母と小三治独演会で永六輔の話を聞いた

母と柳家小三治の独演会にいく。去年のうちにチケットを押さえておいたのだけれど、そのときはまさかこんなことになると思わなかった。

 

母は相変わらず輝くように美しかった。顔全体に鉛筆の先でついたようなほくろが三つあった。それだけ。お粉を薄くはたいただけの肌は肌理細やかでシミもそばかすも傷もない。ベージュの口紅がまだらな白髪の巻き毛によく映っていた。誰とも似ていない独特の着こなしで、いつものようにいい匂いがする。母はおばあさんにならず、仙女か妖女のように歳を重ねている。

 

母は相変わらず世界の中心にいて、この半年まるで何もなかったようにうきうきと、幼いころ父にねだって末広亭で一日を過ごしたこと、そこで志ん朝のお披露目を見たこと、前回小三治の噺を聞きに行ったときのことを嬉しげに話しつづけた。「久しぶりね、毎日暑いでしょう、元気だった?最近どうしてるの?もっちゃんの具合はどう?」なんて人間じみた会話はしない。仙女だから仕方がない。オンディーヌは人間の心を持つまで深刻な話がまるで出来なかったというけれど、母はそんな人間臭い話をするようになったら一気に老け込んで死んでしまうのかもしれない。

 

さて、小三治。母もわたしもこのギスギス関係でそれでも聞きたかった小三治

 

柳家小三治は恒例の長い長い枕の中で、先日他界した永六輔と、彼とともに活動していたやなぎ句会の話をした。「ほんとうに惜しい方を亡くしました、すばらしい方でした」といったことはもちろんいわない。むしろ小三治の追悼は辛辣でずけずけしていて、それが笑いを誘った。話し言葉は声音や話し方や間がそろって意味が通じるものだから、文字にして書けばひどいと非難する人もあるだろう。そのまま書き起こしても伝わらない。

 

でもいつか思い出せるように印象に残ったことをあらましだけ書いておく。

 

永六輔は多才な人だったといわれる。でも小三治はどれも感心するほどではないと思っていた*1。ただ歌はすばらしい。上を向いて歩こう。こんにちは、赤ちゃん。見上げてごらん、夜の星を。どれもメロディを聞いただけで心が浮き立つ。そういうとメロディが勝ってるんじゃないかと思うかもしれない。確かにメロディもすばらしい。でもメロディをハミングしたときと、そこに歌をのせて、見上げて ごらん 夜の 星を とこう歌ったときとでは、やはり歌があるときに心が動く。歌を世に出したという一点だけで永六輔という人の才能は不動のものだと思う。

 

永さんは長年ラジオを続けていたが、ここ数年のラジオはひどかった。(病状の悪化で)何を言っているのかさっぱりわからない。けれどもこれを解読して日本語に直すアナウンサーがいて、この人はお団子屋の娘さんですけどね、この方が上手に永さんの言葉をリスナーに伝える。あの人がこんな状態のラジオを続けるとは間違っていると自分は思った。(場内爆笑)

 

でも何かあって永さんがラジオを休むと、視聴者から投書が山ほど来る。なぜかと思ったら、永さんのように話せない人たちが永さんのラジオを楽しみにしているからだという。またそれらの人の家族や、介護している人も永さんのラジオを楽しみにしている。永さんががんばっている、こっちもがんばらなきゃと励みにしている。考えてみれば何かの拍子に口が利けなくなったり介護が必要になったりする人は少なくない。ある程度歳をとれば身内や知り合いにそういう人がいないという人はいないくらいだ。そういう人たちがラジオを聞いて、視聴率を上げていた。おかしな話ですよ。(場内爆笑)

 

人は死して名を残し、虎は死んで皮を残すと申します。しかし名を残すというのはなかなか難しいことです。永さんの名前はいつまで残っていくでしょうか。私は永さんの歌が残っているあいだは残っていくと思います。永さんの歌はずっと残っていくでしょう。

 

何もなくても人は死んでいなくなります。せめて生きているあいだ、仲良くしましょう。

 

小三治はこういって、例のくしゃくしゃの小僧顔で笑った。そして「転宅」でおっちょこちょいでお人好しの泥棒と海千山千の美女を活き活きと描いて見せ、会場を沸かせた。

 

帰り際、母は「小三治の噺をいつまで生で聴けるかわからない、次回のチケットをさっそく予約しよう」とはりきっていた。わたしは母と自分の二人分のチケットを予約すると約束した。何もなくても人は死んでいなくなります。せめて生きているあいだ、仲良くしましょう。

*1:俳句も上手くなかった。しかし「みのむしや おまえ自分で ゆらすのか」という句は、あの人らしい負けん気の強さが出ていると思った。ゆれるのか、ではなく、ゆらすのか、ときたところがあの人らしいといっていた。

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