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フンべシスターズのライブへいく ~十六夜~ アイヌ音楽をあなたへ

外に出る 弱者と強者に思うこと web日記

イショロレ~。*1歌って踊って鳴らして語るアイヌ民族トリオ、フンべシスターズのライブへいってきました。スマホを車に忘れてきたので画像はない。前半はこちら。

kutabirehateko.hateblo.jp

昼のムックリワークショップを終え、夜の平塚川添遺跡公園に戻ると広々とした駐車場は車でいっぱい。中庭の屋外ステージにはざっと100人ほどのひとが集まっていました。ワークショップのときに見かけたキャンドルに紙を巻いた手作り灯篭が道中足元を照らし、会場ではステージと客席をぐるりと囲んでぼんやり輝いている。スタッフの方々がみなさん微笑をたやさず親切で、このキャンドルもスタッフの方々が用意されたのだろうなあと手作りライブのあたたかさを感じた。

 

ちなみに川添遺跡公園は、弥生時代中期から古墳時代初頭にかけての邪馬台国の暮らしを再現した実物大の住居や倉庫が広い敷地に点在する。レキシが「狩りから稲作へ feat. 足軽先生・東インド貿易会社マン」で「高床式!ねずみがえし!」と歌っているアレです。

福岡県朝倉市「平塚川添遺跡公園」!Vol.1 ぶらり散策紀行 /ウェブリブログ

しかし我々はそんなことはつゆ知らず、ワークショップのあとはイオンへいってニトリのソファなど眺めていたのであった。大失敗。

 

アイヌ民族衣装にみられる和人との交流

さて、「イショロレ~」という挨拶とともにヤキフンベさん、ケネフンベさん、ノコロフンベさんとその息子さんがアイヌの民族衣装で登場。フンべシスターズは帯のない対丈の着物のような衣装にマタンブシと呼ばれるターバンを巻き、息子さんは陣羽織に手甲と脚絆。それぞれアイヌ独特の図案が刺繍されている。

 

会場から「刺繍の模様には意味がありますか」という質問が出たけれど、衣装の刺繍はおばあさまから受け継いだ模様だということで、意味があるのかどうかはわからなかった。(手甲や脚絆の刺繍には魔物が入らないようにと魔除けの意味があるそうです。)和服は麻の葉、よろけ縞といった反物ごとに人気のある伝統的なパターンがあるけれど、アイヌは無地の布を接いだり、刺繍をしたりして衣装を完成させるようで、より家ごと、集落ごとの特徴が出るみたい。

 

ちなみにこの衣装は和人の着物から作っていたそうで、いわゆる小千谷ちぢみなど、ちぢみから変化して「チヂリ」と呼ばれている。(と、暗闇で書いたメモに残っているけれど、いまアイヌ語辞典を見たら確認できなかった。)和人の文化とアイヌ文化、日本語とアイヌ語は互いに影響しあっている。もちろんアイヌ模様は和服にも影響したみたい。なんでもかんでも着物の柄にしちゃう大正時代の乙女らが放っておくわけがない。

和服に使われたアイヌ文様の謎 – 独学北方文化

 

少し前にUNIQLOイスラム教徒の女性向けファッションを展開することになったが、和人がアイヌとその文化を尊重し、敬意を払う歴史をもっていたら、いまごろUNIQLO無印良品アイヌがデザインしたアイヌ衣装のラインナップがあったかもしれない。

UNIQLO x Hana Tajima Interview - YouTube

 

インテリアショップやインテリア雑誌にも欧風、アメリカンテイスト、アジアンテイストと並んでアイヌ調家具とインテリアが出ただろう。マリメッコみたいな人気ブランドが世界を席巻していたかもしれない。と、思ったけど、これから出てもいいんだよね。そういうお店が。なんちゃってじゃなく、アイヌが企画制作に携わったもの、お土産品としてじゃなく生活品、日用品としてのアイヌデザインが手に入る日がくるといいな。

ミニマルな文様がイケてる!アイヌ民族衣装 - NAVER まとめ

 

ウポポとヤイサマ

アイヌ語でウポポは歌、ヤイサマは抒情詩だそうです。

 

アイヌ、歌がほんとにすきだな!

 

労働歌、豊作を祝う歌みたいなのは民謡あるあるという気がする。しかしアイヌはなんでもかんでも歌にして、いつでもどこでも歌っていたようで、反物を広げてキャッキャウフフするお嬢さんの歌とか、和人が踏み臼を踏んでいる様子を見て作った歌とか、日常の何気ないことを歌にしたものがたくさんあった。お酒を作って、飲んで、酔って、くだをまくまで段階ごとに7曲も歌がある。たぶんこの文化がいまも盛んならポケモンGOをする若者の様子を歌った歌とか、Twitterで揉めた歌とかすぐ出てきたと思う。

 

しかも今回のセットリストは十勝独特のものが中心だそうなので、全土では文字通り数えきれない歌があったのだと思う。わたしは60のゆりかご というアイヌの子守歌がすきなんだけど、アイヌの子守歌は家ごとにフチ(ばあちゃん)に教わるそうで、実姉妹のヤキフンベさんとケネフンベさんは違う子守歌を別のばあちゃんから教わっている。子守歌だけでだいぶありそう。

 

・クサナンテ 山にいる夫に熊が迫っていることを麓でウバユリを摘む妻が知らせる歌

・シチェチェチェイナ 種まきと収穫、豊作を祈願した踊り

・エリリムセ 粟まきの様子を模した豊年祈願の歌と踊り

・フミウス フミウスは文字通り踏み臼で、和人が踏み臼を使う様子から作った歌と踊り

・酒つくりの歌 シントコを祭壇からおろす歌 →酒をこす歌 →酒粕(シラリ)が出始めたときの歌 →こし終わったザルを躍らせる歌 →女性が酒を男性に渡す歌 →飲んで酔ったときの歌 →酔ってしゅんとした酔っ払いがあれこれ語りだす歌

・ノコロフンベさんのおばあさまが残した抒情詩

・トカチの歌 メドレー

・イフンケ 子守歌

・クモのオイナ 叙事詩youtubeで聞ける。

www.youtube.com

このほかケネフンベさんのムックリ演奏とノコロフンベさんの息子さん(イケメン)による弓の舞があった。

 

アンコールでは呼びかけに応じた観客とフンべシスターズのみなさんで、歌いながら輪になって踊った。「これは、いかないけんやろ」と数時間前ムックリに目覚めたもちおが力強くいうので、わたしたちも輪になって踊った。

 

歌とことば

わたしの人生でもっとも輪になって踊った曲は「炭坑節」だ。かつて町のどこからでも見えた香春岳は炭鉱の町、筑豊の象徴だった。石灰採掘ですっかりすり減ってしまった香春岳。子供の頃は運動会になるとまいかい無理やり炭鉱節を踊らされるのが嫌だった。でもいまになって、炭鉱で働くため全国から人がやってきたあの寄せ集めの町で、炭坑節はそこで働く大人と、そこで生まれ育った子供たちにとって、ただの流行歌ではなかったのだとわかる。東京へ出て盆踊りに炭坑節が流れているのを見てびっくりした。わたしたちの歌がこんなところで使われているなんて、と思った。

 

「明治に入って、大勢の和人の方が北海道へ入植されて」

アイヌは和人のもとへ、アルバイトにいったんですね」

ノコロフンベさんは歌の背景を説明するときそんな風に語った。アイヌと和人のあいだに何が起きたかを知らなかったら、わたしはいまもこの言葉をどこまでも続く大地で牧歌的に暮らすアイヌと入植者というイメージでしか想像できなかったと思う。

 

「私はアイヌ語を話せません。祖母がアイヌ語を話せることも知りませんでした。祖母は私の前で一度もアイヌ語で話すことがなかったからです。祖母は、きっとわたしがみなさんと同じように育つことを望んでいたのだと思います」

「けれどもある日、いとこの家にいったら、祖母が残した歌のカセットテープが大量に出てきたんですね。『ばあちゃん、アイヌ語話せたんだ!』ってびっくりして。それから一生懸命練習して、覚えて、こうしてみなさんの前で歌うようになりました」

アイヌ語の名前はありません。でもいまは若い人がアイヌ語の名前を子供につけることがあります。『ミナ』とか『サク』とか。ミナは笑うという意味です」

 

「共に大自然に立ち向かう入植者とアイヌ」というイメージを固定化したままこういったお話をうかがっていたら、「なぜおばあさまはアイヌ語を教えなかったんだろう。『国際化に向けて英語が話せる方が有利』みたいな感覚かな」とか「古風な名前を嫌がるのはかつてのアイヌも現代の和人も同じなのねえ」とか、とんちんかんなことを考えて、そこからさらに飛躍した論理を組み立てていたかもしれない。

 

その言葉を話せると知られることが、どの民族かを名前で知られることが、直接身の危険につながるような世界で、孫ではなくテープレコーダーにむかってひっそり子守歌を歌うひとりのアイヌ女性のことを思う。

 

炭坑節を歌うことが禁止され、知られたら何をされても仕方ないという世界だったら、自分の人生はどんな風だっただろう。あの町に寄せ集まった人たちは何で繋がっていっただろう。id:say-01さんのこの言葉を思い出した。

 

say-01

say-01 オケラとの暮らし CommentsAdd Starkutabirehateko (green)a-cup-of-snow16dominique1228

部落差別については子供の頃大人たちからエセ同和の話ばかり聞かされていたこともあって「寝た子を起こすな」がなぜダメなのかよくはわかっていなかった。学校で見せられた同和教育ビデオは同情を煽ろうとするひどいものだった。
数年前に同和活動家の方にお会いして、どういう活動をされているか聞く機会があった。
「私たちは地域の子供達に、古くから土地に伝わる歌や遊びを教えています。マジョリティに紛れてわからないように暮らしていこうとすれば、これらの文化は失われてしまうのです」
ハッとした。
その土地独自のわらべ唄を大事に受け継いでいきたい気持ちって、理解できるはずじゃん。
私は私の出身地の文化を破棄することも守ることも自分の意思でできるのに、同和地区の人には選択権を与えず破棄しろと言っているに等しかった。

 

知ることは偏見に対する武器

会場の出口にアイヌ文化振興研究推進機構から出された「アイヌ民族 歴史と現在」という冊子があった。小学校高学年向けの教科書のような、絵や図が豊富で読みやすいものだった。手に取った60代くらいの女性が「縄文文化のあとに、アイヌ文化があったのね!知らなかったわ」といった。

 

オホーツク文化も聞いたことがないわ。学校で教わらないものね。こういうの、いけないわよね。沖縄の人のことも、教わらないから、知らないのよね」

「そうですよね。わたしも知らないことだらけなんですよ」

わたしは「アイヌ文化振興研究推進機構」とメモを取りながらこたえた。

 

「知らなければ差別と無縁でいられる」「差別の歴史を知ることは偏見の助長になる」と思っている人がいる。これは間違いだ。イノセントであるとは差別と無縁でいられることの保証にならない。真実を知らない人はしばしば容易にデマに踊らされ、善意から不当な差別構造に加担して、それに気づかない。

 

固有の歴史と文化を完璧に理解してからでなければ、その民族の人を尊重できないと思うのも間違いだ。どこの国のどんな人にもしてはいけないことがある。しかし知らないままでいると、空気のように蔓延するデマと偏見が思考力を鈍らせる。そして、一定の条件のもとでなら無礼で不躾なふるまいもゆるされる、ときに無情で残酷な行為すら正当化できると思わせることになる。

 

一度のライブでひとつの民族を完璧に理解なんてできるわけがない。けれども、わたしともちおは帰りの車のなかで、いままで自分たちがどれほど視野が狭く無知であったかを大いに恥じ、今後どう生きるべきかについて、長々と語り合ったのであった。歴史的な背景を抜きにしてもアイヌ文様はナイスだし、ムックリびょんびょんは不思議な魅力がある。*2その文化を生み出し、受け継いでいる民族に敬意を払うためにも、もっとたくさんのことを知りたいと思った。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:イショロレというのはトカチ地方のアイヌの挨拶だそうです。

*2:シチリア系らしいけれど、ゴッドファーザー3にも口琴は出てくるそうですよ。