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サイモントン療法と先取り疾病利得

web日記 闘病生活

調子が悪くてあちこちいってあれこれしてみたんだけれども、あるところからまったく効果が出なくなった。そんなときサイモントン療法の本に疾病利得対策をしておきなさいと書いてあったのを思い出した。それで意識して自分の「疾病利得」が何なのかを探ったら予想以上に早く効果が出た。

 

サイモントン療法というのは一種のイメージ療法で、病が癒えて健康になるイメージによって免疫力を上げるもの。「がんが消えた奇跡のスムージーと毎日つづけたこと」という本で知り*1、抗癌のために活用している。内容を知っておこうと思って本には目を通し、もちおの伴走としておざなりにやっていた。

 

ここしばらく目が覚めた瞬間から「ああ、時間がない」と焦っていた。追い立てられるように家事をはじめるのだけれど、気ばかり焦って身体が重く、頭も働かない。あそこが痛い、ここが痛い、鼻水が止まらない、微熱が続く、食欲がない。夏風邪?夏バテ?この忙しいときに!でも結局起きていられなくなるので、横になる。横になっても気は休まらずジリジリしている。落ち着かないので意味もなくベッドでスマホを見続けている。でも文章を最後まで読めない。今日できないなら明日あれをして、それからこれをして、それが済んだら…。

 

こんな状態なので予定していたことが片付かないまま予定外のことが入るとキーーーッ!となる。もちおにやさしく出来ない。もちお手伝ってよ!!!となる。「しなくていいじゃん」とか言われると肩を掴んでゆさぶりたくなる。おかしい。こんな風になりたいわけじゃない。

 

疾病利得による足踏み対策

病気になることでえられる有利なことを疾病利得という。風邪を引いたから受けたくない授業を回避できるとかね。

 

疾病利得が大きい場合、回復はある地点で足踏み状態になったり、悪化したりする場合があるとサイモントン博士はいう。健康を回復したらもとのストレスに直面せざるをえなくなるからだ。ではどうしたらいいのか。病で獲得したものを、健康な状態でも満たせるようにすることだ。もっといいのは病気になるまえにそうしておくことだ。

 

「病気でもないのに休めない」と思うなら、「健康でも休むことは必要だ」と考えて休む。
「病気でもないのに人に援助なんて頼めない」と思うなら、「健康な人にも助けは必要だ」と考えて助けを求める。
「病気だからできない」と病気を方便に断りたいことを断れるようになったのなら、「~だから」なしに自分の意見をいえるようにしてみる。

 

これらはガンに限った話ではない。サイモントン博士は例としてひどい風邪をひいた知人の話をあげていた。彼は締切が迫った難しい仕事を抱えていたが、内心妻に手伝ってほしいと思いつつ躊躇していたことに気が付いたそうだ。

 

疾病利得探し

わたしは元気だったら何がしたいのか

 →家事

 

家事がすんだら何がしたいのか
 →自分の仕事

 

仕事がすんだら何がしたいのか
 →寝る。休む。だらだらする

 

寝て休んでだらだらしきったら何がしたいのか
 →仕事の勉強

 

仕事の勉強が終わったら何がしたいのか
 →仕事の勉強は日々ずっと続けたい

 

仕事の勉強が日々の習慣になったら何がしたいのか
 →運動と趣味の読書。遊びに行く

 

よし、わかった。まず寝て、ダラダラしよう。ちょっと元気出たら仕事の勉強して、趣味の読書して、運動して、遊びに行こう。気が済んだら家事と仕事をしようじゃないか。そうじゃないと寝込んでしまって元も子もないからな。どうせそういうの後回しにしたって、家事と仕事がはかどるわけじゃあないからな。

 

そう思って、思い切ってだらだら寝て読むべきものじゃなく読みたいものを寝床で読んでいた。こうしないと体壊して死んじゃうからな。死んだらもちおが困るからな。もちおのためにもいまは「食の軍師」を読まないといけない。遊びはたいせつなんだから、はてこblogも更新しないとな。

 

そんな風に数日過ごしてみたら、仕事をする気力が湧いてきた。朝やると決めていた家事をふと夜中に片づけたり、「そんな大仕事無理だ」と思っていたことになんとなく手を付けて、いつのまにか終わったりしていた。身体はだるいことはだるい。でもギリギリするほどきつくはない。もちおに「やってよ!」と前ほど思わないい。予定外の仕事が割り込んできてもキーーーーーッ!とまではならなくなった。

 

疾病利得リスト

腫瘍精神科の本にガンになってよかったことと悪かったことのリストを書くというワークがあった。書いてみるとだいたい「ガンになってよかったこと」のリストが長くなるという。これは避けられない運命を受容するための合理化ではないかとはじめは思った。しかし多くの闘病者は罹患する前に病なしには逃れられないようなストレスを抱えている。だから闘病生活に入ってはじめて義務として責任としてなすべきことから逃れ、やりたいこと、ストレスの少ない生活を選べた、という人がとても多いのだそうだ。なるほど。

 

我が家の場合、長年SEとして働いてきたもちおは転職以来慣れない営業職で多くのストレスを抱えていた。もちおは最新の技術に通じ、それを自分のものにして、納得がいくプログラムを組むことに大きな喜びと楽しみを感じて生きてきた。転職しても同じ仕事を続けるのだと思っていた。けれども紆余曲折あって営業職に就かされ、PCはofficeとメールのためにしか使えないような暮らしだった。

 

現在もちおは社内用アプリの作成を任されて自宅で働いている。予算無制限でハードをそろえるように会社からお墨付きをもらい、日々海外オークションをチェックしては掘り出し物を落札。妻と共有していた書斎を独占し、床一杯、棚一杯に各種パーツと本を並べ、日がな一日あれこれ組み立てている。

 

「楽しい。これがやりたかったんだ」ともちおはいう。「ガンになってよかったことある?」「いっぱいあるよ」。

 

もちおが少し元気になったので、最近は会社の方からアプリ制作以外の雑事が連日のように来る。「無理しない程度に」を枕詞にどんどん仕事を頼まれる。もちおはやんわり血小板数値について伝えたりしているそうだけれど、人は自分が知りたくない情報には目をつぶるから、はっきり断らない限り前のように人にふりまわされる暮らしに戻ってしまうのではないかと思う。やばい。なんとか上手く線を引いて、疾病なしに利得を得る道が開けて、ガンがお役御免になるといいなと思う。妻としてせっせとだらだらして遊ぶ時間を増やそうと思う。

 

 

*1:「できることはこんなにある」というより、「ここまでできないよ…」と凹んでしまうくらい、夫に献身的な著者。しかし参考になるところはたくさんあった。