読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

友達ができない理由がわかった

web日記 思うこと

去年えんえんモテについて話していましたが、今年のマイブームはBORN TO RUN 関連です。今日もしつこくその話題です。

 

南米に住むタラウマラ族の間では初対面で要件を話すことは無礼とされているそうだ。要件を話さないと用事がすまないんじゃないの、と思いながら読み進むと「相手が打ち解けるまでこちらを観察する時間を与えて待つのがタラウマラ族の礼儀作法だ」あった。がーーーーーん。

 

「打ち解ける」っていう言葉を久しぶりに目にした気がした。そして大人になってから友達を作ることが本当に難しくなった理由がわかった。近年わたしは打ち解ける前に距離を縮め、その距離に耐えられず距離を置くことを繰り返していた。

 

子供の頃の人間関係

子供の頃は親しくなる前に一緒に何かしながら相手を観察する時間があった。遊びの場で知り合った子とは名前を知るより早く遊びの輪の中で人となりを見ることができた。学校で知り合った子とは学校生活を通じて、習い事で知り合った子とは稽古時間とその前後に、相手を観察して親しくなるかどうか考える時間があった。なかには初対面から意気投合する子もいたけれど、初対面から「友達にならなければならない」という状況はなかった。

 

子供の頃の友達は知り合って数週間、数ヵ月、数年経ってから友達になることもあった。個人的に仲良くなるまでに、相手がどんなときにどう行動する子なのか、どこに住んでいて何が好きなのか、とくに意識しなくても情報が自然に入ってくる環境があった。情報は断片的だけれどほとんど偽装されることもなかった。

 

「わたし親友がほしいの。わたしと親友になって」と初対面で切りだす赤毛のアンみたいな子はわたしの周りにはいなかった。アンは後年ダイアナとほとんど接点がなくなるが、あの二人はもともと年が近いというだけでほとんど共通点がない。アンとダイアナはあの関係にさほどストレスを感じなかったみたいだけれど、ああいう形で「今日から親友」というのはサイコホラーに属す世界で、実際かなりきついと思う。打ち解けるまで相手を観察する時間は必要だ。

 

ところが大人になってからの人間関係には「出会うなり親しいモード」がとても多い。

 

仕事上の人間関係

一般的に仕事上では初対面の相手にも礼儀正しく、同時に親しみをこめて接するよう心がけるものだと思う。これは仕事を円滑にするためのマナーだから、仕事中に私的な話を持ちかけたり、立ち入ったことを聞いたりはしない。立場上知り得たお客様の個人的な事情は仕事上のものと割り切って、私生活に持ち込まない。ごく当前のことだ。でもやっていることをあらためて考えるとこれはとても不自然だ。少なくともわたしにとっては。

 

なにしろ普段ぜったい話す機会がない人に対しても、ひとたび仕事となったら無差別に、打ち解ける時間0で意図的に和気藹々になるのだ。ミッキーマウスの着ぐるみを着るように仕事の顔を作り、ミッキーが初対面の人と肩を組んで写真を撮ったり抱きしめたりするように、旧知の親友のようにやりとりをする。無理がある。無理があるよ、これは。

 

これだとお客様や職場関係者に気に入られて私的な交友を望まれてたら、ミッキーをやめるか、私生活でミッキーをやり続けるかを選ばなければならない。相手はミッキーじゃないならつきあう意味はないと思うかもしれない。でも私生活を犠牲にしてミッキーをやり続けるのはどう考えてもきつい。距離をおくしかない。

 

適度に話をしながら日々職場で顔を合わせ、互いに観察する仕事もある。わたしはお客様には雑談も仕事のうちだと思っているけれど*1仕事仲間に対しては「仕事中の私語はいかん!」という強迫観念を持っていて、最低限の返事しかしない。そして休み時間には弁当と読みたい本をもって、いちもくさんに一人になれる場所に向かった。無理してミッキーをやり続けているからだ。

 

web上のつながり

くたびれはてことしてのわたしは、まったく見ず知らずの人に親兄弟にさえしない話をしている。読者と心理的な距離が近い。そうすると見ず知らずの人から「親友になれると思いました」とメッセージをいただくことがある。*2

 

わかる。わたしもブクマ読むのが楽しみな人とか、勝手に思い入れして泣いたり笑ったりしてる人はいる。webに限らず、成育歴から初恋、結婚と離婚、創作の内輪話をつまびらかにしたアガサ・クリスティの伝記を読んで、アガサは心の友だと思った。でももしもアガサと天国で会えても、アガサの方じゃそうは思っていないよね。彼女とわたしの間には個人的なつながりが何もないんだもの。

 

こういう問題は相手を観察する機会が片方だけにあるせいでおきる。またメールやチャットで異常に盛り上がり、すっかり互いを知り合った気になってしまうこともある。そして顔を合わせてはじめて、相手がごく当たり前の見知らぬ人だと思い知る。文字や声ではわからなかったことが一気に伝わってくる。百聞は一見にしかずだ。

 

もちろんwebで知り合って後々親しい友人になることはある。でもそれにはまず他人として知り合い、打ち解けるまで時間をかける必要がある。当たり前だ。

 

それなのにわたしはこれまでオフ会や何かで顔を合わせると、酒も入れずに心の準備が出来る前から親しみをこめて友達モードで接してきた。頭が社交マナーに占拠されているのか、黙って静かにしていると相手を拒絶しているようで失礼だという強迫観念がある。家に帰ると膝を抱えて部屋の隅で震えた。だから初対面で意気投合しても、次に会ったとき同じテンションでいなければならないと思うとキツイ。無理がある。無理があるよ、これは。

 

オフ会に入る前の個人的なメールのやりとりでも、親しさの火加減が上手く行かないで困ることは多々ある。だって会ったことのない人なんだもの。よそよそしく儀礼的にならずに、失礼で不躾にならずに、相手も自分も自由に距離を調整できるように。下手に思い入れがあるぶんあれこれ気をまわしているとまた膝を抱えて部屋の隅でふるえる羽目になる。

 

顔見知りになりたい

「出会って一時間で連絡先を聞いて翌月遊びにいく」みたいなことはこれまで何度かあった。でもそういうんじゃなくて、別れた後に過呼吸にならないような、気圧変化がゆっくりな知り合い方をしたい。

 

永田カビさんはさびしすぎてレズ風俗に行きましたレポで、デリヘルを利用したときの気持ちを「トーナメント戦にシードでいきなり決勝戦まで来てしまった感じ」と書いていた。初対面でいきなり背中を流し合い、ベッドを共にするのは確かにだいぶすっ飛ばした感じがある。「友達」くらいでもきつい。ほしいのは「友達」より前の「顔見知り」の段階だ。

 

とくに関係性を限定する事情がないコミュニティで、相手の存在をなんとなく知って、常日頃何をしているか目に入る。こういう時間をある程度もってから、気が合いそうな人と目的のない会話を何度か繰り返す。それからちょっと個人的な話に入る。様子を見て、近づくか距離を戻すかを決める。*3

 

でも、ないんですね。こういところ。ご近所さんともご挨拶くらいしかしませんし。だいたい人と雑談込みのやりとりする機会がほとんどない。*4

 

駐車場では券売機が「いらっしゃいませ。ボタンを押して駐車券をお取りください」という。駅では券売機が「行先ボタンを押してください」といってくるし、ホームでは「白線の後ろへ下がってお待ちください」とスピーカーから声がする。回転すしのカウンターには板前さんはおらず、タッチパッドが「ご注文の品が到着します」と案内をする。

 

喋っているのが人間で、相手の顔を見て話せたらいいのになあと思う。そしたら顔見知りになれるのに。仲良くなれるかもしれないのに。

 

知人の家の近所には小さな駅があり、そこでは駅員さんが何から何まで少人数でやっている。駅員は話し好きで、知人がでかければ「いってらっしゃい」帰ってくれば「おかえりなさい」と声をかける。それだけではない。

 

「電車に間に合いそうにない時は『待って~!』って手を振ると、駅員のおじさんが電車を止めておいてくれる」と知人はいう。すごい。うらやましい。友達ってわけじゃあ、ないみたいだけど。

*1:ミッキーサービス的な意味で。

*2:いうまでもなく見ず知らずの人からいただくメッセージは好意的なものばかりではない。子供のころから拳で殴り合ってきた親友同士がずけずけものをいう調子でめちゃくちゃなことをいってくる人も大勢いる。こういう人も目の前に相手がいたらたぶん調子が違う。

*3:わたしにとってもっともこれに近かったのははてなハイクだった。大喜利やしりとりを通じて知り合った人と無言で星をつけあう。入ってもやめてもいい。自己紹介も別れの挨拶もいらない。やがてidページから何気ない日常のつぶやきを眺めるようになり、「猫好き」「スケオタ」「かわいいおっさんフェチ」「放浪癖」など個性が見える。校庭みたな、公園みたいなところ。最初の内はやっぱりオフ会から帰ったら膝を抱えて震えちゃうんだけど。

*4:「友達がほしい人!」みたいなコミュニティはfacebookにあるけれど、友達作るのが前提で来たっていうのがすでに選択の余地を潰している。婚活も結婚前提というのは効率がいいようできついだろうなと思う。