アル中とだけは結婚すまいと固く心に定めていた

遂に点滴外したら水も摂れないというところまできた。

ここに至るまで数限りなく別ルートへの分岐があったのにもちおは尽く逆へいった。

忸怩たる思いだ。

 

もちおを見ていると糖尿病を患っているアル中を見ているような気持ちになる。

パニック映画で屋上へ逃げるやつ、デッドエンドに逃げ込むやつを見るあの気持ち。

ホラー映画で遊び半分に呪いの封印をとく酔った若者たちを見るあの気持ち。
なぜなんだ。なぜそっちへいくんだ。崖なのに。後がないのに。

 

「元気になったらモスバーガーかき揚げバーガーが食べたいな」

と言いながら、妻が知力体力資力を総動員してかき集めた各種脱出ルートを横目で見て

「あとで調子がいいときに気が向いたらいく」

「そっちの道いってもだめに決まってる」

と書斎に籠っていたもちお。

もうスマホipadもほとんど見ることができない。

 

本当にこいつはいうことを聞かない。

そして防御力が異常に低い。自暴自棄にもほどがある。

夜は蹴とばした布団の横で縮こまって震えているし

痛み止めの場所を念押ししたのに飲まずに明け方七転八倒する唸り声で目を覚ます。

 

片時も離れず傍にいてほしがり

甲斐甲斐しくなでさすってほしがりながら

脱出ルートへ向かわないもちお。

まるで妻の提案を撥ね付けることが自立のあらわれであるかのようだ。

それでどういう結果になっても悔いはないというならわたしも心安らぐ。

でもそうじゃないのよね。

甘いものを食べ、歯磨きをせず、歯周病が治ればいいなあと思っているような。

抜けた歯は戻らないのに

一度抗がん剤が効いたように見えたものだから

また歯が生えてくると期待するように

10%の見込みしかないといわれた抗がん剤にすがっている。

 

たとえ10%に該当しても

がんは慢性病なので

慢性病とつきあう暮らしができないときつい。

わたしは15歳から慢性腎炎だけれど、腎臓病とは上手くつきあえている。

もともと薄味が好きで、酒も煙草も激しい運動も嫌いだから普通に暮らすだけでいい。

 

もちおは無茶をして自分を絞り上げるのが好きで

どこまで無茶ができるかぎりぎりまでやるようなところがあり

運動習慣だの食生活だのに気を使うだのはすきではない。

高熱を出して寝込むとか、怪我で動けないとか

生理的な制約がないと自分を守る暮らしをどうしてもやらない。

 

あるいはトレーナーがつくリハビリだったら違ったかもしれない。

課題をクリアするために異常な努力をするのはすきなのだ。

闘病仲間や仕事仲間がいたら違ったかもしれない。

でももちおはわたし以外の人に会いたがらない。

 

無茶な運転をする人が一生事故に遭わないことはそれなりにある。

いつも制限速度を守っている人なんていない。

でも土砂降りの雨の中で

それまでと同じような無茶な運転をすれば

事故の確率は飛躍的に高まる。

「制限速度なんてトロトロ守っていられるか」メンタルの人を横で見ていることしかできない。

 

「がんになったのは俺のせいか。俺が悪いっていうのか」ともちおはいう。

悪天候に襲われるのはめぐり合わせだけれど

そこでどんな運転をしたのかは自分の選択だ。

病に襲われるのは運だけど、病と向き合った結果は自分にある。

代わってやることはできない。

ほんとムカつく。やりきれない。泣ける。