手書き文字の力

古代ギリシア研究家の藤村シシンさんが講座用に作ったレプリカの銅板に書いた文字に、呪術家の黒川巧さんがダメ出しをしていた。

 

 

 

 

近年わたしは手書きで文字を書く機会が激減している。文字を書くのはスケジュール帳のメモと手紙くらいだ。

 

Amazonの欲しいものリストからたびたびお見舞いを送ってくださる方がいて、感謝の気持ちを伝えたくてレターセットを持ち歩いているが、なかなか書きあがらない。

 

いまの薬は毎週朝から検査をし、診察を待って、数時間かけて点滴をする。朝の通勤ラッシュに出かけ、早ければおやつ時に、遅ければ5時過ぎに終わる。

点滴を待つあいだ枕もとで手紙を書こうとレターセットを広げて書き始めるが、さて、手紙というのは心が浮足立っているときはいつも以上にまとまらない。

 

はじめは院内のレストランや喫茶店へいって飲み物を片手に書けばいいと思っていた。

「点滴中、わたしにここにいてほしい?」

「カフェにいってていいよ」

「いてほしいか、いてほしくないか聞いてるの。どっち?」

「大丈夫だよ、いってきなよ」

 もちおのこういうところがわたしは嫌い。

質問に答えず、質問の意図を裏読みして、望まれているであろう答えを返すところ。

こうした腹の探り合いは定型発達者のあいだでは喜ばれることだと知っている。

でも、家族で切実な要件をやり取りするにはまったくの無駄ではないか。

 

 「いくかいかないかはわたしが決めるよ。どっちがいいか聞いてるの。いない方が気楽で心置きなく眠れるなら出掛けるし、いた方が心強いならいるし」

問い詰められたもちおは弱々しい微笑みを消して、ムッとしながら真顔でいった。

「そんなのいてほしいに決まってるだろ!俺がいつもはてこさんと一緒にいたいの、知ってるだろ!」

「だったらそういいなよ」

わたしはひとりでいたいときに枕もとに人がいたらいやなので聞くのである。自分が眠っているのにもちおが枕もとで起きて待っていたら心苦しい。

しかしもちおは何もすることがなくてもわたしに傍にいてほしいのだ。

家でも、用もなくやってきて隣に座ったり、傍らに呼んで「ここにおって」と懇願することがよくある。

ここにいてほしいと思っている病人を置いてカフェにいきたくない。

病室だって、なんなら手術室だって、いてほしいというならいてやりたい。

 

しかし化学治療室のベッドの枕もとというのは何とも落ち着かない場所である。

椅子に座ってレターセットを広げられるだけの棚はあるが、どうにもこうにも居心地が悪くて、疲れる。

いっそもちおのベッドの隅にわたしも横になりたい。

入院中はときどきそうして横になっていたが、化学療法中は点滴を何度も取り換えるし、邪魔だろうと思う。ベッドは一人分ぴったりの広さしかない。

 

また、病室で書く手紙は湿っぽくなりやすい。お礼の手紙がいつのまにか暗くて重い打ち明け話になってしまい、これはアカンと反故にする。

立派な手紙が書きたい。

読む人が明るい気持ちになる手紙、笑える手紙、元気になる手紙。

 

上手な手紙を書くのは一種の才能だ。

かつてわたしは手紙魔で、数えきれない人たちと文通をした。

手紙は10通出して3通返ってくればいい方で、そのうち1人と手紙が続けば大収穫。

そのくらい手紙の返事は返ってこないものだった。

それでもわたしは暇を見つけてはことあるごとに手紙を書いた。

 

けれども、これだけ努力した割に、わたしの手紙は癖のある字がだらだらと続くまとまりのないもので、後年振り返って燃やしてほしいと思うようなものも多々ある。

大人になったら自然と字も大人びて、美辞麗句を駆使した流麗な文章を書けるようになると無邪気に信じていた幼いわたしが気の毒だ。

 

手書きの手紙が主流だったころは色々な人の手紙を読んだ。

短くウィットに富む手紙をくれる人

自分のことを特別思ってくれていると皆に思わせる心くすぐる手紙を書く人

美しい文字と風雅な言葉で畏れ多い手紙を綴る人

 

一番心に残っているのは、毎度原稿用紙の裏やレポートの反故紙の裏に尺取虫がのたくったような大きな字をボールペンで書いてきた人。旅先で知り合って、その人が十代の終わりから二十代の半ばまで、ありのままの近況を時折やりとりするのが楽しみだった。わたしが本当につらい状況に置かれたとき、誰にも書けないような心を打たれる手紙をくれた。

 

こうして書いて思い出したけれど、彼は自分をよく見せようという気がまったくなかった。それがあの手紙のいいところだった。

いや、「飾り気がないところがよかったのだ、わたしも見栄を捨てて」と一瞬思ったが、彼の若々しさ、白木のような明るさと清廉さがよかったのであって、いまのわたしが「見栄を張らず飾らない手紙」を書いたら、受け取った人を鬱々とさせる手紙になってしまうかもしれない。

 

「文字が文字以上の力を持つと信じよ」と黒川さんはいう。「文字は記録やコミュニケーションのためだけの記号ではない」。

 

「ありがとう」という文字に見える悲喜こもごもが伝わる手書き文字の手紙は、だからこそおもしろいし、調子が悪いときはどうにもこうにも上手く書けない。