知らないでいる権利

文春じゃない方の週間なんとかに長年勤めていた伯父がいる。

 

わたしには叔母の離婚で会えなくなった従姉弟がいた。叔母が離婚するまで親しく育った従姉弟に会いたくて、あるとき「あの人はいま」的番組の参加者募集に応募してみたらテレビ局から電話が来た。千載一遇、と思ったけれど、番組が放映されると親にドヤされるかもしれない。「せめて取材中は親に秘密にしてもらえるか」と聞いたら「それは難しい」ということで話は流れた。

 

後年伯父にこの話をしたとき、わたしはあまりよく考えずに「でも従姉弟たちには実母がいまどうしているか知る権利があると思う」といった。すると伯父は「人には知らないでいる権利もあるんだよ」と真顔でいった。

 

「知らないでいる権利」とは何なのか。それまでそんなこと考えたこともなかった。

 

伯父は知る権利を追求する人だと思っていた。伯父は取材先で煙たがられ、心底疎まれ、真冬の玄関先で水を掛けられたこともあったと母から聞いた。週間なんとかが超えちゃいけないラインを超えたとばっちりというか責任を取らされて、痛い目にも遭った。伯父はそういう目に遭ってでも知る権利と知らせる権利のために戦ってきたのだと思っていた。その伯父の口から「知らないでいる権利」という言葉が出てきたことが強く記憶に残った。

 

あれからわたしも歳を重ねて、何度も伯父の言葉を思い返す機会があった。知らせる立場にある誰かの口を通して、ふさわしいときに、心に寄り添う形で知らせるべき話がある。そのような形でない限り、知らないでいることが穏やかでしあわせな暮らしの基盤になることがある。

 

赤の他人が商売のため、私利私欲のために寄ってたかって土足で私生活に入り込む様子から母親の病状を知る義務なんて誰にもない。知らないでいる権利を守れない人はマスコミなんか止めた方がいい。金になろうがならなかろうが、命がけで知らせたいことを持っている人たちに、少しは目を向けたらどうだ。

 

 

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