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抱っこしてもらった

2月に検査入院してそのまま化学療法がはじまり、夫は20kg痩せて3月半ばに自宅に帰ってきた。もちおは以前わたしをお姫様抱っこして運んでいて、廊下で激しくつまづいて足の指を痛めたことがある。もちおは廊下のその場所で立ち止まり、「はてこさんを抱き上げて運んだことがあったね」とさびしそうに笑っていった。何もいえなかった。

 

かつてもちおは力持ちで、膝を抱えて座り込む妻を箱を持ち上げるように抱え上げたり、寝床から起き出さない妻をお姫様抱っこで抱き上げてベッドから連れ出したりしていた。もうそんな日は戻らないのだと思った。これまでもちおは外出すると妻の小さな手提げ鞄まで自分が持とうとしていたけれれど、退院の日の荷物はすべてわたしが持った。退院する日、もちおは歩くのが精一杯で、わたしはもちおが階段を上り下りできるのか心配した。ようやく自宅の寝室にたどりついたときは二人で抱き合って泣いた。いろいろな思いが去来した。

 

一昨日、もちおはふと思いついて、柱を掴むように妻を抱え込んで持ち上げた。びっくりして「やめて!やめて!」と止めた。以前より軽くなった妻を持ち上げられなかったら、もちおはあらためて傷つくだろうと思って、それが怖かった。もちおはいったん妻を下して腰を落とすと、もう一度、今度はもっと高くまで妻を持ち上げた。うれしそうだった。

 

こんな風にまたもちおに抱き上げられる日はもう来ないのだと思っていた。もちおに抱き上げられないということはこの先誰にも抱き上げられることはないということだ。抱っこしてもらうライフは終了したのだ。いきなり終わった。と、思ったら終わりじゃなかった。

 

年始に検査したときは医者から春まで持たないと思われていた。医者の話を聞いた親戚一同も暗黙のうちにそう思っていた。わたしには麦わら一本くらいの希望があったけれど、それが叶っても叶わなくても平静でいられるように祈りながら一瞬一瞬を乗り越えていた。桜を見ながら「春までなんとか生き延びたなあ」ともちおはいった。

 

そしていま夏至を過ぎて、お見舞いのお礼を書きながら、ありがたいことだとあらためて思う。先日もちおは父と天ぷらを食べにいって、シャンパンを奢ってもらった。「医者も驚いているだろう」と父がいった。とくに何も言われないけれど、確かに驚いているのはわかる。

 

抗がん剤はいつかやめなければならない。いま使っている薬には不可逆の副作用があり、長くは続けられない。見た目はなんともないけれど、血液検査の結果を見ると身体のダメージは小さいものではなく、今回も投薬延期になった。「この数値が許容範囲に戻るまでお薬は延期しましょう」「戻すにはどうしたらいいですか」「何もできません」。

 

医者は驚くほど何もしない。身体には一切触れないし、食事や睡眠、運動の習慣について聞かれることもまったくない。血液検査の数値がすべてだ。

 

普通に考えて、生活習慣はあきらかに健康に影響する。だから生活習慣の改善はだいじなことだ。けれども医者は患者が前回の受診以降、早寝早起き野菜中心の生活で健康食品を適度に取り入れ、家族と友人の愛情に恵まれて過ごしたのか、酒と煙草に揚げ物ばかりで連日連夜夜を徹してどんちゃん騒ぎをしたあげく自殺未遂をしたのち病院へ来たのか、仕事に追われてまともな食事もとれず、助けてくれる手もなく話し相手もなく孤独に追い込まれているのか、何も知らないし、知る気もない。

 

いわゆる三大治療、手術と放射線抗がん剤以外は何をやってもガンには効かないことになっているので、それ以外どう過ごすかは治療に影響しないことになっている。だから何も聞かれない。治療に成果が上がった人と上がらなかった人の暮らしぶりに共通点があるのかないのか医者は知らない。知らないから発見もないし、発見がないから聞こうともしない。

 

医者は薬を処方する資格がある人、検査する機関と連絡を取る人というだけで、精神的にも身体的にも支えになってくれる人ではないのだなと思う。「どうしたらいいですか」「何もできません」。おまえ馬鹿か、と内心怒りに燃えることもある。*1でも怒っても仕方がない。

 

とはいえ「お医者さんのいうことをしっかり聞いて」だけでやっていたら、きついと思う。自分たちで工夫して身体にいい生活、避けた方がいい習慣を考えて作戦を立てるしかない。

 

とにかくもちおはいま元気に暮らしている。妻をふたたび抱き上げられるくらい体力もついた。仕事もしている。何より食事ができるようになった。もちおが元気なのは、いただいたお見舞いで身体にいい食べ物、飲み物、そして暮らしの役に立つ物をそろえさせていただいたおかげだと思う。そしてたくさんの人から祈っていただいているからだと思う。

 

現状の医者や医療の在り方がそのままでいいとは思わないけれど、そっちに腹立ててないで、こっちの感謝を深めていきたい。

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:叡智の結晶みたいにいわれる病院だから世間的に見て馬鹿じゃないんだろうけれども。