kindle unlimited に小島アジコ先生作品登場 ※ネタバレなし

kindle unlimitedに小島アジコ先生の「猫を殺す仕事」と「はてな村奇譚 上・下」作品が入っていたのでィヤッホウー!と思って読ませていただく。

 アジコ先生は「隣のやおいちゃん」を書店で見て知った。絵がかわいくてすきだった。あのころは同じ村でお会いできる日が来るとは思ってもみなかった。そしてほのぼのシュールというアジコ先生ワールドも想像していなかった。

 

アジコ先生の作品は陰のよさがある。陽のよさはわかりやすい。あかるく元気に生産的に、笑顔と希望と喜びの笑い、感動の涙。歓迎したい瞬間が物語になっている。でも陽の過剰さに疲れてもやっとしているときは疲れる。ついていけない。

 

アジコ先生の物語は臭気がない。血まみれで臓物と吐しゃ物にまみれていても清潔で上品だ。泣きわめく人、発狂する人もどこか淡々としていて、押しつけがましさがない。だから読んでいて疲れない。「何とかしてなくちゃ」「このままじゃいけない、さあ、立ち上がれ」と焦らずに読める。物語は舞台の上にあって、こちらに踏み込んでこないから、自分の痛みを引きずり出されるようなこともない。

 

そうして安全なところで姿を隠して覗き見るようにアジコ先生の物語を読んでいると、あかるく元気に生産的にもいいことばっかりじゃないよな、とほんのり思う。そう思ったからといって「わかった?じゃあ陽を捨てろ!陰に浸れ!理解しろ!」と強制される気配もないから、自由に考えられる。それで防衛が弱まるのか、素直に「確かに現状のこういうところまずいよな」と思ったりする。

 

アジコ先生は社会的な問題をちょいちょい漫画にしている。でもそこには「鋭い指摘と問題提起でしょ?ね!」というドヤ顔感がない。代わりに「あー笑えない事態ですよね、あはははは」という静かなおかしさがある。なんとなく笑ってしまう。そして人間は笑った後に出された話は得心しやすいのだそうだ。

 

アジコ先生の漫画は曖昧模糊としてつかみどころがないため、共感することも反論することも難しい。それでどこにも力を入れずに読んでしまう。そしていつのまにかぼんやりと説得される。催眠術の権威である医師ミルトン・エリクソンが「言葉の柔道」という言葉を使っていたけれど、アジコ先生の漫画は漫画の合気道みたいだ。こちらが力を入れているところにふわっと入ってきて、頭をくるっとひっくり返してしまう。

 

アジコ先生の漫画を読むと、前と何かが変わったと感じるけれど、何が変わったのかわからない。あえて言葉にするなら、生産性で自分の価値をはかってしょっちゅうダメ人間みたく思うのだけれど、そういう考え方どうなの?って気持ちかしら。

 

陰のおぞましさを強調するというのは陽の考え方だ。陽がいいものだから陰を非難する。陰の問題点を正そうとするのも陽の考え方だ。物事は陽に向けて正されるべきだというベースがあって陰の問題を提起する。

 

でもこの世は陰陽あっての世界だ。昼と夜、活動と休息、「プラス思考」は絶対的なヒーローではないし、「マイナス思考」は恐るべき敵ではない。アジコ先生の本を読むとそういうことが無抵抗な心に静かに入ってくる。読ませていただけて光栄なことであった。

 

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