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私のことは嫌いになっても

web日記 弱者と強者に思うこと

よく知らない人から人間関係の悩みを聞くことがある。

 

相槌をうちながらひたすら話を聞いていると、相手がどんどん饒舌になる。「ああ、つまりこういうことですか」「なるほど、そういうのってこうですね」など感想を入れると「そう!まさにそれです!」と手を取らんばかりに喜んでくださる。そうして理解者認定されたところでぶっちゃけた話がはじまり、やがてぽろっと、「やっぱりあの人、ふつうじゃないですよね。発達障害なんじゃないかと思って」と意地の悪い笑顔で同意を求められる。ハッとする。この人はわたしが自閉症だと知ったらどうなるんだろう。

 

わたしが生まれた筑豊は炭鉱の町で、こっちじゃ柄が悪いことで有名だ。筑豊ナンバーの車は近寄らない方がいい車の代名詞のようにいわれる。わたしは母が神奈川出身で、自分も十代から関東にいたので方言で話すことがない。東京から越してきたというとそのまま東京の人間だと思われることもある。そしてそういう人から「筑豊の人間には気をつけた方がいいですよ」と声をひそめて警告されることもある。関係がこじれた親戚の話で「仕方ないんですよ。やっぱり筑豊の人間だから」と吐き捨てるようにいう人もいた。びくっとする。

 

「ろくに学校も出てないから話が通じない」

「片親育ちだから常識がない」

「子供も産んだことがないからいつまでたっても幼稚で」

「40過ぎたババアが」

 

「そうですか。背景が違うと理解しあうのは難しいこともありますよね」と返しながら、この人たちはわたしが低学歴の片親育ち、どころかろくな躾けも受けずに十代で家出した子供のいない40代の主婦だと知ったら、どうなるんだろうと思う。

 

アスペだから、発達障害だからとそれが決定打であるかのように異常者や犯罪者を断じる報道を見るとき、わたしが何か事件に巻き込まれたら、それが冤罪でも信じてくれる人がどれだけいるだろうと考える。

 

LGBTを誹謗中傷する人を見ると「もしもわたしが異性愛者じゃなかったら」と思うし、独身者を叩く人を見ると「もしも結婚していなかったら」と思う。たまたまその人が忌避するグループにいなかっただけで、そこにいたらこの人はこの激しさでわたしを憎んだり、軽んじたりするんだなと思う。実際その状況に立たされる人の困難はどれほどだろう。

 

「この時代、喫煙者は少数派だから虐げられている」という人がいる。

アレルギーや呼吸器疾患やガンを患う人は煙草をやめてくださいと直接声をあげることが少ないので、喫煙者にはそうした命にかかわる苦悩が見えないのかもしれない。あるいはそうした理由がわかっていても喫煙所を指定されることは窮屈かもしれない。

 

「他意のないちょっとした愚痴にまでケチをつけるのか」という人を見ると、この人は多数派からいつ狩られるかわからないと息をひそめて暮らす立場にいないのかな、と思う。弱者や少数派に向けられるヘイトスピーチが憎悪を生み、ヘイトクライムに至る例は枚挙にいとまがない。どれが安全なヘイトで、どれが危険なヘイトかなんて憎まれる側には区別がつかない。

 

対個人の暴言と、被差別属性に対する暴言の違いは、目の前の相手やその家族を罵りながらそれに気づかないことがあるということだ。

 

「私のことは嫌いになってもAKBのことは嫌いにならないでください」という前田敦子の名言は、ヘイトスピーチを理解する上ですぐれた指針になる。人の個性や個人的な信条とその人の属性をまぜこぜにしないこと。公の場で主語の大きな暴言を吐かないこと、誹謗中傷に属性を混入しないこと。これでだいぶ世の中安全になると思うよ。

 

kutabirehateko.hateblo.jp