人生勉強とその特典

ひとりになったと聞いて電話してきた友人から「痩せたんじゃない?」といわれる。

 

「これ以上痩せようがない」と言いながら体重計を出したら43.3kgだった。ここ10年の平均体重は45.5kgくらい、看病疲れで最も痩せたときで44.3kgで、43kg台は中学生以来だ。当時は身長が165cmほどだったが、現在は175㎝ある。こちらは今年1cm伸びた。

 

身長175cmで43kgはBMI14.4である。空腹時は1kgくらい軽くなるからと翌日量りなおした。42kgだった。BMI13.71である。画像検索すると目を覆いたくなるような危機的な身体が並ぶ。

 

もちおは胃が唾液すら受け付けなくなった6月からの3ヵ月、高濃度栄養点滴で命を繋いでいた。ガンは増殖するためのブドウ糖が手に入らなくなると容赦なく筋肉を分解して消費する。筋骨たくましく妻を軽々と抱き上げていたもちおは夏に入ると捕虜になった日本兵のように骨と皮になり、眼窩に落ちくぼんだ目玉をぎょろつかせていた。

 

これまで自分は痩せすぎだと思ってきたけれど、もちおと比べてわたしはなんて健康的な身体をしていることか。しなびた風船のように垂れ下がるもちおの尻の肉が座りダコで浅黒く変色するのを背後から見るたびわたしの胸は痛んだ。98歳で他界した祖父の尻のようだ。かつてわたしはもちおのぷりぷりと筋肉ではち切れそうな尻が特別すきだった。

 

「食べなければダメだよ、あなたが倒れたら誰がもちおさんの面倒をみるの」と誰もがいった。難しいことをいうなと思った。わたしだって時間と食欲と栄養バランスの整った食事があれば食べますけどね。意識しないと朝から水を飲む暇だってないんですよ。24時間目を離せないひと、目を離したら命に係わるひとのそばに一週間でいいからいてごらんなさい。乳児や障害を持つ子供をみるひとり親は、もしかしたらこんな風なのだろうか。

 

およそ二年半の闘病補佐の役目を終え、わたしにはいま時間がたくさんある。主婦から寡婦への煩雑な移行手続きと糊口をしのぐ仕事と一人分の家事があるとはいえ、24時間緊急体制という暮らしはひとまず終わった。湯水のようにかかる医療費を支払う必要ももはやない。物理的には好きなだけ手の込んだ料理をする時間がある。しかしそうするだけの体力と気力がない。

 

100%の善意から「食べてください」といわれるたびに「飛んでください」といわれているような気持になる。無茶をいうな。買い物をして料理をするだけの、いやその前に身体を起こして服を着替えるだけのことに、いまどれほど力がいるか、わかってんのか。しかしこの状況を一から説明するのも、善意の気遣いに言い返すのも虚しいので曖昧に礼をいう。

 

まったく予想外のことだが、母が、例のあの人間離れした美しい母が、もちおが息を引き取るまでの二週間とその後のわたしの胃の腑をひとりで満たしている。

 

母は娘とともに泣くといった感情労働に時間を割く代わりに連日せっせと弁当を作っては病院へ届け、もちおがみまかってからはわたしを家に呼んで食事をさせた。わたしが母の家へいくだけの体力がない日には食材をもってバスを乗り継いでやってきては料理をした。

 

夏からずっと何を食べても胃が痛い。美味しいとも思わないので、あれこれ雑事を片づけながら二口三口食べたところで食事をしていることを忘れてしまう。しかし母の料理だけは一口目からハッとするほど美味しく、見慣れぬ場所で警戒心をあらわにする犬のように緊張し続けている胃袋も、飼い主に再会したかのように母の料理を歓迎した。

 

「食べなさい」と母はいう。美味しいので食べる。食べながら「なぜ食べなきゃいけないのかな」とぼんやり不思議に思う。いいんだよ、食べなくても。断食は身体にいいんだから。身体に悪いものがたくさんあるんだよ。もちおはそれを食べ過ぎてがんが治らなかったんだよ。もっちゃんは食べたいものがたくさんあったのに、食べられなくなっちゃった。またよくなったらあれが食べたい、これを食べたいっていってたな。あれを聞くのはつらかった。「ちゃんとご飯を食べなくちゃだめよ。いい年をして、ママがいなかったらどうするの」

 

「ママがいなかったらどうするの」? 思わずおかしくなって笑ってしまう。わたしはずっとママがいなくなってからひとりでやってきたのだ。いよいよひとりでやれなくなってからはもちおとふたりでやってきたのだ。皮肉な笑いではない。母がまるでわたしの母親だったころ、わたしを守る大人だったころのように、これまでの愛憎と悲喜こもごもを忘れ、娘を必死に生かそうとしていることがなんだかホームコメディのようでおかしい。まるで、まるで、娘を愛する世話焼き母さんみたいだ。

 

もちおの病と死と、それにともなうドラマはわたしの人生をまったく知らなかった世界につれていき、そこでわたしは数多く学んだ。人生勉強の授業代は先払いの着払いで頼んだ覚えもないのに強制的に執行される。もしもあらかじめ誰かにもちおの命と引き換えにこういうことを教えてやるといわれたら、そんな取引お断りだと激昂しただろう。でも事は起きてしまった。

 

こうして届いた大小の小包の中に思いがけない母の姿があった。もう二度と会うことはないだろうと思っていた、泣きたくなるような懐かしい母の姿が。