不倫やポリアモリーって種として自然なことなのかもな

つらつらと。

GO WILD」読んでたら、生涯カップルになる動物の研究が出てきた。自分の種を優位に存続させるため雄は雌を独占しているのだろうと言われてきたそうだけれど、遺伝子を調べたらどの雌もパートナーの子は半分くらいで、あとはよその雄の子だったとのこと。これは雌が浮気性だということではなく、カップリング形成している雄雌同士が外でも交尾するのがふつうで、雄は自分の子かどうかに関わらずカップルの雌の子を守り、育てるということだ。

 

このことから家族を形成する動物は雄が自分の遺伝子を有意に保存するためではなく、群れとしてカップリングが成立している方が危機に強いからつがいになっているのではないか、という結論が出ていた。

 

これを読んだとき「人間は種としてカップルを形成するけれど、それは社会的な習性であって繁殖に関してはカップルに限定しないのが自然なのかもしれない」と思った。確かにその方が多用性がある種になるよな。

 

もうひとつ。

 

人間の子はほかの動物と比べて自力で身を守れるようになるまで桁違いに時間がかかる。子作りして産み育てられるようになるまではさらにかかる。「これは人間が共同保育をする動物だということを意味している」という結論が出ていた。

 

狩猟採集民族は夜は群れで眠る。とくに順番は決めないが、夜目を覚ました誰かしらが交替で火の前で晩をする。熟睡する世代と睡眠時間が少ない世代が混在すれば群れ全体が守られる。群れの持ち物は群れ全体のものであり、群れの安全は群れ全体が家族として守った。

 

子供はみんなのもの。保育は共同でする。病人や子供も群れみんなで守る。しかし緊急時や危機に面したときは群れで認められたパートナーと親子という家族の単位が結束して動けるようにしておく。

 

確かにこういうしくみなら若い親、病弱だったり障碍があったりする親の子でも一人で追い込まれないで済む。産めるものが産んで、育てられるものが育てて、養えるものが養う。同性愛者も保育と養育と看護、介護に加われる。狩猟採集時代はそんな風に群れで行動していたのだろうか。

 

正当派ポリアモリーのみなさんは恋人の恋人、そのまた恋人のことも愛し、思いやるのだそうだ。財産や資産、子供をどう扱っているのかはわからないけれど、その辺もうまくやれていて、老齢や病気など美しくない現実に直面してもその姿勢で互いに助け合うコロニーを形成しているなら理想的だよな。いうまでもないけれど性愛と情愛に溺れ、無責任な乱交と妙な選民意識で自分たちに酔い、性病と望まない妊娠に目をつぶり保育や介護から逃げるなら、それは有害な自殺集団にほかならない。そういう狂信者団体みたいなやつじゃなくて、ネイティブアメリカンみたいな集団的家族だとしたらいいよね。

 

でも財産を血縁にだけ残す、戸籍上繋がりのあるところにだけ残すという風に富を独占し、保育養育、看護介護など背負う苦労を限定するようになると、「結婚」「家族」の意味は違ってくる。「家のものじゃないなら口を出すな」「家のものが責任をとれ」「どこの家のものだ」こういう考え方は事件や事故に対する意見のなかでいまも普通に見られる。うちには関係ない。おまえの家には関係ない。これは種として生き残りづらい生存戦略なのかもしれない。

 

合意の上での夜這いで、生まれた子は村みんなで育てつつ、どの家の子かははっきりしていて帰る家と最終責任者がいるというのが、種として理想なんかな。まーかなり難しそうだよね、社会的に。

 

不倫離婚した両親を持つので「不倫、ダメゼッタイ」と思って生きてきたけれど、不誠実、不正直、愛情不足、協力の精神のなさが問題なのであって、性愛を戸籍で限定すること自体に意味があるんじゃないかもねえ、といまは思う。

 

ただもちおが嫌がるから我が家には導入しない。それが我が家流。よそは知らない。

 

ちなみにBORN TO RUN によれば狩猟採集民族は男性も女性も平等に狩りに加わる。リーダーになるかどうかに性別は関係ない。ウルトラマラソンランナーの優勝者には女性が多く、妊娠中に、また授乳中(乳児を抱いて!)ウルトラマラソンに参加して上位接戦を争った女性もいるとのこと。同様に老人やハンディを持つランナーが上位に食い込むこともまれではない。数日ぶっつづけで走る体力は時間制限のあるスポーツとまったく違う。

 

マラソンの世界では20代のタイムを更新できるのは60代に入ってからだそう。還暦まで生きてウルトラマラソンに参加するのがいまの夢。

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