さみしいひとに旅をさせよ

採算度外視で、闇雲に出張を入れている。一人になったら仕事をしながら旅をしようと思っていた。

交通、宿泊の段取りをして、さらに仕事にかかる諸々の経費を計算する。わくわくもしないし、うれしくない。わたしは旅先でぐっすり眠れる質ではない。靴が入らないくらい脚が浮腫み、歪んだ骨が痛んで復路はびっこを引いていることもある。

それでも仕事を入れていたのはお金のことももちろんあったが、もちおと二人きりの密室看護生活から仕事と称して逃亡をはかる面があった。看護で思い知らされる無力感を仕事の成果で埋め合わせてもいたと思う。

けれど、はたと気づいたことは家以上に安心できるところはなく、その家がもはや安心できるところではないということだ。

何より旅から帰って待ちわびる人の待つ家に帰り着くあの喜びで旅が完結するしあわせがいまはもうない。旅先から受話器越しに聞く声の新鮮さと懐かしさも、旅の思い出を話ながら帰る助手席の心地よさも。

神無月に出雲へいこうと約束していた。だから出雲へいこうと思う。そのためだけに車を手放さないでいるようなものだ。出雲に仕事があるかどうかは知らない。出雲へいこうと話した日々が遠くなる前に、夕暮れの黄泉比良坂を横目で見た去年の春と地続きのあいだに。その先のことは知らない。