードは怖い人だよ」「昨日返せばよかったわね」とささやきあいながら母と受付に向かい、IDを返した。

「サラマット」と最後にいって「キタタプホン」と付け加えた。「ありがとう、またいつか」という意味のセブ語だ。

彼は一瞬いつもの厳しく皮肉な表情から驚いたような困惑顔になった。

「あなた、セブの人じゃないの?」とわたしは聞いた。
「セブだよ」
「そうなんだ、それじゃサラマット、キタタプホン」
セブ語をメモしたノートを見せながらもう一度伝える。


わたしがセブ語に熱を入れていることは現地スタッフに知れ渡っていたが、彼はそれをいま初めて知ったようだった。彼はいつも人が大勢が出入りする学校の入口にいた。そしてわたしはしばしばマスクをしていた。


彼はノートとわたしに素早く目を向けると驚いた顔をした。そしてこれまでわたしたちに一度も見せたことのない無防備な笑顔で、恥ずかしそうに「サラマット」と言った。魔法がとけて刑務所の看守が内気な田舎のあんちゃんに戻ったかのようだった。

「あの人、笑うとあんなにかわいいのね!」
母はうれしそうに大笑いしながらいった。
「手まで振ってくれて。動画に撮っておけばよかったわ」

セブへ来ていちばんの収穫はセブの人たち、そしてセブへ働きに来ているフィリピンの人たちと知り合えたことだと思う。英語は世界中どこでも学べる。でもセブの人たちはここにしかいない。

いや、それは違うか。セブの人たち、フィリピンの人たちは世界中に出稼ぎに出ているのだ。日本にもきっと、セブの人たちがいる。もちろんほかの地域から来たフィリピンの人たちも大勢いる。

その人たちを同じように温かく無邪気に笑って歓迎できるだろうか。できたらいいなあ。わたしの拙いセブ語にこんなに感激してくれたように、彼らが外国語を学ぶ姿勢に敬意を払い、激励できる人でありたいと思う。彼らのあの喜びようでどんなにやる気が出たことか。思いを伝えたい人が喜んで話を聞いてくれることは言葉を学ぶ強い原動力になる。

外国語を学ぶことの楽しさと喜びを学べたこと教えてくれたフィリピン人たち、セブの人々に、本当に感謝している。日本にいる外国人たちにとって日本が、そして日本語が、学ぶことが楽しいものでありますように。

現地の言葉がわからなくても場を取り持ってくれる英語は本当に便利だ。間口が広く、懐深く、外国語を学ぶ入口としてとても使い勝手のいい言語ではないかと思う。とりあえず英語。それから現地語。まずは挨拶。

夫ロス対策の避難先として英語留学できてよかった。無事に帰国するまでが留学だと思ってあと一日がんばります。サラマット、キタタプホン。