荒れてる学校

「底辺」で思い出すのはこのエントリー。

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私のいる世界」で「低学歴の世界」として出てくるような学校は、わたしの中では「底辺、低学歴」じゃなく「荒れてる」「馬鹿高」に該当する。もちろんこれがセットの学校もあるけれど、この二つは同じではない。たとえば「百姓貴族」や「銀の匙」を読むと農業や畜産を学ぶ学校は偏差値を重視しないことがよくわかる。でも荒れてない。

 

家出して働き始めてから都立の通信高校へ入った。当時生徒は働いている人が大半で、教師より年上の生徒もざらだった。年齢が近い生徒はスポーツや芸能など学業以外の活動で忙しくしている人、朝鮮人学校に通いながら日本の高校卒業資格をとるために来ている在日朝鮮人などで、わたしのように中退からの再入学者はほとんどいなかった。授業は非常に落ち着いていて、部活でも生徒会活動でもまじめな大人や老人が熱心に頑張っていた。

 

ずっとあとになってある知人から、「親が成績の良かった妹を無理やり通信高校へいれてしまい、妹はクラスメイトの子を妊娠した」という話を聞いて、とてもびっくりした。わたしが通った高校とはまったく違う学校だったけれど、わたしは通信高校卒のしっかりした友人を何人も知っていたので、知人がいうように「通信高校へいったせいだ」とは思えなかった。

 

しかし知人の話を聞いてわかったことは、かつてわたしが学んでいたころと違って、通信高校の生徒は中退者や不登校の十代が多く、安定した仕事に就いている大人や経済的事情で通信高校を選んだ生徒はかなり少なくなっているということだった。

 

知人の親は宗教活動に熱心で、娘をその道に専念させるため通信高校に入学させた。両親の頭にあったのも、どうやらわたしが通信高校へ通った時代の授業風景らしかった。しかし知人から妹が通信高校へ入ると聞いた友人は「あの学校の子たち、帰る家はあるのかな」と不安そうにいったという。正門前にたむろする生徒たちの様子はホームレスばりに荒んでいたそうだ。

 

もちろん妹さんの妊娠の経緯はよくわからない。娘の意思を無視して宗教活動を強制するような両親との確執も当然あったと思う。知人はその点にも憤っていたけれど、「妹の成績ならもっとずっといい学校へ進学できた。そしたらあんなことにはならなかった」と悔しそうに語っていた。「成績がすべてではない」のは確かだけれど、学校選びは大切だ。

 

成績と学校の品位、言い換えると文化的な資質は違う。さほど成績のいい生徒ばかりでないけれど、上品な家庭の子女が通う学校もある。「馬鹿中、馬鹿高、馬鹿大」でもいい教師に恵まれ、地域の協力もあり、秩序が安定した学校もある。

 

でも、これらをひっくるめて、どれかの要素が引っかかったら底辺として悪しざまに叩く文化がある。

 

わたしは学ぶ上で大切なのは秩序と安定だと考える。その上で歴史と伝統とか、品格とか、名物教師や名物クラブなどの面白コンテンツとか、すぐれた教育方法だとかがあれば、もちろんそれもいい。それを誇りにおもい、自信をつけるのもいい。それを根拠にほかの学校を見下す資格があると勘違いさえしなければ。

 

大舅は中学を出てすぐ床屋になり、長崎から東京へ出て、銀座に店を出した。はじめて顔をあわせたとき「今年通信高校を卒業したのだ」と話してくれた。うれしくなって、「わたしもいきました!」というと、舅は赤ら顔でニヤリと笑った。

 

荒れた学校が減ったらいいなあと思う。そして社会に認めてもらうお免状としてではなく、自分が学びたいときに生涯のどの時期であっても教育を受け、生きる力をつける機会が、どのような立場の人にも十分開かれることを願う。出たり戻ったりしながらゲリラ戦で人生を勝ち抜ける世界が、社会が荒れない世界だと思うわ。

 

「低学歴の大人」や「子供を低学歴にする大人」が作ってる世界に育った子供たちが低学歴になる。

常識をおしえてもらえなかった子供たちが、その子供たちだけの常識作る。

 

それで、この「低学歴の世界」を、そうじゃない違う世界と切り離さないで、って思った。

(特定のブログの人にじゃなくて、不特定多数に向けて、です)

どこかでパイプ繋げて。

それじゃないと、いつまでも、ちゃんとした世界に入れなくて、この世界に取り残される人がたくさんいる気がした。

 

私のいる世界→追記の記事2つあります - ひきこもり女子いろいろえっち

 

 

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