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小市民のしあわせと憧れのおばちゃんライフ

web日記 エッセイ的なもの

地元の商店街に昔からおばちゃんがひとりでやっているソフトクリーム屋がある。先日久しぶりに入ってソフトクリームを食べた。

 

店にはおばあちゃんになったおばちゃんと、おばちゃんと同世代のばあちゃん二人が飲み物を飲みながら涼んでいた。わたしが腰を下ろしたとき、おばちゃんらは二の腕について話していた。

 

「ここがこう、ぶらぶらするきね、もう袖のないのは着られんと」

「そうやねえ」

「やき、こげんして袖があるのがいいとよ。歌手でも歳とったら、袖のないの着ちょうとおかしいもん。演歌は着物やきね、わからんき、いいたい」

「そうそう。袖があったほうがいいよね」

 

「あー、今日の夕飯どうしよ。魚買って帰ろか」

「あっこの魚屋、閉まっちょうね」

「どこ?」

「ほら、そこの○○。さっき通ったけど閉まっちょう。売り切れやか?」

「今日、休みやろ」

「休み?」

「休み、休み。一週間二回休みようもん」

「うわー!売れちょうんやねえ」

「あっこ高いね」

「高い!××のが安い」

「でも○○は刺身頼むときれーっにして出してくれるやろ」

「そうたい。××はぐちゃぐちゃやもんね」

「そうそう。それに○○は魚が新しいき」

「そう。やき、お客さんに出すときは○○で買う」

「水をじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃ出して、(店の床を)よう洗いようもん」

 

「銀行、もう閉まっちょうやろ」

「ああ、そうやね」

「小銭がこげん貯まってから、重いんよ」※ソフトクリーム代が小銭で重い

「そうね、重かろう」

「銀行にもっていかないけん」

 

おばちゃんらの話は続く。私生活や立ち入った噂話を一切せず、愚痴をこぼすでも理想を語るでもなく、だらだらと淀みなく、和やかな鳥のさえずりのような話だった。ミスマープルのもとへ訪れるゴシップ好きな老女達のような気の利いた皮肉も出ない。

 

こういう話ができる場所と、こういう話ができる相手がいたら、楽しいだろうな。約束せずになんとなく集まって、小銭で買える楽しみを分け合い、思いついたことをなんとなく話して、互いの安否を伝えあう。おばちゃんらがうらやましい。

 

こっちの老人は老人同志なんとなくつながって、用もなく商店街のベンチで憩いながら世間話をしている。わたしがほしいしあわせってこういうのだ。細々とでも一生続けられる仕事があり、サービスを必要とするお客さんがいて、なんとなく人とつながって生きていけること。

 

小市民を底辺とか貧困とかさげすむ人、憐れむ人、地方は終わってる、地方での子育ては子供の機会を奪うとかいう人たちを見ると、ある種のゲーム思想に脳を侵されているんじゃないかと思う。地方の小市民の暮らしにも人が命を支えるために必要とするものが豊かにある。

 

過去の栄光でも、肩書きでも、財産のためでもなく、ただ顔見知りとして話をする幸運に恵まれるためにはどんな人生を送ればいいのか、わたしはそっちが知りたいよ。あんた、どっから来たね。

kutabirehateko.hateblo.jp