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セックスより切実にハグ 「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」

ポリアモリーについて思うことを書いたところ、共同保育やコロニーの形成という面はあっさり無視され、「セックスセックス乱交ダメゼッタイ!」みたいな意見がいっぱいあった。*1

 

今後社会的に結婚関係外の性交渉が認められようが認められまいが各々が自分の(それが同性だろうが異性だろうが)パートナーと納得のいく形で生きていけたらいいなあというのがわたしの結論。そして我が家はモノガミー派。*2

 

でもわたしにはポリアモリーうらやましいと思う理由がひとつある。それは現代日本のモノガミー文化では、パートナー以外の人とは性的なニュアンスがあろうがなかろうが互いに抱きしめあうことが一般的でないということだ。例外はごく幼い身内の子くらいだよね。だから身内に懐いてくれるちびっこがいなくなったらパートナーなしには抱きしめ、抱きしめられることはない。

 

永田カビさんのさびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ を読んでつくづくこりゃ困ったなと思った。

 

抱きしめてくれる人を探す

永田さんは大学中退後いわゆる人生のトンネルに入りこんでしまい、悩みに悩んでそれまでのように仕事も日常もこなせなくなる。解決策として自傷行為自死が絶えず選択肢に浮かぶ日々で二十代の大半を過ごし、紆余曲折あって漫画家としてデビューするがそこでまたスランプに落ち込む。

 

永田さんはこじゃれた意味ではなく、心底切羽詰まった切実な理由からはじまった自分探しの旅の途中で親子関係について書いた本を読み、そこから過去の自分を振り返る。

 

というのが、pixivになかった追記部分。ほかに後日談も追記されていて読み応えがあった。

 

永田さんは思考錯誤の末、タイトルにあるように女性による女性向け風俗を利用する。しかし最初に探したのは性欲を満たしてくれる風俗店ではなく、あ、以下ややネタバレになりますよ。いいですか?ネタバレいやんと思う方はkindleで読んでほしい。

しかし最初に探したのは性欲を満たしてくれる風俗店ではなく、抱きしめてくれる母的な存在で、検索したのは「フリーハグ」だった。

 

わかる!めっちゃわかる!

 

そもそも永田さんが自分は抱きしめられたいのだと気づいたきっかけは田房永子さんの

 豊満な熟女に抱かれたいというエントリーだった。そしてエントリーには大勢の女性から共感の声が寄せられていた。おそらく共感した男性もいただろうけれど、性的なニュアンスを含まないものなのかどうかわからない。でも男女問わずただただ抱きしめてよしよししてほしいという気持ちは間違いなくある。

 

愛されていても触れない

子供時代をすぎてから結婚するまで、それに近いスキンシップといったら、とても落ち込んだときに妹を呼んで手を握ってもらったことくらいだ。ひどく落ち込んで心底つらくて長い時間神に祈った夜がいくどもあった。神は愛です。はい、わたしはそれを心から信じます。「でも、あなたはわたしに触れてくださいません」とある夜わたしは泣きながら神を非難した。

 

心から気遣い、支援してくださる友人知人恩師に対して心の中で「いま本当にしてほしいのは抱きしめてくれることだ」 と思ったことが何度もあった。世の中には自分より大きな若者を小さな子供を抱くようにぎゅっと抱いてくれるおばちゃんがいて、ごくまれにその恩恵にあずかると本当にうれしかった。*3

 

永田さんは風俗を利用したけれど、もし身近に存在するなら吉本ばななが「白河夜船」で書いたような、あるいは漫画「シマシマ」に描かれていたような、添い寝してくれるサービスでもよかったんじゃないかと思う。

 

しかし吉本ばななの「白河夜船」で主人公の友人は添い寝サービスのストレスで病む。もちろんこれはフィクションだけれど、安心できる関係性がない他人をくつろがせるために添い寝するのは大きなストレスになるだろうということは、我が身に置き換えればすぐわかる。

 

やっぱり心をゆるせる相手でなければ安心できない。そして現代日本の文化で成人した人間にそれが認められる唯一の関係はただひとりのパートナーだけだ。

 

「ハグ=パートナー」文化の敷居の高さ

誰でも抱きしめたい、抱きしめられたいときにそうできる関係の人は必要だと思う。「確固たる恋愛感情を持っていて、相手が異性で、経済的に自立できて、生涯その人以外とハグしないなら、ハグしてもいい。破ったら慰謝料」と条件をつけないと抱きしめられないなんてあんまりだ。

  

部屋に異性を上げたら性関係をゆるすサイン、手を握るのをゆるしたら身体をゆるしたも同然なんていわれている世界で「心細いからハグしたい」とか「元気出して」でハグするとかゆるされない。わたしはこれが前々から不満。

 

もちろん建前としては誰を抱きしめてもいい。親子でも友人でも異性同性かまわず抱きしめればいい。しかし実際やると奇異な目、白い眼で見られ、何を考えているのか勘ぐられることの方が多いと思う。そうできる相手がいる人は幸せだ。

 

わたしにとって パートナーがいるうれしさは性欲を満たしあうことを社会的にゆるされていることではない。抱きしめられる人がそばにいて、手を繋いで眠ることができるということだ。もっと大勢のパートナーがほしいとは思わない。でもそんな風に安心して手を繋ぎ、抱きしめあえる文化のコロニーにいられたらいいのになと思う。

 

ポリアモリーを自称するみなさんが高齢になって、性的な魅力が若い時ほどなくなっても、恋人同士の繋がりの中で互いに静かに抱きしめあう人々が大勢いるなら、それは本当にうらやましい。実際そんな風に何かと抱きしめたりキスをしたりできる相手がたくさんいた方が元気でいられると思う。セックスできるかどうかなんてそれに比べたらそれほど切実な問題じゃない。少なくとも若い時ほどはね。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:つづきも書いた

*2:一夫一婦制。

*3:いうまでもないけれど、望まないスキンシップや性的なニュアンスの一方的なスキンシップは凹む。何か吸い取られるように力を奪われる。