金的の思い出

 

幼稚園のとき某少年漫画の影響でスカートめくりが流行っていた。やられた女の子は怒ってぶつか逃げるかぐらいしか対抗手段がなかった。やり返そうにも男児は吊りズボンだったしね。わたしは男児の両手を掴んで股間を蹴り上げればいいよ、と思って、実際にやった。玉潰し歴ありである。

 

玉を蹴られるとひるむとわかった女児らはやり返しはじめたけれど、非暴力を教えるキリスト教系だったためか、単に女児が男児に手を上げるとはという圧力があったせいか、躊躇なく蹴り上げる子はあまりいなかった。はてこちゃん、来て!と金的依頼が来るようになった。ボールクラッシャーの誕生である。

 

大人になったいま言論の金的応酬を見ていて思い出すのはあの園庭である。いたずら半分でスカートをめくりに来る男児の両手をグッとつかみ、股間を蹴り上げた日々。ちなみに金的を教えたのは父であった。「変な男がいたらここを蹴る。回り込まれたら、こうして、こうだ」と父は指導に熱心であった。

 

ある日、幼稚園の先生から教室ではなく応接室のようなところへ呼ばれた。「はてこちゃん、男の子はおちんちんを蹴られると、大きくなったとき子供が作れなくなってしまうの」と先生はいった。率直な教育である。「そうか」と思って以来金的は封印した。教育の成果である。

 

しかしいまになって思うことは、もしも先生がスカートめくりをする男子らをわたしにしたように個別に応接室へ呼んで、率直な教育をほどこしていたら、あんなことにはならなかったのにということである。

 

わたしは先生から怖い顔で辱められるような注意を受けた覚えはない。ただ金的が将来に及ぶダメージを残す可能性があるという事実を教えてもらっただけだった。その点先生にとても感謝している。同様に男児にも「エッチないたずらだからダメ」ではなく、女児に及ぶダメージを淡々と伝えてほしかった。

 

「めくりくん、女の子はスカートめくりをされると、大きくなったときスカートをはくのが怖くなったり、人を信じられなくなったりしてしまうの」と同様の注意をしていたら男児らは素直に止めたであろう。子供は自分が何に加担しているのかわかっていないが、分別はある。凝り固まった大人とは違う。

 

夫は寛容でいつもわたしの味方だけれど、スカートめくり男児に金的をかけていたボールクラッシャー時代の話には反射的に怒った。「やりすぎだってことでしょう?」とわたしはいった。「強姦ならやりすぎじゃないよね。それってスカートめくりを軽くみてない?」夫は少し考えて、「確かにな」といった。

 

tomicaさんのエッセイのタイトル「ボールクラッシャー呼ばれて」に反発する人たちを見ていて思うのは、金的に反応する勢いで女性への性暴力に反応しないのはどうしてかということだ。男女の性暴力被害の非対称性が露骨に炙り出されている。https://goo.gl/8n8sq3

 

わたしはスカートめくりに加わらない男児をつかまえて金的をかけたりはしなかった。年子の弟と始終とっくみあいの喧嘩をしていたけれど、金的をかけたことはない。男児は何もしない女児のスカートをめくり、男性向けポルノも少年漫画も娯楽として女性への性暴力を消費する。不均衡だ。

 

そもそも玉潰しツイートは、女性に対する性暴力を男女入れ替えて発信することで男性にわが身に置き換えて考えることをすすめるためのものだった。男女逆転の世界で金的が横行しているのは女性への性暴力が蔓延しているからだ。ミサンドリーだ男性嫌悪だと騒ぐ前に前提について考えるところだ。

 

玉ひゅん、金的は生理的な恐怖を呼び起こすもの。同様にレイプや痴漢、のぞき、盗撮、無断のタッチ、そしてスカートめくりも女性にとって軽く扱っていいようなものではない。金的に匹敵するものとして考えてほしいし、考えないやつは金的されても仕方がない。父もそういう男の玉は潰せと教えてくれた。