夫を亡くしてセブ島に留学することになった その18 セブワノの薦め

留学二度目の日曜日。来週末はボランティア活動があり、再来週末には帰国するので観光するなら今日しかない。3Dアカデミー森田社長から「セブ島へ来たからには一日ぐらい青い空と青い海を見てはどうか。シャングリラがおすすめ」といわれてその気になったが根が出不精なわたしと倹約家かつご近所散策至上主義の母は今日も学校回りを散策して一日を終えた。というわけで、本日もセブシティ華やかゾーンは出てこない。そして長い。まあ読んでいって。

 

 

これまでのお話 

 

セブ犬とセブ猫 

セブ島雨季の真骨頂はまだらしいが時々一瞬大雨が降る。雨が降った後はカンカン照りで、3Dアカデミー新校舎前のガソリンスタンドにたむろする犬さんたちが車の下で日除けして休んでいた。犬さんたちは人とも犬ともほどよい距離を保ちながら平和に暮らしていおり、見ていると和む。しかし狂犬病ワクチンを受けておかないと危ないらしいのでやたらになでたりはしない。

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猫さんも石の床に腹ばいになって休んでいる。ホテルの床も石なんですが、クーラーなしでも部屋が気持ちひんやりするのはそのせいだったのかと猫さんを見て気づきました。

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セブシティ高級住宅街

母は昨日散策した道のひとつがどこへ向かっているか知りたいという。クリアしたゲームの分岐を埋めるようにホテル周りを歩く。今日は高級住宅街を散策した。屋敷の屋根を遥かに見下ろす椰子の木や塀からこぼれ咲く花々に囲まれた屋敷が続く。

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屋敷に挟まれた坂道をトヨタマツダ、三菱と日本車が次々に通り過ぎていく。家々の門にはカメラが、通りに面する塀と窓にはデザイン化された頑丈そうな柵が、あるいはまごうことなき鉄条網が張り巡らされている。神戸の六麓荘町を思い出す。

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この国の平均時給が100ペソ(=約200円)前後であることを思うとこれだけの車と家を所有する世帯はいったいどんな仕事をしているのか想像もつかない。ほんのわずかな通りを抜けたところにスラムのような街が広がっていることも、それどころか対面の空き家前がゴミだらけになっていることも嘘のようだ。

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家々はどれも思い思いに贅をつくした作りになっており、眺めていて飽きない。しかしここは観光地ではなく住宅街なので家の前で写真を撮っている外国人は目立つ。庭先から不審げにこちらを眺めている住人たち。というわけで、あまり写真を撮る気になれなかった。李下に冠を正さず。

 

軍人さんに怒られる 

セブ市六麓荘町を抜けると昨日の基地へ出た。昨日と同じようにゲートを抜けると厳めしい軍人さんに呼び止められる。「目的はなんだ。教会?ゴルフ?」「散歩です」「それなら出ていけ。ここは基地だ」えー。

 

ゲートの出口に受付用紙らしきものを持った別の軍人さんがいた。「ここは基地だ。いまは一般人の入場時間ではない」なにー。困惑するわたしたちの横をテニスラケットを脇に抱えた女性や子供が受付用紙に何か書いて通り過ぎていく。どうやら施設利用者は目的を書いて出入りするらしい。昨日慰霊碑の写真を撮らないように注意しにきた軍人さんも受付係だったのかもしれない。

 

がたいのいい軍人さんの鋭い目つきときつい口調に母は不安そうな顔をして「じゃ、また来ましょう。サンキュー」と日本語でいった。わたしはとぼけて「じゃあ何時だったらいいの?」「昨日来たんだけど、とてもいいところだったからまた来ました」と食い下がってみた。

 

「学生か?」軍人さんはわたしたちが首から下げた学生証を見ていった。「そうです。先生が*1『ここはとても静かで緑が多くていいところだ』といったので来ました。彼はここを早朝ジョギングしていたといっていました。外はうるさくて眠れないんです」「どこから来た」「日本です」

 

軍人さんは早口で「パスポートを出せ」といった。「ありません。学校にあります」「ではIDを置いていけ」「これ?」わたしは学生証を差し出した。「ここに名前と住所を書け。歩いていいのはこちら側だけだ」「歩いていいの?」「こちら側だけだぞ」軍人さんは昨日わたしたちが散策したゴルフ場がある側を指さした。おー!例外対応だ!

 

わたしは受付用紙に名前と学校名を記入して「サラマッ」と笑顔で伝えた。サラマットとはセブ語でありがとうという意味だ。軍人さんの表情がふいに和らぐ。

 

 「一時間で戻ります」「二時間でもいいぞ」「わかりました」学生証を渡してよかったのかどうか少し不安もあったが、いざとなれば3Dのスタッフに泣きつけばいいやと思って緑の並木道を歩いた。

 

キャンプラプラプ二周目

入ってすぐの教会から歌声がする。日曜礼拝中らしい。礼拝に来たといえば入れてくれたのかもしれないけれど、なんか教会を出汁に嘘つくのも罰当たりなので嘘つかなくてよかった。

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聖人らしき人物が胸元に何やら金色の球を抱えている。こんな聖人はじめて見た。日曜礼拝中だからか、敷地には昨日ほど人がいない。満席だったゴルフの打ちっぱなしもバレーボールコートもバスケットボールコートも閑散としている。

 

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教会の隣の施設。確か First hero of the Philippines と書いてあったと思う。「誰だろう?」「誰かしら?経営者?」「そんなわけないでしょ」マクタン島領主ラプ=ラプの像だった。

ラプ=ラプ(Lapu-Lapu、1491年? - 1542年)[要出典]は16世紀、フィリピンのマクタン島(セブ島の東沖合い)の領主であり、イスラム教徒の部族長。世界一周航海の途上でフィリピンへ来航し、キリスト教への改宗と服従を要求するフェルディナンド・マゼランらをマクタン島の戦いで破り、マゼランを討ち取った。フィリピンでは民族の誇りを守った国民的英雄とみなされている。

ラプ=ラプ - Wikipedia

 そうなのか。入り口にあった教会のことを思い出すと微妙な気持ちになる。しかし信教の自由と民族の誇りは共存できる。自主的に選び取るのと改宗を強制されるのとはまるで違うからね。

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ゴルフ場の奥には訓練所らしき建物がいくつもある*2。昨日は女の子たちが施設前のタンクにまたがって絵を描いていたが、今日は屋外テーブルに迷彩服を着た軍人たちが座ってノートを広げて何やら熱心に勉強している。「あの人たちは何をしているんだろう」とチラチラ様子をうかがっていたが、先方も同じ気持ちだったようでチラチラこちらを見ている。筋肉ではちきれんばかりのがっしりとした男たちの姿を緊張気味に眺めながら蟻塚のところまで来た。

 

セブ語効果

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母と二人で蟻塚を撮っていると後ろから歩いてきた女性が何かセブ語らしき言葉で話しかけてきた。「写真を撮るな」と言われているのかと思って聞き返すと笑顔で「写真を撮ってあげましょうか?」と英語で言い直してくれた。

 

喜んで母と二人の写真を撮ってもらった。「サラマッ」とセブ語で感謝を伝える。女性はほんの少し驚いた顔で微笑みながら手を振って去っていった。「セブの言葉を覚えてよかったわね」と母が言う。「みんなあれで話すとすごくうれしそうじゃない。雰囲気がガラッと変わるのがわかるもの。さっきのゲートの人もそうだったでしょう」

 

セブにはセブワノと呼ばれるセブ語がある。これはマニラのタガログ語と少し違う。わたしが覚えたセブ語は「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「ありがとう /どういたしまして」「元気?/元気よ。あなたは?/私も元気」「気をつけてね」「またね」「きれい」「かっこいい」「つかれた」そして「私の傘」。

 

このうち「どういたしまして」はありがとうと言われる機会がないので使ったことがないが、ほかは隙あらばセブ人を見るたび連発している。セブ語で呼びかけるとセブワノたちは真顔から笑顔になってセブ語で返してくれる。そして「これはセブ語でなんていうの?」と聞くと親切にセブ語を教えてくれる。*3

 

そして「なぜセブ語を覚えているの?」と続けて聞かれる。「ここはセブ人が多いから」と答えると「ああ、そうか。確かにね」と納得される。「英語とセブ語と二つも覚えて大変だね!」と笑われることもある。学校に英語は学びにきてもセブ語で呼びかける生徒は少ないようで、セブ語で話しかけると顔を早く覚えてもらえる。お互い標準語で知り合ったもちおとも、もちおの地元山口弁で話すようになってから距離が近くなった。方言はいい。セブへ来る機会があったらぜひセブ語をいくつか覚えてセブワノに挨拶してみてほしい。

 

受付おじさんビフォーアフター

出口で受付担当の軍人さんのところへ戻る。「こんにちは~!」とセブ語で呼びかける。「一時間経ったよ」「一周しか回らなかったのか?二周しろよ。歩くのは身体にいい」「そうね、確かに歩くのは身体にいい。でも喉が渇いたからカフェにいきたいの。ここにはカフェがないでしょう」「カフェならゴルフ場のなかにある」「え!」「ゴルフはどうだ」

 

軍人さんはさっきとは打って変わって親しい知り合いを迎える顔をしている。「ゴルフはしたことがない。いくら?」「ゴルフボールがバケツ一杯300ペソ、使用料は600ペソ」「そっかー。じゃあいつかやってみる」「T'sayホテルにいるのか?」「なぜ知ってるの?」「あそこから日本人が来るからな。トヨタカワサキヤマハ…日本企業はすごい」「サラマッ!セブアノは頭がいいし、親切だし、やさしいね。子供たちが母にブレス*4をしてくれて…」「母?彼女はおまえの母さんなの?本当に?!」

 

 なぜだかわからないけれど、わたしと母が親子だと伝えるとみんなとてもびっくりする。そして母も英語留学中だと知るとさらに驚く。「じゃあ二人とも生徒なの?おー!あんたの母さんすごいな!何歳?」「あー…ご想像におまかせします」母は困った顔で答える。学校でも母の年齢を知りたがる講師は多く、母はその都度あいまいに微笑んで話をそらしている。

 

「おまえの母さんはドイツ人?」「いいえ、日本人。祖父母も日本人」「へえ!イギリス人かと思ったよ」「母はよく混血と間違われるの」「そうだよな。きれいだし、顔がこう、シュッとしてる。うん」軍人さんは親指と人差し指で自分の頬から顎をシュッとつまむような仕草をしてみせた。「母の若い頃の写真があるの。見る?」「見る見る」この流れも学校でよくある。母が横から日本語で「もう、やめなさいよ!」と怒っている。先日も「あの先生、美人だ、美人だってうるさいのよ。うんざりして By the way って話題を変えたわ」といっていた。美人だ、美人だってうるさいのよ。いってみたいですね。それからはっとしたような真剣な顔で「イギリス人を見たことないのかしら?」ともいっていました。そんなわけがあるか。

 

「あんたは結婚してるのか。子供は何人?」「子供はいない。夫は今年の8月に亡くなったの。それであんまり寂しくこれじゃダメだと思っててセブへ来たの」「なぜ?事故?病気?煙草や酒をやっていたのか」「胃がんだった。働きすぎ。日本人はみんなそう。寝ない、食べないで働く」「おー。なるほどな。じゃあ未亡人か」「そう」「フィリピンには独身の男が大勢いるぞ」寡婦歴三カ月目ですが、この返しははじめてですね。

 

「結構よ。夫はいまもわたしと一緒にいるから」「母さんも独身?」軍人さん、すっかり世話焼きおじさんと化してきた。 見合い話の一つも持ってきそうな勢いである。「サラマ。わたしたちカフェにいくわ」わたしはセブ語で「またね」といった。See you はセブ語で Kita ta unn ya という。キタタゥンニャと発音する。ニャースっぽい。「OK, Kita ta unn ya」軍人さんは笑顔で手を挙げてセブ語で返してくれた。

 

わたしと母は顔も趣味も違っているけど、名所旧跡レジャー施設に興味がないという点で方向性が一致している。わたしはどこへいっても人と暮らしに興味があり、母は土地と暮らしに興味がある。ぶらぶらと歩きまわっていい日曜日だった。それではみなさんキタタゥンニャ。

*1:森田社長は先生じゃないけどな。

*2:これアップしていいのかちょっとわからんわ。怒られたら消す。

*3:数名のミンダナオ島出身者からは「地元はセブじゃないんで」と返された。フィリピンには70を超える言語があるという話はそのとき聞いた。

*4:年長者への敬意をあらわすしぐさ。額に手をつける