底辺出身者の定義ってなに?

「社会の底辺に生きる人間とつきあうな」という主張をするブログが槍玉に上がっていて、夏だからみんな暑くて変なんだなと思っていたら、「その人は底辺出身者だからそんなことをいうのだ、自分も底辺出身者だったからわかる」というブログが共感を集めていた。東京の猛暑は本当にきついんだね。

 

灼熱の太陽の下でも樹々をそよがせる風が気持ちいい福岡で考えるに、この方々はどちらも弱者強者を底辺上流と混同している。そうでないなら底辺から頂点へのピラミッド構造の縦軸はいったいなんなのか教えてほしい。

 

お二人の主張では底辺の底は低学歴、低収入、また劣悪な家庭環境や文化的な貧しさと結び付いており、差別的な扱いをされる職業に就いていることのようだ。これは社会的弱者である。つまり既得権益を得ている側から容易に搾取され、機会を奪われ、意思決定による選択の幅と自由が少ない暮らしを強いられる側ということだ。

 

こういう苦労は本人が努力しても生涯続く。親の出自や収入で部屋を貸してもらえなかったり、仕事ぶりより出身校が重視される職場で出世できなかったり、家柄による派閥を知らず政治的な駆け引きに敗れたりする。なかには努力で苦労が軽減することもある。読めなかった文字が読めるようになったり、読書を通じて教養を認められ、体制側から名誉市民として受け入れられるとかね。とはいえ体制側というのは基本的に理不尽で、最終的には相手の人間性や努力よりがっちり固めてきた家柄や血縁の繋がりを重視する。そしてよその家の努力家より娘息子に席を譲る。名誉市民はおこぼれにあずかることで満足するしかない。

 

既得権益をつかんで離さない体制側におもねておこぼれにあずかることが上流の生き方なのか」とあらためて問えば、それは違うと誰もが答えると思う。そのうちの一部は「でも現実に、底辺層の人間は」と「底辺」の人間的、文化的貧しさを語りはじめる。背中を的にしてコンパスを突き刺すいじめとかね。これは確かにひどい。でもねえ、筑豊出身のあたしの母校なんかじゃねえ、こういうことをする馬鹿をぶん殴って掴み合いの喧嘩ができない坊ちゃん嬢ちゃんこそが唾棄に値する人間的な底辺だったわよ。そりゃそんなこと怖くてできないと思うのは当たり前。だけど本物の貴公子や令嬢はそういう勇敢さを持つものだっていうわよね。

 

では上流とされる人たちの文化にこういった原始的ないじめがないかといったらもちろんそうではない。帰国子女の友達がいたけれど、現地の駐在員妻で結成される日本人妻村社会とその子供たちの日本人子女社会の陰湿さたるや大変なものだったってよ。都心の一等地に次々マンションを買って姪が父親から性的虐待を受けるのを防いでいた人も知ってる。わたし自身は上等な暮らしをする人間じゃないけれど、目の覚めるようなお金持ちから涙ながらに介護の苦労や夫婦問題の悲惨さを語られることもある。本気で底辺が人間的に貧しく、上流階級は豊かだと思っているなら、身近に腹を割って話せる上流階級の知り合いがいないんじゃないかと思う。

 

だいたいはてな見てたらよくわかるじゃない。高収入、高学歴、憧れられる職業に就いている人にも底辺に負けない陰湿さ、差別心があるってことは。それともそういう恥ずかしい面を見せてなお文化人気取りで自分は上流側にいると思っていられることが名誉市民になる特権なのかしら。

 

「底辺出身者」というのは、現在社会的な弱点をある程度カバーできるようになった、ということだ。よかったね。社会的弱者であることは本当に大変だもの。この社会的弱者には現在パラリンピックに出場中のアスリートたちも、名のある旧家に生まれた同性愛者も、難病に襲われた高額納税者もいる。どんなに高級な肉を扱っていてもかつての肉屋は社会的弱者だった。精神疾患を持っている美男美女、発達障碍者であるMicrosoft社の会長、義眼の国民的タレントも社会的弱者だ。

 

はたしてこの人たちは底辺なの? そうでないとすれば底と頂点を通る軸はいったい何なの?

 

「家柄や出自などさかのぼるほどでなくても二親揃って中流以上の教育を受け、尊敬される職業に就いていれば上流階級なのだ」ということならば、たかだか一、二代の小金持ちくらいで周囲を見下せると思うその発想はいかにも小市民で貧しいことだわ。

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