夫を亡くしてセブ島に留学することになった その4


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もちおについて書いた話が想像以上に遠くまで届いたらしく、最近友人知人からあちこちで「くたびれはてこさんのブログ、あなたが書いてるでしょう」といわれる。怖い。そっとしておいてほしい。しかし「セブ島へ留学した暁にはきっと拡散されるようなレポします」と勇んで3Dアカデミーさんに約束したのでレポらないわけにはいかない。

 

わたしはいまセブ島にいる。例の母も一緒である。母はすでに日本に帰りたがっている。正直いってわたしも今朝方までそうだった。セブ市の夜の荒廃はハノイのそれを超えていて恐ろしかった。

 

招かれておいてこんなことを書くと追い出されたりするかもしれないが、率直な感想を書くことを期待しているという言葉を信じて率直に書くと、「事前にわかっていたら来なかったな」というのが率直な感想である。「セブ島留学に招待されるなんて、もちおがプレゼントしてくれたのでは」と書いていた方がいらっしゃったが、もちおが生きていたら絶対にわたしをやらせないところにリストアップされていたに違いない。

 

しかしもう来てしまった。もちおは死んでしまったし、わたしはセブに来てしまった。賽は投げられた。今朝起きて街を歩いて腹を括った。これも何かの縁だ。乗りかかった船、食らうべき皿だ。しっかりご飯を食べて帰ろう。腹を壊してタオルを投げる羽目にならない限りは。

 

いずれにしても(招いてくださった俺セブ様と3Dアカデミー様はどうかわからないけれど)うちのブログ読者のみなさんはわたしのキラキラした留学物語なんて期待していないに違いない。それにそういうキラキラ留学記はほかにたくさんあると思う。だで、このままありのままを書いて、どうなっていくかをみなさんに見てもらうことにする。

 

出発前夜 

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早朝、母の家に向かった。8時50分の飛行機で福岡空港から釜山の金海国際空港へ出て、そこから21時50分の飛行機でセブのマクタン空港へいく。7時前には自宅を出なければならない。いつもの起床時間を考えるとちょっときつそうだけど、がんばらねばと思っていた。

 

「ぎりぎりに動くと何かあったときに心配でしょ、だから早めがいいと思うの」

と母はいった。それはそうですよね。しかし

 

「だから二日前に福岡空港国際線を下見しておいた方がいいと思うの」からはじまり、「6時55分から搭乗手続き開始ですって。混雑していたから早めのバスがいいと思うの」と5時45分のバスを指定し、「眠れないかもしれないけど、何かあったときにはぐれたらいけないから、前の晩からママの家に泊まった方がいいと思うの」と前日昼前から母は自宅へやってた。

 

母は当初わたしの雑用を手伝うために来たはずだったのだけれど、あれこれ気を揉んでは思いついたことを矢継ぎ早に話し続けつつ、これといって家事や仕事を手伝ってくれるわけでもない母に対処するための割込み処理にわたしはかなりリソースを割いた。横で話し続けられるだけでもきついのに母親あるあるな散発的ダメ出しをしてくるのでむしろ邪魔でしかない。

 

出発前日には二日前までめいっぱい入れた仕事の最終整理と、もちおの保険と役所関係の締め切りがある書類を片付けるはずだった。このほか持参するグローバルwi-fiの設定や旅支度のあれこれがある。しかし母に横でせかされながらこれらを片付けるのは至難の業だ。「こんなに仕事をいれて体を壊したらどうするの」いまそんなこといって何か助けになると思う??

 

結局母をなだめることを最優先にして書類を持って家を出たが、母の家に着いてから大事なことを思い出した。わたしは楽天ゴールドカードの付帯保険を使って海外旅行の保険をかけているのだけれど、ゴールド会員は出発当日に移動手段の支払いにカードを使わなければ旅行保険が発動しない。この大事なゴールドカードをわたしは家に置いてきてしまった。

 

母の家に荷物を置いたままいったんバスで家に戻り、朝にやりそびれた事務処理を再開する。ようやく仕事を片付け、風呂に入る。また食事を食べそびれた。まあいい。もう眠らなければ。念のため翌日のタクシーを予約しておこう。早め早めだ。

 

ところが。福岡市内のタクシー会社10社以上に問い合わせたが、朝5時に迎えに来てくれるタクシーはすべて予約済で一台もないという。*1わたし一人なら7時過ぎのタクシーで構わないのだけれど、パスポートを含め旅行の荷物は母の家にある。そしてなぜか母はこの日突然わたしに合鍵を返せといってきた。母が家を出る朝5時に母と合流できなければ積む。

 

早朝迎えに来られないというならいまから迎えに来られるタクシーはないのか。これも10社のタクシー会社らは口をそろえて「車はすべて出払っている」という。あとでわかったことだが、出発前夜は三連休前の金曜日で夜の中洲は書き入れ時の大賑わいだったらしい。

 

このとき時間はすでに深夜を回っており、バスも電車も終わっていた。母の家までは車で30分弱、歩いていけない距離ではないが、わたしは連日の寝不足と過労がたたってへとへとだ。

 

本来ならば今日はゆっくり朝寝をし、夜も早めに休むはずだった。「早め早めに動けばあとでゆっくり休めるでしょう」が口癖の母はわたしの休息時間に予定を入れてくる。しかし、あとでゆっくり休むといってもベッドで眠る時間を外で過ごして同じだけ眠れるわけがはない。ああ、今夜こそぐっすり寝たかったのに。明日は、いや今日は長い一日なのに。泣きたい。さっきはもちおの保険の手続きをしながら最期の日々を思い出して大泣きしたけれど、いまは目の前のことで泣きたい。自分ひとりの旅なら、手元に荷物があるなら、どうにでもなるのに。眠って休めるのに。

 

時刻は深夜1時を回ろうとしていた。わたしは母の家から歩いていける距離に仕事部屋を借りている。そこまでなんとかタクシーでいって、5時を過ぎたら歩いて母の家までいこう。わたしは半べそで11社目のタクシー会社に電話をかけた。電話に出た担当者は明らかに寝ぼけ眼だったが、一時半には配車できるといった。11社目のタクシー会社はわたしの名前を知っていた。もちおが緩和ケアに入院した日、元いた病院に置いてきた車を取りに行くため使ったタクシー会社だった。あのときもギリギリだったけれど、今回もギリギリのところで助けられた。人生にはさまざまなギリギリがある。

 

わたしは仕事部屋で2時間少々眠り、5時に仕事部屋を出てまだ暗い空にくっきりと輝く細い月を見ながら無駄に早く母の家に着いた。そして無駄に早いバスで無駄に早く空港へついて6時55分まで開かないカウンターを横目に自動チェックイン機でチェックインをすませ、7時50分まで開かない搭乗ゲートの前で無駄に列を作り、朦朧としながら出発ゲートにたどり着いた。よく倒れなかったと思う。早め早めに動けば余裕ができるといっても物には限度というものがあることを母になんとか学んでもらいたい。

 

金海国際空港と釜山

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福岡空港から90分、あっという間に釜山の金海国際空港へ着いた。飛行機はブルーを差し色にオレンジと白を基調としたかわいいチェジュ航空のもの。飲み物などのサービスはなく飛行機は6人掛けで30列ほどだったので200人弱の小さなものだが、通路や座席はとくに狭くもなく、椅子はむしろいい。釜山経由で福岡空港からセブ島まで二人でざっくり4万円。驚きの安さである。右も左もわからないままSkychicket で検索して買ったので「本当にこの金額なのか」「実は一人分なのでは」「追加料金が別にあるのか」と今日この日までハラハラしていたが、本当にざっくり4万円でセブまでいけるらしい。

 

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金海国際空港福岡空港国際線と同じく中規模のこじんまりした空港で、3階の飲食店街には韓国料理、タイ料理、麺とどんぶり物の店、スタバチックなHolly cafe というコーヒーショップがある。搭乗ゲートがある2階には小さな本屋、薬屋、イートインつきのパン屋があった。隣に国内線があり、空港前には市街地へ向かうモノレールが走っている。

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空港内の韓国料理レストランでわたしはテールスープ定食、母はタニシのスープの定食を食べた。どちらもキムチが三種と茎わかめなどついていてとてもおいしい。どの店員に声をかけても英語で話ができる。「わー、韓国語話せない人だ、困ったな」という顔を誰もしない。福岡空港博多駅周辺で同じことをしたらどうなるかを考えると韓国は国際的だと思わざるを得ない。

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金海国際空港ではいろいろなことがあったが、いちばん衝撃的な思い出は今回の留学のために作ったSonyのvisa デビッドカードのPINコードがわからなくてお金がおろせないということだった。

 

わたしは暗証番号に使うごく個人的な人生の記念日をいくつか持っている。そのどれもヒットしないまま3回間違えてしまった。これ以上間違うとカードが使えなくなる。そういえば口座を開設するとき、これまでと違う番号を設定したような気がする。あのときはもちおの死で頭がいっぱいだったため、思い出になるものがひとつでも多くほしかった。それでこれまで使ったことのないもちおに関する番号を入れたような覚えがある。

 

4回目も間違えてカードが使えなくなったらどうしよう。いや、もう使えなくなってしまったのではとまたもやハラハラしながらオンラインで番号確認をしようとして気が付いた。旅先でなくしては困るので「ワンタイムトークン」と呼ばれるセキュリティキーを家に置いてきたのだが、あれがないとオンラインで番号変更や確認ができないらしい。

 

ソニー銀行のデビッドカードなら手数料なしで海外から外貨が引き出せます」 という触れ込みだったが、このままではクレジット機能そのものが使えなくなる。でも大丈夫。わたしには楽天カードがある。いざとなったら手数料はかかるが、楽天カードのキャッシングで現金を引き落とせばいい。苦労して取りに行ったが、楽天カードを持ってきていてよかった。念のためにキャッシングの手順を確認する。

 

確認すると果たしてキャッシング枠は設定されていなかった。設定は書類など介さずこのままwebからできるが、もちおの死によって変わった家族構成や世帯収入、世帯主となったわたしの収入や預金残高などに不備があった場合はキャッシングさせないし何ならあとで出るところへ出てもらうといった文言が書いてあった。わたしは震えながらプロフィールを書き直し、あとは搭乗時間までひとり散策にでかけた母が戻るまで空港周辺で大人しくすごした。釜山観光どころではない。

 

マクタン空港とセブ島

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韓国時間21時50分に飛行機は金海国際空港を離陸し、フィリピン時間0時20分にセブ島についた。機内モードにしていたスマホの時間が1時半を回ったので「飛行機は遅れるものだけれど、尋常な遅れ方じゃないな」と首をかしげていたが、Wi-Fiが繋がるとすぐに時刻は0時台に戻った。

 

セブ島は通年雨季のようなところで、11月でも初夏の暑さである。直前に雷雨が来たので湿度が特に高い。ダウンコートとショールとカーディガンをバッグに突っ込み、大急ぎで冬支度から夏の装いに着替える。

 

オープンしたてのマクタン空港新ターミナルはツルツルの大理石に円柱がそびえ立つ堂々とした施設だったが、どことなく緊張感があった。先ほど後にした釜山の金海国際空港はこじんまりしていたがどこもかしこもピカピカで活気があった。空港にはめっちゃ仲のよさそうな普段着のおっちゃん、おばちゃん、ちびっこ、そして韓国ドラマに出てくるようなおしゃれな美男美女、まさにそのままの空港関係者がそこら中にいた。釜山にはこれから伸びていく国の活気があり、母もわたしもそこに圧倒された。

 

釜山からやってきたバカンスへ向かう韓国人たちはわいわいキャッキャッと税関前に長蛇の列をなしている。一方フィリピン人の空港関係者はコンベアに流れてくる部品でも見るような目で我々を捌いていく。フィリピンの警備員の目は夜も遅くて眠いせいとも思えない調子で弛緩しているのに、萎縮させられるような鋭さと緊張も宿してしており、デフォルトで厳戒態勢という雰囲気があった。非常に物々しい。釜山とは違う意味で圧倒される。

 

びくびくしながら税関を通過し、表に出るとゲート前に3Dアカデミーの日本人スタッフがプラカードを持って立っていた。「ゲートを出てからスタッフの方を見つけられるかしら?」と例のごとく気を揉んでいた母と気を揉む母に気を揉んでいたわたしは同時にホッとした。ここからタクシーで学校の近くにあるホテルへ向かう。しかしホッとしたのもつかの間、我々の期待と不安はこのタクシー乗車を境に、一気に不安優勢となったのだった。

 

セブ島交通事情

深夜の街を右左折しながらタクシーは慣れた様子ですいすい走っていく。路上にはジプニーと呼ばれる派手な循環乗合い車やバイクが何台も走っており、いたるところで人が車道を横断していく。運転手はまったく気に留めない様子でその間を走る。信号はほとんどないようで、いい感じでスピードが出ている。たぶん60km/hは出てる。ウィンカーは出さない。

 

「70代の母が一緒に留学したいと申しております」と学校へメールを出したとき、「学校前の道を横断していただく必要がありますが、問題ありませんか」というご返事をいただいた。母は道をひとりで渡れないほど弱ってはいないが、70代とは世間的にそういう年齢なのだろうか。あのメールの意味がよくわかった。この交通事情で道路を横断するのは70代にはきつい。というより、日本人の大半にとって全年齢的にきついのではなかろうか。

 

ホテルから学校までは距離にすれば歩いて10分もかからない。強健で早歩きな母なら5分もかからない距離だ。しかし道中二車線の道路を2度渡らなければならない。道路には止まることを知らない猛者たちが粉塵を上げて身を守れるギリギリの速度で走っている。

 

4年前ハノイに2度行ったが、交通量でいえばハノイの方がずっと多かった。ほぼ鳴らしっぱなしでもはや意味をなさないクラクションが早朝から深夜まで休むことなく響き渡るハノイの道路は8メーター幅でも渡るたびに覚悟が必要だった。

 

セブのドライバーたちはハノイのドライバーほどクラクションは鳴らさないし、道路もハノイほど混雑していない。しかし前の車が遅いから進めないという小田急線状態でやむなくスピードが落ちていたハノイと違ってそこそこスピードが出る。車の前に人がいたら止まればいいと思っているのかクラクションもハノイほど鳴らさないので、一心に前を向いて渡り切ろうとしているあいだ、どの程度車が迫ってきているのかわからない。

 

「食事は学校で三度出ます。食事の時間になったらホテルから学校へきてください」といわれたが、大袈裟な話ではなく、食事のたびに命懸けである。「気を付けてください。こっちの運転は本当に危ないので」「何人くらい撥ねられましたか」「留学生ではまだ」現地滞在3ヵ月目というインターンシップのスタッフは曖昧な笑顔で答えた。

 

約30分で到着したホテルの周りは暗く、臭かった。粉塵に様々な臭気が入り混じった臭い。ハノイで嗅いだ臭いだ。ひび割れたアスファルトと建設途中で放置されたむき出しのビル、倒壊寸前で放置されたコテージのあいだに生い茂る雑草と鬱蒼とした南国の樹々。軒下のコンクリートに何も敷かずに横たわる痩せた老婆、汚れたTシャツを着てゴミと埃だらけの道端にたむろするあんちゃんたちと痩せた野良犬が怖い。「学校では犬には近づかないように指導しています」とスタッフがいう。 スティーブン・キングの「クジョー」が脳裏をかすめる。怖い。ここはリゾート地でもなければリゾートホテルでもないのだと思い知らされる。

 

フロントではなく裏手のスタッフルームのようなところでチェックインをした。深夜2時近いせいか小さな机に突っ伏して眠っている受付をスタッフが揺り起こす。縦書きで「ちから」と書いた黒いTシャツを着た小柄の太っちょあんちゃんがルームキーをくれて、スーツケースを運んでくれた。

 

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ホテルの部屋は広々として天井が高く、ベッドのマットレスは大きく心地いい硬さだった。ビジネスホテルなら広さにして3室分くらい、ドミトリーならベッドは5段くらいいける高さがある。窓が開かず、エアコンはやかましく、バスタブはなく、お湯は生ぬるい。


新品のバスタオルはあるが、ハンドタオルやバスマットはない。コップも歯ブラシもアメニティ類もないが、これらは学校前のマーケットで買える。ドライヤーもないが、借りられるらしい。電気ポットはないが、廊下にお湯と水が出るウォーターサーバーがある。


学校とホテルでは学校が提供しているwi-fiが繋がる。PWは「すべてあなたの未来のために」となっていた。

 

わたしはしっかり歯を磨き、うがいをして、できるだけ喉と鼻の埃を落とした。学校から配られた手洗いうがいを推奨する注意書きには「アメーバ赤痢」など物騒な文字があり、ビビる。明日は鼻うがいもしよう。それから「うるさいより暑い方がましだ」と思い、轟音を立てるエアコンを止めてベッドにもぐりこんだ。金海国際空港では日向ぼっこをしながらベンチで横になっていた。日を浴びた日はよく眠れる。連日の寝不足を解消すべく今夜はたっぷり眠ろうと思ったが、母が早め早めに朝食を食べに行こうと言い出すのではないかと危惧して一応8時に目覚ましをかけておいた。さすがの母も翌日は10時過ぎまで起きてこなかった。

*1:あとで知ったのだが、少し前にタクシーの労働基準法が変わって24時間フルで運転するのは禁止になったのだそうだ。そのため取得を義務付けられた3時間の休憩を一番お客の少ない3時から6時あたりに取る運転手が多く、その時間はタクシーがないとのこと。