「私たち全員が、夢見ることを学ばなくてはいけない」ゴーストボーイ

もちおの付き添いで半日病院。CT検査の待ち時間に難疾患から生還した南アフリカ出身の男性の自叙伝を読んだ。

 

 

何しろ時間がたっぷりあるのでまいかい読書がはかどる*1。前回は中濱万次郎―「アメリカ」を初めて伝えた日本人、その前はGO WILD 野生の体を取り戻せ!で、今回は先日お見舞いにいただいたゴースト・ボーイだった。概要は以下の通り。

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風邪から植物状態へ

著者のマーティン・ピストリウスは12歳でクリプトコッカス髄膜炎にかかったとリンク先には書かれているけれど、これは後に判明したことで、罹患した当初はありふれた風邪にしか見えなかったのだそう。マーティンは原因不明のまま徐々に体力、筋力が衰え、やがて昏睡状態に陥った。両親は半狂乱で南アフリカ中の病院をあたるがなすすべもなく2年後ついに植物状態に。ところがマーティンは16歳の誕生日に奇跡的に意識を取り戻す。しかし自ら意思を伝える手段が見つからないままさらに10年がすぎ、ある日愛情深いアロママッサージ師の女性が*2彼の瞳に意思が宿っていることに気付く。

 

この話はネタバレして読んでいい本だと思うので書きますが、なんと彼は現在起業家で既婚者なんですね。意識が戻ったこと、それを周囲に伝わるまでの話でもたいへんなことなのに、彼はかろうじて意思を伝えられるようになるなりパソコンの修理に乗りだし、そのまま仕事に就いてしまうんですよ。意識を失う前の記憶をすべて失い、文字も読めず、手足もほとんど動かせないまま。

 

マーティンはいまでもなぜ自分がコンピューターをそこまで理解できたのかわからないといっているけれど、人よりコンピューターの方がはるかに簡単に扱い方がわかったんだって。「12歳までの記憶がどこかに残っているのでは」って書いているけれど、彼の家には彼の言語ケアのために導入するまでコンピューターはなかったみたい。不思議ねえ。

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四肢の不自由より恐ろしい差別と虐待

何故だかわからないけどわかることがあったのはよかったけれど、わからないと思われていたあいだ実はわかっていた数々の経験には筆舌に尽くしがたい地獄絵図もあった。回復の希望を捨てない父親と絶望した母親との激しい争い。介護施設スタッフの暴力とレイプ。ごくおだやかな日であっても無視と差別は当然のようにある。彼を人格と尊厳を持つひとりの人間だと知覚した人はほとんどいなかった。

 

母親は息子が完全看護が受けられる施設への入所を希望するが、父親は家族の一員として自宅で暮らすことを主張して譲らなかった。これは彼にとって大きな幸運だった。家族の休暇にあわせて彼が長期的に預けれられていた施設は暴言と無視、性行為を含む暴力を日常的に入所者に加えていた。彼は施設へいくことに全力で抗議していたが、両親は彼に意識があること、彼がそこで何をされているかを知らなかった。

 

施設関係者だけではない。人は話が通じないと考えた相手にどこまでひどいことができるのかをこの本は如実に語っている。

 

活字大きめの児童書サイズで、飽きさせない展開に読みやすい文章。本好きな人なら数時間で読める。四肢の不自由だけでも悪夢なのに、10年の間意思の疎通がまったくできないという経験を文字で追体験するのは恐ろしいことだけれど、全編通して希望と愛情と信仰がベースにあり*3、最悪な場面も抑えた表現で静かにすすんでいく。書き手はマーチンではなくミーガン・デイヴィスという別の人だそうで、聞き取りで書き起こされた新書のようなあっさり感はそのせいかなと思う。

 

障碍者」の物語ではない 

この本は基本的に憐れな病人の美しい闘病記、健気な障碍者のリハビリ記ではなく、一人の青年のサクセスストーリーなんですよ。彼の経験は間違いなく独特なものだけれど、恋と挫折、親への愛情と葛藤、仕事と学業への期待、挑戦、不安と自信のなさ、そういった誰の人生にも共通する成長の痛みと快感がいきいきと描かれている。恋!そう、恋。彼は恋愛市場で高値がつくモテ系ではなかったけれど、パートナーシップという点では多くの恵まれた素質をもっていた。口説き方もかっこよくて「ヒュー!」って読みながら声にでちゃったよ。映画マイ・レフトフットに登場した脳性麻痺のアーティスト、クリスティ・ブラウンもたいがいなエゴイストで恋に生きる気障男だったけれど、マーティンはもっとジェントルでロマンティックなタイプでございました。

 

とくに印象に残った言葉をスケジュール帳に書きとめておいたので最後にご紹介させていただきます。これはフィラデルフィアテンプル大学でACES(補助コミュニケーション・自立支援)プログラムを運営しているダイアン・ブライエンが語った言葉。

 

障害とは身体的・認知的・知覚的制約だけではなく、できるはずのことをできなくしてしまう姿勢をも指しているからです。本人が何かを達成できると思わなかったら、あるいは、人からそう期待されなかったら、決して達成することはできません。

 

障害を持つ人たちが、目の前の壁を壊したかったら『壊す権利がある』と知らなくてはいけません。ほかのみんなと同じように、目標を持つことができる、と知らなくちゃなりません。そして、目標を持つためには、勇気を出して夢を見なくてはいけません。

 

今お話した人たちは、多くのことを成し遂げましたが、その誰もがしていたことは、勇気を出して夢を見ること。夢を見ることは力をくれます。私たち全員が、夢見ることを学ばなくてはいけないのです。

 

 P117 20章 夢を見る勇気

 

本を読み終えて午後にもちおの検査結果を聞いた。果たして今日の検査結果はこれまでいちばんよいものであった。絶望的な診断から文字通り起死回生したマーティン・ピストリウスの本が、今日この手にあることを感慨深く思った。すてきな本のお見舞いをくださった方のおかげで不安な時間から救われ、勇気づけられました。もちおもあとで読みたいって。みなさんもぜひ。

*1:パソコンを持って行って仕事をしようとしたことがあるけれど、これは集中できなくてダメだった。

*2:正しくはリリーフケアラーといって、痛みを癒すスタッフ。アロマオイルを使って週に一度マッサージをしていた。

*3:宗教的な記憶はまったくなかったけれど神の存在は確信していていつも語りかけていたって。