はあちゅうさんの江戸風ジョーク

眠い。喫茶店でもちおが珈琲飲み終えるのを待つ間に眠ってしまった。

雑記がんばるパーソン。

 

はあちゅうさんの本を二冊kindleで読んだ。

リンク貼ったり、検索したりすると手間なのでまたいつか。

自分に取材するという本と、ゲスな話題の動画書き起こしのやつ。

以前にエッセイ集らしきものを読んだけれど、そのときは何の印象も残らなかった。

しかし今回一連の騒動で、ヨッピーさんの「はあちゅうにやさしくしてあげて」をはじめ、彼女を支援する人たちの熱に触れ「はあちゅうさんすごい人望あるな」とびっくりして興味がわいたのだった。

 

「自分に取材する」の方は、普通によかった。

いまの自分の働き方と重なる部分があり、なかなか同じ境遇の人に出会わないので書き手の知名度や話題度関係なく参考になった。若いのにひとりでストイックに仕事に打ち込む人だ。頭が下がる。しかしやっと話が興に乗ってきたところで本が終わったのにはがっかりした。短いのが売りのシリーズらしいけれど、少し短すぎる。もう少し読みたいと思わせる本だった。

 

「ゲスな動画の書き起こし」の方も、よかった。こちらはわたしにとって異世界で、深夜のカフェやバーで片寄せ合ってひそひそキャッキャッしている若者(アラサー)男女の内輪話を垣間見るようだった。話には加われないし、いっしょにはしゃぐことはできないけれど、ただもうひたすら未知の価値観が新鮮だった。

 

そして主にこの2冊目で、はあちゅうさんがやたらに叩かれる理由のひとつがわかった気がした。

 

はあちゅうさんはいわゆるオタク受けするタイプの「黒髪、清楚(やや野暮ったい)、処女、内気だけど面倒見がよく家庭的、潔癖だけど押しに弱くはっきりいやと言えない or 言っても迫力ないので聞いてもらえない」とはことごとく逆をいっている。

 

つまり「茶髪、ルーズ(都会的垢抜け寄り)、交際経験豊富、社交的だけど人に構うのは嫌いで家事をするより他にしたいことが山盛り、下ネタバッチこいだけど嫌な奴には断固付き合わない or 口に出さずとも近寄りがたいオーラで拒絶」。

 

こういう人から童貞w童貞wwと草をはやされては普通以上に神経に触る。ところがはあちゅうさんが暮らす世界では下ネタはコミュニケーションツールとして貴重なものらしく、過去の男女関係が白紙ではコミュニケーションの取りようがない。

 

皮肉でもなんでもなく、こんな世界があるのかととても新鮮だった。わたしは近しい人とも、夫にさえおよそこうした個人的な男女関係の下に関わる話はしたことがない。十代はほぼゲームやアニメに夢中なオタのみなさんのあいだで過ごし、二十代以降はクリスチャンとして非常に厳格な戒律に従って生きていた。どちらの世界も童貞、処女はデフォルトで、非処女、非童貞は異常ステイタスだった。

 

男女関係が天気の話題のように頼りにされ、下ネタがコミュニケーションツールとされる世界にいたら、童貞いじりを責められるのは納得がいかないだろう。はあちゅうさんにとって童貞いじりを謝罪するとは、苛烈な童貞叩きにいそしむ仲良し支持者をもろとも断罪することだ。今回童貞いじりの件で彼女を擁護していた男性陣はいかに口を極めて童貞叩きをしていたことか。あとで「なんで謝ったの?」「俺も謝らなきゃいけないかな」と皮肉や嫌味のひとつもいわれそうだ。

 

ゲス動画書き起こし本にははあちゅうさん自身が経験した電通内でのセクハラ、パワハラを匂わす話もあった。また知人の若い女性が、接待の場か何かで上司の乳首に塗った生クリームを舐めさせられたという話も出てきた。

 

話を聞いていたはあちゅうさんの男友達はドン引きしていたが「正直そのくらいは普通にある。乳首でよかったと思ってしまうくらい」とはあちゅうさんはいっていた。そういう世界で、そういうものだと思って笑い飛ばして生きてきて、それでも堪忍しきれないことが今回の告発だったのだろう。

 

「自分がパワハラ・セクハラで嫌な思いをしたくせに他人をセクハラ発言でからかうなんて矛盾している」という意見が多数見られたが、これは矛盾ではない。オーバーワークも、セクハラ・パワハラも、モテ地獄的価値観を競うことも、すべて繋がっている。これだけ根深く複雑にしみ込んだ価値観が一朝一夕で覆るわけがない。

 

暁烏(あけがらす)という落語がある。純で素直な大店の坊ちゃんを男衆が騙しうちで吉原へ連れていき、泣いて嫌がるところを部屋に押し込めて花魁に無理やり筆おろしをさせるという話だ。

 

柳家三三は去年、一昨年と九州方面へ来るたびこの話をやった。おそらく三三は古典落語の練習に九州を使ったのだと思うが、わたしはこの話が大嫌いだ。親思いで子供好きな信心深い坊ちゃんの意思、身売りされてきたのであろう花魁の意思を、まわりの男が踏みにじり、通過儀礼と称して面白半分で関係を持たせる。最悪だ。

 

これに限らず落語は現代の価値観でみればおかしな話がたくさんある。それでも優れた話には人の心がいつの時代も、どのような文化にあっても変わらないのだとおかしく、あるいは悲しくなるようなくだりがあり、興味深い。

 

はあちゅうさんの童貞いじりは江戸時代のユーモアセンスがある。要するに古い。なぜ古いジョークを言いたがるかといえば、はあちゅうさんがいる世界を構成するメンバーの頭が古いからだ。頭の古いおやじと名誉おやじが占める勝ち組の世界では江戸時代の感覚がいまも最新ジョークとしてもてはやされるのだろう。

 

はあちゅうさんが少し前に独身者を蔑むのはやめろと書いていた。こうした頭の古いメンバーの中でも独身=負け組という価値観は滅びつつあるのだと思う。はあちゅうさんが関わる相手を変えるか、関わっているメンバーが価値観を変えるか、どちらが早いかわからないが、今回はあちゅうさんがセクハラを実名で訴えたことで双方の関係は変わっていくに違いない。

 

男は女を食い物にしていい、食われる女には価値があり、食った男にはなお一層の価値があるという江戸風の常識を保持するこうした頭の古い人たちが、早く変わってくれますように。現状ではどんな風にはあちゅうさんにやさしくしていいのかわたしにはわからないけれど、はあちゅうさんが親しい人たちのあいだで好かれているのはよくわかったよ。いつか仕事を通じて会ってみたいと思った。