氷の下の深い水

電車の中で幼い兄弟が騒いでいる。乗客はうんざりしながら傍にいる父親の顔を見つめるが、父親は我が子の醜態にまるで気づかない。ついに見かねて父親に声をかける。

「失礼、お子さんが少し騒がしいようですが」

父親は夢から醒めたように顔をあげ、力なくこう呟いた。

「ああ、そうですか。さっき病院で妻を亡くしまして…子供たちも混乱しているようで…」

父親の言葉に車内の空気は一変した。

 

これはスティーブン・R・コヴィーが「七つの習慣」で紹介したエピソード。*1

 

幸福な家庭はどれも似ているけれど、不幸な家庭は千差万別だと言ったのはトルストイだったか。「電車で騒ぐ子供は躾がなっていない」「父親は息子に甘い」といった紋切り型の理解では世の苦境を想像する力は育たない。

 

人が抱える悩みの底は深い。自分でも何が沈んでいるのか忘れてしまうほどだ。

 

「確かに妻が亡くなれば葬儀や諸手続きで忙しくなるだろうし、今後は困ることもあるかもしれないが、電車に乗っているあいだは妻が生きていても死んでいても変わりはない。視点を切り替えれば普段通り子供をおとなしくさせられる。そのためには、」といった血肉の通わない合理性で人の痛みを軽視する処世術になんの発展性があろうか。

 

こういう想像力に欠けた発言をするのは我が身可愛さの強い人だけではない。

自分自身の疲れや痛みを無視している人、理解を求めることを幼稚だと思い、同情を侮辱だと思ってただただ自分を頼みにしてきた人、いたわりとねぎらいに慣れていない人も、他人の痛みを無視したり、当然の補償と慰めをえている他人に怒りを覚えることがある。

まず自分自身に過酷な要求をするのを止めた方がいい。いずれにしても自分を鞭打って走らせられる距離には限界がある

 

また、他人の問題をよく知りもしないで「典型的な○○だ」と思い込むのも危ない。

 

ある朝、不測の事態が起きて仕事に遅れた。職場に着いて改めて謝罪したが、電話を受けた短気な責任者がいつもの不機嫌顔でなぜ遅れたのか事情を話せという。「個人的な事情で」と言葉を濁すと「そんな理由が社会で通用すると思いますか」と声を荒げた。

 

わたしは気まずく思いながら「予想外の時期に生理が来て下着も寝具も血まみれだったので、着替えて風呂場に浸けてきました」とありのままを話した。まだ若い独身男性だった責任者は動揺しながら「…今度から気を付けてください」と小さくいって、気まずそうに場を離れた。

 

何でもかんでも聞き出せる相手ばかりではないし、話せる話ばかりではない。赤の他人ならなおさらだ。

 

若いころに友人が「はてこさん、どうしていつもお金がないの?」 と責めるような口調でいってきたことがある。彼女は自分の夢のために仕事を減らし、安いアパートを友達とシェアして、食費は二人で月に一万円と清貧を絵にかいたような暮らしをしていた。恐らく姉のような気持ちから、計画的に予算を組めばお金に困るはずはないのに、なぜもっとしっかりしないのかと考えていたのだと思う。

 

一瞬わたしは言葉に詰まった。どうしてわたしはいつもお金がないんだろう? 年齢も収入もそれほど変わらないはずなのに、と恥ずかしくさえ思った。大差ない収入のはずなのに、彼女は県をまたいで恒例の観劇に出かけ、劇団四季について熱く語る余裕すらあった。

 

そしてゆっくりと時間をかけて気がついた。彼女には家計費を分担する料理上手で気のいいシェアメイトがおり、いざというとき帰る実家があり、実家へ帰る車は親が購入したもので、家には我が子の夢を応援する、娘を目に入れても痛くない両親がいた。学校を出て親元で働き、十分な蓄えを作った。持病もなく、近所に親繋がりで何かと目をかけてくれる大人が大勢いた。

 

一方わたしは親から逃げて学校をやめ、お年玉預金すらなく0から貯めたお金で部屋を借り、不審者や仕事の問題でそこから転居を繰り返し、学も職もなく頼れる大人もおらず、十代からの持病持ちだった。根無し草のようにかつかつ生きていたわたしと彼女の土台はまったく違う。月々の食費や光熱費からこうした背景を知ることはできない。しかしこうしたバックボーンがいかに人生を左右することか。

 

年齢や性別や職業など表面的な共通点で安易に人を比較すると見誤る。

 

なぜ独身なのか、なぜ子供がいないのか、なぜいつも家にいるのか、なぜ化粧をしないのか、なぜ恋人が、友人がおらず、なぜ趣味が、貯金がないのか。「なぜ、なぜ」と人に関心を持つのは悪いことではないけれど、人が語りたがらない不透明な背景を憶測で埋めて、上から別の絵を書くのはやめた方がいい。

 

世の中には自分の想像を超えた人生があるものだとこの年齢になってつくづく思う。

 

「提案することがないなら何を話せばいいのか」と思うことはない。詮索にならない程度に質問をしながら話についていく練習をした方が、ろくでもない処世術で身を固めるよりずっと感じがいい。

 

もちろん安易に自分と他人を比較して自分をけちょんけちょんにいうのもよした方がいい。そういう癖はいずれ口から出るし、自分をけちょんけちょんにする話を面白く聞かせるにはそれなりの才能がいる。仮にウケがとれるとしても、あなたの幸運を喜ばず、悲惨な自虐ネタばかり輝く笑顔で大喜びする人とは、距離を置いたっていいのよ。

*1:いまや「これさえ守れば人生は思いのまま!」とでも言わんばかりのビジネスセミナーバイブルになってしまったけれど、「七つの習慣」は人の心の働きを丁寧にすくった本でもあり、印象的なエピソードは多い。読み返すとつい太字のエピソードだけ拾って読んでしまう。