夫を亡くしてセブ島に留学することになった その5

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セブ島到着から一夜が明け、日曜日になった。週末は授業がないので明日まで自由行動だが食事は出る。早め早めに動きたい母もさすがにこの日は朝寝をしたようだ。それでも「11時半に昼食でしょう」と10時半には部屋に来た。まだ1時間以上ある。頼むから寝かせてほしい。

 

「こんなに早くでても向こうでやることないよ」

「だって、学校にいくにはこれからあの道を渡らなきゃならないのよ」

そうだった。我々は白いビーチと海岸線を眺めながら南の島で英語を学ぶはずがディープアジア裏街道でデング熱アメーバ赤痢、詐欺と交通事故には十分注意しろと警告される身になったのだ。

 

朝のセブ市

スマホを見ると昨晩のショックを伝えた旅慣れた友人からLINEにメッセージがあった。「朝になって日が差すと、案外街の表情は一変してたりしますよ」

この友人の予言は適格であった。少しの事にも先達はあらまほしきことなりだ。

 

街は相変わらずごみごみとして夜明けの新宿百人町臭かったが、朝のうちに通りは掃除されており、ゴミとたむろする輩がいくらか少なくなり、深夜よりさっぱりとしていた。往来の車は夜よりも増えていたが昼の光のなかでは夜ほど恐ろしくない。

f:id:kutabirehateko:20181105215302p:plain ホテル周辺を少し歩くと壮麗な教会があり、日曜礼拝に集まった人々が開け放した教会の窓から見えた。神父がマイクごしに語る説教が聞こえる。 

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どういうわけか讃美歌は神父がマイクを独占して歌うシステムらしく、説教が終わると神父は朗々と歌い始めた。説教壇周辺はキラキラしており、まさにファーザーオンステージ状態だ。

 

周辺には切り花や駄菓子、ちゃちな玩具を並べた出店が並んでいる。買ってみたいがペソがない。学校のそばに空港よりレートのいい両替所があると学校案内に書いてあったので、我々はまだ日本円をペソに替えていなかった。

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学校の食事と車道横断問題

通りを渡らずに済む範囲をぶらぶら冷かし、少し異国情緒が楽しくなってきたところでいよいよ命懸けで通りを二つ渡って食堂へ向かう。怖い。立場は逆だが、何十年かぶりで母と手をつなぎたい気持ちだ。ここで母の身に何かあったらと思うと気が気ではない。

 

なんとか渡り終えると母が大発見!という調子で「現地の人が渡るときに一緒に渡ればいいのよ」という。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」である。しかしみんなで渡っていたって撥ねられるときは撥ねられる。「子供が渡っているときならさすがに撥ねないでしょ?」まさか子供を盾にする気ではないだろうが、大人なら撥ねてもいいとは誰も思っていないだろう。

 

3Dアカデミーには親子留学コースがある。我々のような成人した親子ではなく、本物の児童と保護者のための留学コースである。来てみて子連れでこの道を渡れといわれたら、さぞびっくりするだろうな。

 

さて、はじめてのフィリピン料理はつけ麺とかき揚げだった。

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あきらかに日本料理である。3Dアカデミーは日本風の味付けをすると聞いていたが、なるほど日本の学校給食味であった。料理人はフィリピン人で、みなたいへん陽気にタガログ語で冗談を言っては笑いあっている。

 

3Dアカデミーで働くフィリピン人は周辺の施設で働くフィリピン人より概して陽気で友好的だ。職場が安全で待遇がいいのだろう。タガログ語で話しかけるとちょっと驚いてさらに相好を崩してくれるので、せっせとタガログ語をメモしては話しかける。英語で話しかけても真顔で返事をされるだけなので、英語よりタガログ語に熱が入る。覚えると使いたいのでいまやスーパーの店員にもモールの警備員にも手あたり次第にタガログ語であいさつをするようになった。

 

今日はジンベイザメと泳ぐオプショナルツアーの日だそうで、昼食に集まる生徒は少ない。学校は観光地であるマクタン島から離れており、周辺に著名な観光地はないが、3Dアカデミーではこうしたオプショナルツアーをいくつも用意している。参加費は約3000ペソ少々。日本円にして7000円弱。

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ジンベイザメと泳ぐツアーは大人気だそうだ。もちおはサメが大の苦手で、サメがいるという理由で海に入れなくなるほどだった。参加しようといったら何て言っただろう。

 

はじめてのペソ、はじめての買い物

両替は月曜日のオリエンテーションで案内すると聞いていたが、向学のために千円両替してみることにした。両替所は学校の隣、食堂棟前の小さなモール内にある。食事を終えたわたしたちは再びおっかなびっくりしながら車道を横切った。 

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宝くじ売り場のような両替所に座るお姉さんに「Please」と千円を差し出す。両替には手数料がかかるので、本来なら一度に大きな額を替えた方がいい。お姉さんはちょっと驚いて本当に千円だけでいいのかと確認すると、気を取り直して微笑しながら手元の電卓でレートを計算し、円をペソに替えてくれた。

 

モールの隣にはそこそこ大きなスーパーマーケットがあり、ここでだいたい何でも揃う。

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床を拭きたくてたまらない母はここで紙コップと室内履きに使うサンダル、そして掃除用にあかちゃんのお尻拭きを買った。室内は十分清潔に思えるけれど、母は裸足で歩けるくらい床を拭き上げ、頬ずりできる程度に棚を拭き上げなければ気が済まないのだ。

 

一方わたしの初ペソでの買い物は生絞りレモネードだった。

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モール内には南国フルーツのデザートやジューススタンドがたくさんあるが、生水と生の果物には警戒しろと各所でいわれたのでまだ手を出す気になれない。

 

ジューススタンドの前には博多一幸舎がある。

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こんなところで豚骨ラーメンと再会するとは思わなかった。なんでも3Dアカデミーの経営者がフランチャイズで出した店らしく、生徒は10%オフでラーメンが食べられる。レモネード一杯45ペソでラーメンは一杯320ペソである。

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こちらではいいお値段な方だけれど、学校スタッフによると人気の店なのだそうだ。モールの二階には屋台で99ペソのラーメンも出している。

 

バケツで足湯作戦

レモネードを買って少し自信がついたところでスーパーに戻り、500円くらいの大きなバケツと塩とベビーシャンプーを買った。バスタブがないので代わりにバケツで足湯をしたい。塩は鼻うがいにも使う。

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でっかいバケツをぶら下げて通りに出る。道を横切ろうとすると毎回バイクタクシーのおっさんらがわらわらと「ヘイ!マアム!」と客引きにやってくるのだが、バケツを見たおっさんらは「これは旅行客じゃないな」と思ったのか、このときは誰も近づいてこなかった。バケツにはバイクタクシー除け効果がある。*1

 

いざ試してみるとホテルのシャワーはしょぼしょぼと生ぬるい湯を出すばかりで、バケツに熱い湯を張るという願いは叶わなかった。それでも足を漬けるとホッとする。どんな安ホテルでもバスタブに湯を張って入れる日本は恵まれた国なのだなと改めて思う。先に帰っていた母にも貸してやったが、このバケツ風呂は好評であった。バケツは持って帰れないけどな。

 

少し明るい気持ちで一日を終え、夜の帳が下りてくると俄かに心が重くなる。またあの通りを渡って食堂へいかねばならない。「早め早めに」といそいそやってきた母も別に食事が楽しみなわけではないので浮かない顔をしている。「学校がはじまったら、授業のたびにあの通りを渡らなきゃいけないのよね…」母はまだ授業がはじまる前から通りを渡るのが嫌さに帰国を真剣に考え始めた。気持ちはわかる。

 

渋面を作って身を固くする母と二人で四方八方ヘッドライトを浴びながら通りを渡る。今日一日でずいぶん色々なものを見てすでに海外気分を満喫した気がするが、授業はまだはじまっていない。セブ島一日目がようやく終わろうとしているのだ。

 

始まる前から帰りたい気持ちでいっぱいの母を見ながら「いざというときのために早めに飛行機を探した方がいいかもしれない」と思う。母はさまざまな苦労を乗り越えてきた強い人だけれど、騒音と不衛生と娘抜きで好き勝手ができない状況には耐えられないのだ。

 

母は翌日ひょんなことから気分を一新して俄然、意欲的に英会話に取り組みはじめるのだが、この時点ではその兆しはどこにも見えなかった。 

*1:ちなみに7ペソで屋台のちまきを買ったが、これは中華ちまきではなく、白米を蒸したものらしかった。一緒に売っていた屋台のシュウマイのつけあわせらしい。ここでもさっそく塩が役に立った。