夫を亡くしてセブ島に留学することになった その3

母を同行しての留学許可が出た。母の留学費は自腹である。「やっぱり考えさせて」と言い出すんじゃないかと思いながら電話をかけた。

よし、わかった。パスポート発行が間に合うことを祈るばかりだ。

 

今回の招待のことで

 「おめでとうございます!楽しんできてくださいね」

と言われると「ありがとうございます、楽しんできます」と答えられるけれど、

「嬉しいでしょう?楽しみでしょう?」

と言われると、正直嬉しさや楽しさは全くない。不安しかない。国内旅行はしょっちゅうするけれど、わたしはこれまで海外渡航の手配を自分でしたことがない。

 

はじめての海外は台湾人の友人を訪ねていった。彼女の夫がチケットを手配してくれたのだけれど、チケットの氏名と彼女がうろ覚えで記憶していたわたしの名前が違ったために土壇場で4万円追加で必要になった。「これ、名前が違うみたいだけど」と伝えたときに「なぜ早くいわない?!」と切れられ、帰国前の手続きをなかなか言い出せず、おずおず切り出してまた切れられたことが忘れられない。*1台湾での日々は本当に楽しく人生を豊かにしてくれたけれど、「海外旅行、難しい!」という印象が胸に刻み込まれた。

 

二度目の海外は5年前に父の代理でいったベトナムで、このときは夫がすべて手配してくれた。パスポートを紛失したので再発行したが、夫に言われるままにパスポートセンターへいって、言われた通りに書類を書いて出した。わたしは荷造りをして、現地では夫の言いたいことを一生懸命英語で話した。しかし夫がどうやって飛行機と宿をおさえ、Wi-Fiルーターを借りたのかは知らない。三度目の海外は翌年のベトナムだったが、こちらは父の友人の奥さん連中に同行しただけで、何から何まで至れり尽くせりのガイド付き旅行であった。

 

わたしは結婚するまで「やるな」と言われたことまで何でも自分でやる子だったけれど、結婚してからは夫が家事と家計管理以外のことは何から何までわたしにしてやりたがった。車の運転はおろか*2、日中国道沿いの歩道を歩いてホームセンターへ買い物へいったことまで心配される。

 

どこへいくにもついて来て、どこへいくにも迎えに来た。「あなたに会いたいのに、結婚してから旦那さんも来るから楽しくない」と友人にいわれたこともある。二人きりでいたがるので、家に友人を連れてくるといい顔はしない。Twitterはてなハイクにも嫉妬する。その代わり頼み事はだいたい何でも「もちおやったげよう」という。

 

わたしは初孫のように甘やかされた。そして数々の紛争を経て、かつては自力で奮闘していたことを徐々にもちおにゆだねるようになった。それは親元を離れて、というより長女の看板を背負って何もかも自分でやる気でいた人生のなかで初めて味わった居心地のいい日々だった。困ったら何でも相談していい。出来ないことはなんでも助けてもらっていい。出来るかどうかは別として、もちおはいつでもなんでもやってやりたがった。もちおは仕事時間以外は忠犬のようにわたしのそばを離れなかった。

 

こうしてすっかりスポイルされ、ここへ来てひとりで初めて海外旅行の手続きをする心理的なプレッシャーはすごい。正直とてもやれる気がしない。一人暮らしがここまで切羽詰まっていなかったら、そして三食宿つき掃除洗濯つき個室wi-fi使い放題で英会話を無料で学べるなんて機会に恵まれなかったら、まず挑戦する気にならなかったと思う。

 

もちおはベトナムが初海外だった。渡航に際して仕事のことで行政書士に頼めといわれた手続があったらしいが、「自分でやれば無料なんだよ」とあれこれ調べて結構なお金を節約した。父は大体のことは金か腕力に物を言わせて解決する男がだが、もちおは知恵と知識で事に当たる。そのときもちおが読んでいた本が書斎にあった。

 

 

これを頼りに何とか航空券をとってみようと思う。自立への旅である。一か月じゃ短いんじゃないかという声もあったが、正直いまは英語より人のいるところで三食食べらて暮らせたらそれでいい。生きていたら英語を学ぶ機会はこれからもあるだろうけれど、夫の思い出に囲まれて、このままこの家で生き延びるのは難しいからね

 

まずはマニラを経由せずセブ島へ直行する便を自力で買って自力で空港にたどり着くことから。そうそう、母も忘れないようにしなくちゃ。 

ceburyugaku.jp

 

*1:待ち合わせをしていた空港には来ないし、帰国前夜に日本語が話せないまったく初対面の台湾人の家に泊まれと置いて行かれるし、波乱万丈な旅だった。「台湾には関係を円滑にするために謝るというのは文化はないのだなあ」と何度も思ったが、いま思えばごり押しの大船宣言からの自己責任論という流れは台湾人というよりヨーロッパが長かった彼女の個性だったようで、現地で会った人は切なくなるほど親切でやさしかった。

*2:車なしには暮らせない山の中で何年もマニュアル車を運転して暮らしていたにも関わらず、夫はわたしがオートマのギアを変えるにもハラハラした。ぐちぐち言わなくなったのはマニュアル車での坂道発進をわたしに教わってからだった。