百まで生きたお母さん

もちおのがんが進行していると診断された日に、母方の祖母が入院したという知らせがあった。

 

祖母は庭を持たないターシャ・チューダーのような人で、今年の春で102歳。いまだかくしゃくとして叔母の離れで暮らしている。手先が器用で、レース編みとちりめん細工を愛し、美しい端切れをお菓子の箱にとっている。ユーモアのセンスに恵まれ、弁も立つ。娘である伯母たちは「お母さんより先に自分が先に世を去るのでは」と戦々恐々としていた.。

 

母は幼いころからこの母親と姉妹たちのあいだで孤立しており、長い間悩んでいた。わたしたち兄弟姉妹は祖母にとって確執のある娘の子なので祖母とは距離がある。あれだけ聡明な人がいったいどうしてこんなに激しく、そして冷たく娘をあしらうのか、わたしにはわからない。


これまで書いてきたように母は母でだいぶ問題がある人だけれど、でも、娘じゃん。父方の祖母はよくも悪くも情の塊りのような人で、わたしは身内は情で結ばれると感じながら育った。母は嫁いではじめて姑を通して親の情を知ったといまになってよく話す。
嫁姑関係だったときは双方口を極めて互いを罵りあっていたが、二人の間には深い絆もあったようだった。だったら孫子にはそっちをいえや。イメージ悪いんじゃ。

 

母はルナールの「にんじん」を愛読していたが、この本について話をしたことがない。
「にんじん」の主人公フランソワも実の息子でありながら、母親に虐げられて育った。
わたしは家にある本は片っ端から読んだけれど、この本だけはただならぬものを感じたのか、数ページ読んで二度と開かなかった。作品の持つ力だけでなく、母がその本に落とした影のようなものを感じたのかもしれない。

 

母は娘のわたしに自分の親子関係の冷淡さを嘆く。じゃあおまえも娘にひどいことすんなよ、と思うけれども、そうはいかないらしい。顔を出さなければ不満らしいし、出せば娘の都合は一切無視する。母の気持ちがわらかない。

 

「ママはわたしのことどう思ってるのかな?嫌いなら来ないでほしいと思うでしょう?」
「遠慮なく足蹴にできると思ってるんだよ」
と夫はこともなげにいった。

 

祖母は母を足蹴にしたいとは思っていない。ただただ目障りなので近づかないでほしいと思っている。なので近づけば足蹴にされる。呼び出して足蹴にするのと、近づくと足蹴にするのとでは、どちらがましなのか。何にしても母方祖母と娘たちの関係にわたしはとうてい馴染めない。


わたしは祖母より母と長く接してきたのだから、母の非情さに馴染む方が自然かもしれない。不人情というのは慣れる、慣れないという問題ではないのだろう。

 

このように書くとどんなにいやらしく異様な人物だろうと思うかもしれないが、祖母は母同様、本当に非常に魅力的な人だ。聡明で、自立心旺盛で、自己克己の精神に富み、物知りで、尽きることのない好奇心と朗らかさを持っている。


最後にあったとき、祖母は銀髪に似合うピンクのブラウスを選び、薄紅色のマニキュアをしていた。昔からおしゃれなのだ。クロワッサンと暮らしの手帳の読者モデルかというカリスマぶりに憧れずにはいられない。

 

その祖母が倒れた。脳梗塞だそうだ。

 

母の実家はわたしには理解できないスノッブな社会の難儀なルールで動いているので、見舞いに行くかどうか迷った。迷っているのはわたしだけでなく母もだった。なんでだよ。親だろ。いけばいいじゃん。


しかし母は姉妹と鉢合わせてどんなことを言われるかを恐れ、迷ったあげく新幹線に乗ったけれど、翌日には帰ってきた。真綿で首を絞めるようなやり方で姉から追い返されたらしかった。

 

わたしは祖母を見舞いにいきたかったけれど、事前にいくと伝えればきっと揉めるに違いない。ちょうど気になる集まりが大阪で開かれる予定があった。仕事の予定とかち合っていたので参加申し込みをしなかったが、はからずも祖母の見舞いとセットで関西に出かける用事ができたので、仕事の予定を変更してひとまず大阪へいくことにした。用事があったのでついでに寄りましたと話した方がいいのだ。

 

母から聞いていた病院をカーナビで調べて病室を訪ねた。誰もいないはずの病室には叔母夫婦がいた。母は悲劇を強調するため話を盛っていたらしい。叔父は久しぶりに会った姪が誰だかわからず、叔母は髪を振り乱して呆然としていたが、わたしだとわかると涙をこぼした。追い返されなくてよかった。

 

祖母は半身が不自由になったようで、言葉も上手く出せなくなっていた。鼻からチューブを入れられ、乱れた髪を枕に広げ、浴衣の襟ははだけていた。生まれてはじめて見る祖母の無防備な姿だった。いつもきれいに髪とかして小さくまとめ、小奇麗に装って大きな眼鏡をかけていた祖母。おかしな話だけれど、祖母も人間だったのだとはじめて知ったような気持ちがした。

 

祖母は動く方の手を重たげに持ち上げ、わたしと夫に挨拶してくれた。話も聞こえているようで、身振りで応答してくれる。あの気丈な人がこんなに思い通りにいかない状況でいるなんて、どんなに不自由に感じていることかと思う。

 

歓迎するため気を使ってくれているのか、自分たちが疲れて緊張していた反動なのか、叔母夫婦はしゃべりにしゃべり続けていた。わたしは夫とベッドの反対側に座り、叔母夫婦の会話に加わりながら、祖母の半身をさすり続けた。

 

わたしは按摩上手なのだけれど、祖母はわたしが祖母に触れることをやんわり拒絶してゆるさなかった。こうして無断で触られることをありがたく思っていない可能性もある。内心ムカついてないといいなあと思った。病人は不自由だ。

 

叔母夫婦の話がひと段落したところで、祖母に「お邪魔しました。また来ます」と声をかけた。祖母は手を動く方のゆっくりと持ち上げると、たどたどしく「ありがとう」といった。さらに渾身の力をふりしぼるようにようやく口と舌を動かして「おねがい、します」と二度いった。

 

祖母は話せなくなったと聞いていた。実際祖母が言葉を発したのはそのときだけだった。気力を奮い起こして伝えてくれた言葉だった。


誰をお願いしたかといえば、それはどう考えても娘である母だ。あの母。「にんじん」と呼ばれたフランソワに自分を重ねて泣いている祖母の娘。祖母はこの病床で、変わり者で偏屈で、母を慕い続けて泣いているあの娘を、孫に託さなければと気づかっているのだった。

 

人の心は複雑だ。

 

帰り道、見舞いに来たことを母にLINEで伝えた。母はわたしたちと入れ違いに祖母の見舞いと各種手続きのために病院近くに滞在するとのことだった。

 

「とにかく、今心から、お母さんに逢いたくて、走るような気持で病院に行っています。
 出来る事は、何でもして、差し上げたい」

親子の仲は複雑だ。

 

100歳まで生きたお母さんと、70歳をむかえた娘が、どうか心を通わせる時間がありますようにと、小さく祈っている。ママとおばあちゃまには幸せでいてほしいからね。

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