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五年目の墓参り

もちおと実家の墓参りにいった。東京にいたあいだは一度もいかなかったが、ここ数年欠かさず参っている。父は墓と仏壇を無視して暮らしており、これまで仏壇は祖父が、墓は弟が手を合わせていた。祖父は一昨年墓に入り、弟は訳あって今年は姿を見せていない。

炎天下をふうふう言いながら、水の入ったバケツを二人で三つも持っていった。いつのものなのか墓前に蝋燭がぐんにゃり横たわっている。もちおは濡らしたタオルを頬かむりして草を取り、わたしは植木を整えた。花生けの石がカンカンになっていて、入れた水がみるみる熱くなる。水を入れ替えながら石を冷まそうとするけれど、なかなか冷めない。「焼け石に水だな」ともちおがいう。

墓に水をかけ、たわしでこすって雑巾で拭く。雑巾も熱々。墓参りのたびにごしごしこすりすぎて文字や紋が薄くなっている。

「小さいころ、お墓にお水をかけるとご先祖様がさっぱりするんだと思ってた。暑いから」
「俺も。いまもそう思う」

せやろか。

五年前、祖父と三人で墓参りに来たことを思い出す。こんなに暑い日に97歳の年寄りが大丈夫だろうかとハラハラした。階段の上り下りもある。ようやくすべて終えて帰ろうとしたとき、にわかに日が陰って涼しい風が吹いた。墓の中から叔母と祖母がねぎらってくれているような気がした。祖父はそれで一息ついたようで、無事車に戻って帰宅することができた。帰りの車で「ああ、よかった。これですんだ」と何度もいった。最後まで責任感の強い人だった。

常識的に考えると、わたしたちはこの墓に入ることはできない。戸籍の上では実母も他人で、実家の父一家は誰もここへ来ない。祖父が墓へ入る時も弟がひとりで手続きをした。このまま弟が戻らなかったら、わたしたちが来なくなったあとどうなるのかなとときどき思う。わたしたちはどこへ入るのかな。

先日友人のお母さまが他界された。ご実家にはお父さまが買ったお墓があるのだけれど、ご両親は長年別居していて、家を出たお父さまには長く連れ添った内縁の妻がいるのだそうだ。二人は葬儀が終わるなり連絡もなしに籍を入れ、現在かつての妻を墓へ入れることを渋っているという。「初盆までになんとかお墓にいれてあげたい」といっていたけれど、どうなっただろう。

遺骨はある意味で生きている人よりも好き勝手にできないところがある。

自由人の実母と姑は揃って「墓なんていらない」「死んだら樹木葬に」「灰を撒いて」と夢の葬儀について熱く語る。二人とも「好きにさせて。手出ししないで」という調子でいる。「それやるの、わたしたちですからね。手続きやなんかちゃんとしておいてくれなかったらどうしようもないですよ」と返すと、びっくりしたような顔をする。こういうことについては介護問題についても同様で、「長生きなんてしたくない。延命なんかしてくれなくていい。でも痛みだけはとってちょうだい」と私らしい終末風に語るのだけれど、子供が世話をすることは大前提らしい。なので、「まずはそれを医者なり弁護士なりに伝える手続きをしてください」と返すと、「えー、なんで?」という顔をする。

世話になっておいて悪いけれど、親を先に見送りたい。どうかその墓を、また夫と掃除に来られますように。

ちなみに現在101歳の母方の祖母は、頭脳明晰、明朗快活、単著でも出しそうな勢いで元気にしている。

kutabirehateko.hateblo.jp