花森安治&中原淳一症候群の母がワンルームに住んでいたときの部屋

みなさんお部屋の写真はすきですか。わたしは大好きです。猫写真や犬写真好きな人と同じくらい好きなんじゃないかな、と思います。部屋雑誌にいいと思う写真があるとそこを眺めるために買うこともあります。何年もはあはあしながら見ます。図書館で借りた雑誌に出ていた部屋を思い出して絵に描いたり、理想の部屋を想像して図にしたりすることもあります。実際に人が住んでいる写真がすきです。IKEAのカタログや通販雑誌などは生活がイメージできなくてあかん。

 

下は中学時代のわたしの部屋の絵です。作り付けの二段ベッドの上で寝て、下の段には青いフェルトカーペットを敷き、ブロックと板を積んで本棚を作り、読書スペースにしていました。本棚の手前には小物を飾りました。もう天国みたいなところでした。

 

手前は母の鏡台から抜いた鏡を、先輩が技術工作で作った台と組み合わせた鏡台。いま思い出しましたが、先日舅に作ってもらった鏡台はこれの上位版ですね。鏡の下の籠にはヘアブラシやヘアピンを、鏡台の前には雑誌「オリーブ」に紹介されていた中高生向けのフレグランスや「リセエンヌ」という化粧水などを置いていました。今日この日にいたるまでわたしは香水や化粧水をほとんど使っていないのですが、当時は憧れのアイテムだったのでございます。ちなみにベッドの上はこんな感じ。

 

さて、わたしの部屋好きはどこから始まったのか。それは復刻版「ひまわり」に花森安治が書いていた3畳の部屋の図、そして花森安治が手掛けた「暮らしの手帳」です。「ひまわり」の3畳の部屋を描いたのは中原淳一だと思っていたのですが、去年読み返したら花森安治と書いてあって、とてもびっくりしました。感慨深い。

 

言い換えるとわたしの部屋好きは「ひまわり」で育ち、「暮らしの手帳」で家庭を築いた母の暮らしによって育まれてきたということです。居心地のいい部屋へのつきせぬ憧れはひまわり少女、暮らしの手帳婦人である母の人生に大きく反映されています。

 

母はいま手頃なマンションを買って悠々自適に暮らしています。母とはいろいろありますが、母の部屋はわたし好みでため息が出るほどすてき。いまの部屋もすてきなのですが、わたしが感心したのは母が学生向けのワンルームアパートに住んでいたときです。今日はその部屋をご紹介したいと思います。

 

母のワンルーム

玄関。飾り棚がついた右手の壁は食器棚の背板。「お玄関からお台所が丸見えになるのがいや」。食器棚と壁にはポールが渡してあり、わたしがさらしで作った暖簾を下げていました。台所の小窓にはレースハンカチを三枚、ピンチで留めてカーテンにしていました。

額に飾られているのは祖母が編んだレース。中原淳一世代は手仕事で暮らしを豊かにする楽しさを知っていて、母方祖母、伯母らはみな愛らしく美しいものを作って生活に取り入れるのが上手。「小物をなくしてすっきり」という感覚はなく、ささやかなスペースに四季のしつらいをしています。でもすっきりしている。

 

わたしだったらワンルームにはなるべく物を置かず、壁に沿って家具を並べて空間を広くとりますが、母は「お食事するところと、お裁縫するところがいっしょなんて気持ちが悪い」と食卓と作業テーブルをわけていました。引っ越しした日にランプシェードが割れてしまったので、わたしがあまり布で間に合わせにシェードを縫って、残りをFAXカバーとしてかけて帰りました。後日いってみると母は同じ布で座布団カバーを作っていました。ランプとFAXが置いてあるのは着物を入れている桐箪笥。

 

日中ソファになっているベッド。母はくたびれた座布団やクッションをあれこれ活用するのがすきで、部屋に合わせてちょいちょい新しいカバーを縫って取り替えています。暮らしの手帳っぽい。セントバーナードのぬいぐるみは脇が破れていたので引っ越しの日に縫ってあげました。「仕事をしていたころ、横浜そごうでじっとこっちを見ているから、『おまえ、うちにきたいの? よしよし連れて帰ってあげるよ』って買ったのよ」というのですが、日ごろ可愛がっている様子はありません。

 

作業机。「ハンズで買った台に板を渡したら、ちょうどよかったの。板を電車で持って帰るのがたいへんだったわ」母は何でも電車で持って帰ります。手前の籐籠には端切れと裁縫道具が入っており、奥にはミシンが。手紙を書いたり、勉強をしたり*1もここでします。椅子は祖父の形見。

 

台所。本当に小さい。部屋を下見したとき料理好きな母にはこの台所が耐えられないだろうと思いましたが、「昔の大学生の下宿なんてこんなものよ」とゆずりませんでした。こうして暮らし始めた母は一口コンロと電子レンジ、炊飯器を駆使してちゃんと美味しいものをあれこれ作って清潔に暮らしておりました。トップ画像のヨーグルトがかかった栗の甘露煮もここで作られたものです。浴室にちょっとした洗面所がありますが、ふだんはここで歯磨きなどしていた様子。

 

「押入れが大きくても台所が狭いんじゃお料理できないじゃない。作業台も置けないし」というわたしに「工夫すればいいのよ」といっていた母。流しの横にその工夫の跡がありました。洗い籠置き場を上手いこと作っているのには感心しました。

 

つましいけれど豊かな暮らし

母にとってつましさとは貧乏という状態ではなく、清貧というステイタスです。質素倹約が婦徳とされた時代に育ち、中原純一の「ひまわり」、花森安治の「暮らしの手帳」によって具体的な創意工夫の技術を学んだ母は、生涯こうした生き方をみじめなものではなく誇らしいものと考えてきました。

 

”豊かな教養と清潔でよく似合う衣服、栄養ゆたかでおいしい食事と明るく楽しく暮らしやすい住まい。こうしたものはお金をかけずとも手に入るのです。顔をあげ、胸を張って生きていきましょう。”

「ひまわり」「暮らしの手帳」の読者はこんな風に励まされて育ちました。

 

しかし戦後にこうした本を定期的に購入し、読んで実践する時間があったのはやはり山の手でいい暮らしをしていた子女だっただろうと思います。夜昼働き続ける人は休みの日には横になって体を休め、貯まった家事をなんとか片づけるだけで一日が終わってしまうものです。

 

母が現在こんな風に優雅に清貧を楽しんでいられるのも、まずまずの貯金とそこそこの不労所得、景気がよかった時代の年金があり、これといった持病も、介護が必要な身内も面倒をみなければならない子供もいないからです。「年金も減らされるし、介護保険料は上がるし、日本はどうなってしまうのかしら」と母はいつもお金の心配をしていますが、母はきっと本当の意味での貧しさをこれからも知ることはないだろうと思います。もちろんそうあってくれた方が、わたしは安心ですけれどもね。

 

わたしは部屋雑誌や暮らし向きについて書いた本が大好きです。質素で豊かな暮らしに憧れます。そんなことに目を向けてきゃっきゃうふふしていられる恵まれた立場を当たり前と思わないようにしないといけないなと思います。 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:語学や福祉、美術など近くの大学図書館に通いながらあれこれ勉強していた。