「ジャップオス」呼ばわりは行儀が悪いから批判されているわけではない

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 大嫌いな人を侮辱したくて、おまえは自分が蔑むグループの一味だと断言する人がいる。そのグループを本当に蔑んでいる場合もあるし、社会的に蔑まれているのでその言葉の意味をよく考えず、反射的に罵倒語として使うこともある。

 

黒柳徹子は幼いころに見ず知らずの子供から「チョウセンジン!」といわれたことがあった。いったいなぜそんなことを言われたのか理解できなかったが、語気の鋭さ、憎しみのこもった恐ろしい形相から罵倒されたのだということはわかった。これは「窓際のトットちゃん」のエピソードだけれど、その子は朝鮮人だったのではないかと黒柳は書いている。子供は自分自身が平素いわれている侮蔑の言葉を誰かにぶつけてみたくてそのまま使ったのではないか。

 

わたしも見ず知らずの子供からJR町田駅の雑踏で突然侮辱されたことがある。「デーブ!デブデブ!」と背後から子供の声がした。わたしはBMI15の女で学生時代は「ルパン」「オリーブ」と揶揄されてきたので自分がデブと囃し立てられてられているとは俄かに信じがたかった。振り返ると丸々と肥え太ったプリプリの男子が、両手を頬の横でひらひらさせはち切れそうな腹を上下させながらぴょんぴょん飛び跳ねていた。わたしは「その子はいつも自分がいわれている言葉を侮蔑語として誰かにぶつけてみたくてそのまま使ったのではないか」という黒柳徹子の言葉を思い出した。

 

被差別属性を持つ人がその言葉で他者を罵る例としては女性が女性に対して「女々しい」というように、その言葉に込められた差別性に気づかず慣用句として使っている場合もあり、根が深い。最近女性蔑視的な男性のことを「ジャップオス」と称する人たちがいて、これは差別的なのではないかという議論がある。「ジャップ」である我々は自虐的に「ジャップ」を使うことを容認されるべきだろうか。ここに至る経緯を書いておく。

 

ツイッターレディース

去年の秋、Twitterツイッターレディースと呼ばれる人たちがあらわれた。きっかけは日本語が書ける韓国のフェミニストが、常日頃Twitterで罵倒されている女性たちを助けるため、傍観せず積極的に介入しようと呼びかけたことがはじまりだった。はてなでもよく見かける光景だけれど、とくに人種差別や女性問題に関して女性が意見すると、陰湿で下劣な粘着をいつまでも繰り返されることがある。粘着される側は多勢に無勢で疲弊し、言葉の暴力に心底傷つく。こうした問題を見て見ぬふりをするのをやめて、悪質な行為をやめるように意見しようというのが発言の趣旨だった。

 

わたしが見ていた範囲では当初呼びかけた韓国のフェミニストは粘着されている人を見つけては介入を呼びかけ、自らも間に割って入っては簡潔ではっきりした意見を表明していたものの、けして罵詈雑言を吐いてはいなかった。しかしこうした介入に熱心な人たちの中には「目には目を、セクハラにはセクハラを」の精神で競うように罵詈雑言を吐く人もあらわれた。これがツイッターレディースである。

 

罵詈雑言と差別的発言の違い

ツイッターレディースのみなさんはフェミニズムについてスーツで講演するようなスタイルではなかったが、女性とフェミニストへのあらゆる嫌がらせに勇敢に向かっていった。実際こうした介入で執拗な嫌がらせが止むこともあったし、自分への嫌がらせが見過ごされていないと感じるのはとても心強いものだ。ツイッターレディースの口の悪さを問題視する人は日増しに多くなったけれど、その大半はフェミニストへの罵詈雑言は黙殺してきた人たちだった。

 

セクハラやレイシズムを傍観せず反対するのは大切なことだ。そのさい礼儀正しく品行方正でなければならない理由もない。攻撃に反撃するカウンター活動、差別と被差別の立場を逆転させて見せるミラーリングも問題を明確にする効果がある。「死ね」といわれて「おまえが死ね」と返すのも、「痴漢は男の本能」に「玉潰しは女の本能」と返すのも言論の自由だ。しかしこうした特攻隊のなかに侮蔑語として相手を被差別属性で揶揄するものがあらわれた。

 

侮蔑語として使われた差別語を侮蔑語として使うこと、相手を侮辱する目的で自分が蔑むグループの属性で呼びかけること、そして意見を同じくしないのは相手が自分が蔑むグループに属すからだといい募ることは残念ながらレイシズム以外の何物でもない。

 

女性差別的な発言者に対して脈絡もなく自閉症だ、アスペルガー症候群だといったり、怒りたつ相手に火病だの母国に帰れだといったり、MtFに心根が男だといったりするのはそのものずばりのレイシズムだ。家族に自閉症者がいることをbioに書いている人に家族を侮辱するようなことを書いているものもいた。その人がフェミニズムについてどう考えているにせよ、こうした発言は己の差別意識を露呈するヘイトスピーチである。「ジャップオス」「ジャッポス」はこうした一連のスラングから生まれた。

 

一時期白熱したツイッターレディースとその支持者たちは男性に対するあらゆる罵詈雑言は批判すべきではない、それは女性への抑圧であり、女性差別主義者に加担することだと主張していた。わたしはこれにまったく同意できず、以下のエントリーを上げた。

ヘイトスピーチとは「弱いものいじめ」のことではない - はてこはときどき外に出る

これがもとでブロックされた人、擁護から敵対へまわった人もいたけれど、仕方がない。わたしは性自認として男性が憎いわけではなく、女性蔑視の男社会に反対しているだけなので、無差別な男性憎悪には共感できない。

 

その後しばらく諸事情でTwitterから離れていたのだけれど、戻ってきたら当時ツイッターレディースを名乗っていた人たちのほとんどがアカウントを凍結されるなどしていなくなっていた。名前を変えて戻ってきている人もいるようだけれど、誰が誰なのかよく知らない。*2カウンター活動のきっかけをくれた韓国のフェミニストもいまどうしているのかわからない。しかし女性蔑視に反論するさい差別的な侮蔑語を使う人はいまでもいる。 

 

「ジャップオス」の問題

差別語で人を侮辱するさい共通しているのは他者にぶつける侮蔑語に己の属性が含まれることはほとんどないということだ。その点日本人が日本人を「ジャップ」呼ぶのは少々変わっている。

 

「ジャップオス」と並んで問題視される言葉に「クソオス」というものがある。「クソオス」は言い換えれば「馬鹿野郎」である。馬鹿な男は馬鹿野郎と呼び、糞な男をクソオスと呼ぶのは言論の自由だ。これを男性全体への侮辱、男性性への攻撃というのは基準が高すぎるように思う。*3

 

しかしオス、メスという言葉と違って「ジャップ」はあきらかに差別的な意図のある場面でのみ使われてきた言葉だ。「ジャップ」と呼ばれた人たちがいかに過酷な迫害の歴史を見たかを考えればこれが軽々しく使っていい言葉でないことは一目瞭然ではないか。少なくとも圧倒的なマイノリティとしてそうした言葉で侮辱され、生きる権利を侵害された経験のある人を前にしていえる言葉ではない。

 

ではなぜネットの議論に「ジャップオス」などという過激な発言が飛び出すかといえば、この国ではジャップ呼ばわりされたことがない者こそがマジョリティだからである。

 

これは黒柳徹子朝鮮人呼ばわりした子供とは違う。「最初に女性をジャップメス呼ばわりしたのは男の方だ、言い返す女を批判するのはトーンポリシングだ」と反論している人がいたが、その男もまたジャップ呼ばわりされたことのないマジョリティであるため、自分の発言の劣悪さが理解できていない無知な馬鹿なのである。無知な馬鹿の差別発言をそのまま使うのはヘイトの再生産にほかならない。

 

漫画家の伊藤巳美華は3.11の復興支援メッセージとして書いたイラストの旗に「Jap」と書いて批判された。伊藤は「ジャップという言葉を日本人という意味でしか考えていなかった」と謝罪し、イラストを修正した。海外と接点のない日本人の大半は「ジャップ」という言葉がどれほど差別的な歴史を持つか、その言葉で生きる権利を奪われた人たちがどこで何をしているのか知らずに生涯を送る。それを責めることはできない。

 

しかし知ってなお、指摘されてもあくまであれこれ理由をつけて使い続けるのはありふれたレイシズムだ。その人は日本人として民族の誇りを傷つけられ、家を奪われ、仕事を奪われ、土地を追われ、安全に暮らす権利を奪われた日本人たちを踏みつける者たちに自ら加担しているのだ。「自分はジャップという言葉をそんな差別的な意味で使ってはいない。こんなことに過敏に反応するのは言葉狩りだ」という日本人を、彼らは大いに歓迎するだろう。

 

マッチポンプヒューマンライツ

差別の解消と人権をうたいながら他者の人権を軽んじる。マイノリティの苦境を声高に叫びながらマジョリティの自覚がない。これはフェミニストを自称する女性に限った話ではない。差別の解消と公平な社会の実現を熱心にうたいながら日夜女性蔑視的な発言を繰り返す男性は非常に多い。またチベットパレスチナの苦境に心を寄せながら在日朝鮮人アイヌ琉球に関しては口を極めて民族の誇りを傷つける人もいる。

 

口が悪いのは大いに結構で、頭がよくユーモアがあって口が悪い人はどこでも人気者になる。うらやましい。こうした人の揚げ足をとるのはたいそう頭が悪く見えるし場もしらける。こうした口の悪さでヘレンケラーを守ったマーク・トウェインは賞賛に値する。口が悪いことと差別的であることはまったく別問題だし、個人的な口喧嘩と属性を攻撃するヘイトスピーチは違う。

 

「マイノリティからマジョリティに向けての攻撃はヘイトスピーチにならない」。それはそうだけど、マイノリティ属性を持つ人が別のマイノリティ属性を持つマジョリティを攻撃することはヘイトスピーチになる。あらゆる場面でマイノリティである人はいないし、すべての点でマジョリティである人もいないからね。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

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*1:

反ヘイトスピーチ裁判

 信恵さんにいただいた手作りの虹色蝶のブローチ。LGBTQ支援

*2:アイコンが変わるとアカウントの区別がつかなくなるのでなおさらよくわからない。

*3:とはいえわたしはこうした問題に造詣の深い友人から「馬鹿というのは差別語だ。この言葉は長年知的障害を持つ人たちを侮辱するのに用いられてきた」といわれたことがある。男性をオス呼ばわりすることが単なる侮辱か差別かの線引きはそれぞれ違うだろう。ポルノのなかで女性の人格や尊厳を無視する文脈でメスという言葉を頻繁に使うことを思えばカウンターとしてオス呼びするのは自由だと思う人もいるだろうし、そのような文脈で使われてきた言葉だからこそ侮蔑語としても使いたくない人もいると思う。ちなみにわたしは使わない。カタカナ打ちするのが面倒だし、なんかしっくりこない。「オス」という言葉にネガティブな印象もないしな。