斉藤由貴はなぜ赦されないのか

消えないだろうと思っていた斉藤由貴NHK大河ドラマを降ろされ、少し驚いた。

 

斉藤由貴はアイドル全盛期に二度も既婚者と道ならぬ関係になり、大々的に報道されながら仕事を干されることもなく幸せいっぱいの笑顔で電撃結婚した実績がある。今度もどうということはないだろうと思っていたら、交際相手とされる男性が斉藤の自宅で果物を食べながらパンツを被っている写真が雑誌に掲載され、業界は手のひらを返した。

 

男性の職場らしき場所でのキス写真でも揺らがなかった芸能界のこの豹変ぶりに、わたしは共感することができなかった。斉藤自身の過去の例、また不倫関係が露呈したあとも仕事を続けた数えきれない芸能人と違いはどこにあったのか。

 

斉藤由貴ベッキー、そして矢口真里と不倫関係に陥ったことで大罪人として執拗に叩かれるのは常に女性だ、これは女性差別だとする意見もあった。これは一理あるように見える。しかし不倫関係が露呈しても涼しい顔で仕事を続け、後におしどり夫婦といわれるようになる女性はいくらでもいる。

 

わたしがはっとしたのは斉藤由貴関連のトピックを追っていたときにGirl’s ちゃんねるで見た意見だった。矢口、斉藤は自宅に不倫相手を入れている。ベッキーは不倫相手の実家を訪ねている。既婚者が伴侶以外に思いを寄せることはあるにしても、伴侶と家族の聖域に相手を連れ込むのはどう考えてもゆるせない。そんな人間が上がりこんだ家で暮らす家族の身になってみろ。これはもっともだ。

 

家は自分だけのものではない。斉藤が家族に内緒で仕事部屋を借り、そこに男性を上げていたことは大いに問題だとわたしは思ったけれど、夫や子供にしてみれば、彼女が家族の知らない世界で家族に見せない時間を持っていることよりも、外の世界から自分を守ってくれるはずの我が家に、妻であり母であるただひとりの身内に懸想する男が上がりこんでいることの方が生理的に耐えられないだろう。

 

わたしの父は外に女性を作ることが何度もあり、母は子供たちの前で口を極めて父をなじった。しかしわたしたち子供が父以上に厭わしく嫌悪を覚えたのは父の留守に母に下心を抱いて訪ねてくる父の友人であり、間男志願者をわが子に押し付け、どこかはしゃいだしかめっ面で隣家の舅姑宅へ逃げてしまう母だった。母に思いを寄せる男の一人は酔った勢いで父の留守に電話をかけてきて母を口説き、母は居間の電話台で浮かれながら相手を諫めつつも電話を切ろうとしなかった。このときの胸糞悪さをわたしは生涯忘れないと思う。

 

斉藤由貴は若い娘だった頃、既婚者と旅行へいき、路上でキスをした。これは若い娘の逸脱行為、若気の至りとして情状酌量の余地が世間にあった。斉藤が妻となり母となってから仕事部屋でただならぬ関係を持っているらしいと報道されても世間はまだ同情的だった。しかし家族の留守に聖域である居間で下着を被ることをゆるすこと、これは女優の恋という幻想を吹き飛ばすだけの不躾で考えなしの行為だったのだろう。

 

斉藤由貴が女であること、母であり、妻であることで社会的な制約を受けていることをわたしは微塵も疑わない。歌手として、女優としてこれだけ仕事をしながら5時起きで子供の弁当を作っていてエライねなんて褒められるのはまともな評価ではない。家族と過ごす時間はもちろん大切だが、家事代行でもなんでも頼んで、芸の肥やしになるレッスンを受け、芝居を観て、旅をして、エステとジムに通うのが役者として、女優として、あるいは歌手として職業人として賞賛される生き方ではないのか。

 

今回のことで残念だったのはスポンサーの顔色をうかがう必要のないNHKが演技力と無関係な斉藤の私生活のスキャンダルで彼女を降板させたことだ。政治家は政治をしてくれたらいいし、役者は芝居を、歌手は歌を歌ってくれたらいい。いい大人の色恋沙汰に口を出して作品の質がどう上がるのか、わたしには理解できない。そうしたどうにもならない人の情を描くのが芝居であり、歌であるはずなのに。

 

一方で矢口真理、ベッキー斉藤由貴が赦されないのはひとえに女性差別だとは思えない。男たちは別宅を持って家族に対して最低限の矜持を示すようにいわれてきたのだ。