あなたを名誉マジョリティ、名誉強者にしてあげましょう

イラン人のモッさんを「日本人以上に日本人だ」といったおっさんの言動のどこが不適切かわからんという人を何人かみかけた。これは差別じゃなく好意を伝えようとしただけなんじゃないの?という意見もあった。

コミュニケーションエラーによる差別的言動について - novtanの日常

 

「あなたは何々も同然だ、むしろ本物以上だ」という言葉がすべて差別だというわけではない。モノマネ芸人はそんな風にいわれたら誇らしく思うだろう。ヒギンズ教授にクイーンズイングリッシュを仕込まれた花売り娘のイライザはその発音のあまりの美しさにむしろ英国人ではなく、どこか高貴な身分の貴婦人がたしなみとして学んだ英語だろうとまでいわれ、教授ともども有頂天になった。

 

しかしイラン人のモッさんの場合は状況をよく見れば怒るのも無理はないということがわかる。女子力高いと女性に褒められて嬉しい男性とモッさんのケースのどこが違うか見てほしい。

 

おっさんはモッさんのどこが日本人だといったのか

臨死!! 江古田ちゃん(3) 25頁より

 「モハメドはえらいよなぁ…仕事に一生懸命だしまじめだし」

「おまえは日本人以上に日本人だとオレは思うよ」

 

おっさんはモッさんことモハメドの勤勉さや実直さを指して「日本人以上に日本人だ」といった。間違いなく好意だし、同族として認めるとはおっさんの中では最上級の褒め言葉だろう。しかし勤勉さや実直さや日本特有の文化ではない。「イラン人はえらいよなぁ…仕事に一生懸命でまじめなんだな」でもよかったはずだ。

 

モッさんの串のさし方や店で出す和食がもはや日本人が裸足で逃げだすレベルだというならモッさんも納得したと思う。和食は日本独自の文化だからだ。折り紙が上手い、詩吟が、短歌や俳句が玄人裸足である。こういうケースで「日本人以上に日本人だ」ならまだわかる。*1しかし人間性を誉めるのに生来の人種を差し置いて自分の側へ置くのは失礼だ。

 

女子力と女であることと女装力

化粧の上手なマツコ・デラックスや女装の東大教授の安富歩が自認する性は男性だ。マツコの化粧はプロ並みでほれぼれするし、安富さんの女装は優雅でレベルが高い。しかし二人に「あなたは女性以上に女性です」というのは褒め言葉になるだろうか。きっと「いや、自分は男性だから」と答えると思う。女性であることと女装することは二人の中でイコールではない。

 

男性が「女子力高い」といわれるシチュエーションのひとつに、家事や料理の技術の高さがある。これは「男のくせに台所に立つなんて」という価値観と表裏一体で、家事育児に参加するたび「女子力」をきゃーきゃーいわれることに閉口している男性もいる。

 

何かが上手にできたり、目立った成果を上げると「残念だ、男に生まれたらよかったねえ」とよくいわれた。男湯に入りたいとか、射精を経験してみたいという会話の流れならともかく、何かを立派にやりとげたことが「男に生まれたらよかった」に繋がるのはありがたがるような話じゃないよな、と女性として思う。*2*3

 

「自分は気にしないから受け止め方の問題だ、差別にあたらない。コミュニケーションの行き違いだ」というのは本質から外れた意見ではないだろうか。

 

差別とは悪意ある攻撃ではない。「悪意がないのだから、むしろ好意から出た行動を差別だと騒ぐのはよくない」というのは強者やマジョリティの感情に配慮せよということで、踏まれた側が痛いからやめろという訴えに対してときに無神経な抑圧になる。

 

名誉白人、名誉男性、名誉市民と「仲間」

人種差別が激しい地域で一般の黒人にはゆるされない待遇で著名な黒人をもてなすこと、男性しか就けない職業に有能な女性を特例として採用すること、気に入った奴隷に人権を認めること。これは差別の解消ではなく、マジョリティ、強者が特権を行使してえり好みをしているに過ぎない。「差別を解消してほしかったらこちらが望むように態度をあらためろ」というのは構造はそのままにマジョリティ、強者側の望む特質を身につけろということで、格差の解消ではなく追認だ。

 

これは独自の文化を持つコミュニティが外からやってきた人間を同族として、仲間として認めることとは違う。同族、仲間として認めるとは差異を無視することではなく、それらを踏まえた上で新参にも同族が等しく持つ権利を認めるということだ。

 

山梨に住んでいたとき甲州弁が気に入って、へたくそな甲州弁でおっさん、おばちゃんと話していた。関西でこういうことをするとたいへん気持ち悪がられるらしいけれど、おっさん、おばちゃんらは気前よく受け入れてくれて、「いるけぇ!」と玄関ガラッと開けて茄子だのカボチャだのもろこしだの持ってきてくれるなど、いろいろかわいがってもらった。

 

中国語でも韓国語でも、へたくそながらその言葉を使おうとすると「お!やるじゃん」と歓迎してくれる人たちがいる。家に呼んで家庭料理をふるまってくれたり、民族工芸をくれたりする。なごむ。こういうときにいちいち「でも、わたしは日本人ですから同族だと思わないでくださいね」という必要はない。しかし安易に「こんなに温かくもてなしてくださるなんて、あなたはまるで日本人のようですね」なんていえば、まあ、気分悪くするよね。日本人に憧れて日本人になりたいと思っている人ばかりじゃないから。

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:小泉八雲とか。でもわたしだったら日本人以上に日本の文化に通じた人、というな。

*2:レスラーの吉田沙保里を男性扱いしてみたり、乙女なところがあるから女性だといってみたりしているのを見るが、むしろこれまで抱いていた女性に対するイメージをあらためる必要があるとなぜ思わないのか。

*3:自閉症disってる人に「わたし自閉症なんですよ」というと、「それだけコミュニケーションがとれているのだからあなたは自閉症なんかじゃない」とかいわれるわけだけど、むしろ自分の自閉症の定義をあらためたらどうかとよく思う。