闘病人をがっかりさせるダメながん治療の本と助けになる読み物

がん治療中の人やその家族に対して、よかれと思って自分が感動したがん治療本や闘病記をすすめる人がいる。*1

 

これらの本の中には健康な人が他人事として読むと「すばらしい本だ!」と思えるけれど、闘病中に読むと大きなショックを受けて生きる気力を著しく損なうものが少なくない。

 

何かしてあげたい一心で自分が感銘を受けた本をすすめたくなる気持ちはわかるが、よく本を選ばないとはなはだ逆効果なので注意が必要だ。

 

ダメながん治療本の展開

書名:希望を持たせる明るいタイトル 
 (例)「がんと上手につきあう本」「名医が教えるがん最新治療」など

 

前書き:悲観的な現状と希望的観測の対比
これまでこんなにたいへんで悲惨でみんなが困っているがんだけれど、この本では成果が上がる有効な治療を紹介する。実際に治った人がいて、大いに期待できる。

 

本文:初期値がMAXで徐々にデクレッシェンドする展開

この治療法で絶望的と診断されたがんが完治した!

余命わずかと診断されたが平均寿命近くまで長生きした!

余命わずかと診断されたが宣告されたよりちょっと長く生きた!

余命わずかと診断されたが宣告されたよりは長く生きて苦しまずに死んだ←

だいたい余命宣告された通りだったが苦しまずに死んだ←

肉体的には苦しんだけれど気持ちは整理できて穏やかに死んだ←

肉体的に苦しんだし最後まで気持ちも乱れていたが死に顔は穏やかだった←

本人は最初から最後まで苦しんだが家族はがんから多くを学んで成長した←

 

結論:死を目前にしてがんから学ぶこともある。中には助かる人もいるので悲観しないで明るく生きよう

 

いかがでしょうか。なぜかがんが他人事のときはこういう本に感銘を受けたりするんだけど、こういう本を闘病中の人間やその家族に渡すことの見当違いさ加減はほかのことに置き換えればすぐにわかる。たとえば一所懸命で受験勉強に励む学生を応援するため勉強法の本を探していたとする。

 

こんな受験対策本は嫌だ

書名「現役予備校講師が教える合格証書を手にいれる勉強法」

 

前書き「現在の教育制度では学力低下を避けるのは不可能。学力の低下は10年前と比べ…世界的に見ても日本の教育の遅れは…しかしこの本ではそんな問題を解決する勉強法が…この方法で絶望的と思われていた大学に合格した人が続出」

 

本文

この勉強法で絶望的と判定された志望校に合格した!

合格率が極めて低いと判定された志望校に合格した!

合格率が低いと判定された志望校とほぼ同じ程度の学校に合格した!

志望校は落ちたけど判定よりいい大学に合格した←

志望校は落ちてだいたい判定通りの大学に進学したが学校生活に満足している←

受験勉強が実らず進学を断念したが気持ちは整理できて穏やかだ←

受験勉強が実らず進学を断念して心身ともに荒れたが時と共に乗り越えた←

受験勉強が実らず進学を断念して心身ともに荒れ、以来社会に背を向けているがニートや引きこもりもライフスタイルの一つだ←

 

結論:不合格にもいいところがある。中には合格する人もいるので絶望的な判定でも悲観しないで前向きに勉強しよう

 

こんな本を、すでに読むべき教科書や参考書に囲まれた受験生に読ませる人は想像力が欠けている。受験勉強をサポートする家族は「落ちる」「すべる」を日常会話に出すことさえ気を使っているのに不合格話のオンパレードを読むようにすすめてどうするのか。

 

「がん」という病名で常識を忘れてしまう人

受験生をつかまえて不合格になった人の話をしたり、手術中の家族を待つ人に手術が失敗した人の話をたりすることが親切なのかどうかは考えたらわかるはずだ。

ところが、こと話ががんとなると、闘病中の人をつかまえて、がんで亡くなった自分の知り合いの話をはじめる人は本当に多い。

がん治療中の人のことを「闘病中の人」ではなく、「死ぬ前段階にいる人」扱いすることが理解をしめすことになるかどうか考えてみてほしい。

 

こういう人は治療の効果をあげるために工夫する人を見て「現実を受け入れられないのだ」と思ったりする。自分の頭の中にある想像上の絶望を現実と混同していながらそれに気がついていない。しかし現実とは悲観主義のことではない。

 

想像上の絶望を悲惨な事例で補完し、それを合理化する考えを持つようにいらぬおせっかいを焼く。こういう行為はシビアな現実と抜き差しならぬ闘いをする人にとって非常にやっかいな雑音で、大いに負担を増す。

 

理想の病人像、看護人像、美しい死

こういう人が押し付けてくるのは治療法だけではない。

 

誰を怨むこともなく清らかな心で死を受け入れた病人や、すべてを投げ打って愛と献身で病人をささえた看護者を美しく描いた話に憧れる人は多い。そういう人は自分の理想のシナリオを現在闘病中の人間やその看護人に押し付けることがある。

 

病人が荒れれば「もっと穏やかに過ごした方がいい」看病人が疲れていれば「もっと肩の力を抜いて」と映画監督よろしくプロデュースしようとする。しかし穏やかに過ごすため、疲れを癒すためのリソースは提供しない。

 

「この本を読んだら役に立つかも、心が楽になるかも」とweb情報や新聞記事、がん対策本をすすめたくなったら自分自身に注意してほしい。それは本当に闘病中の人やその家族が時間と労力を割いて目を通すだけの価値がある情報なのか。それともあなたの焦りや不安を鎮めるための気休めなのか。

 

またあなたは闘病中の人と、またその家族とこれまでどれほどの信頼関係を持ってきたのか。生死にかかわる問題に立ち入れるほどの関係性を持っている人は、それほど多くはないはずだ。

 

闘病人と看護人の助けになる読み物

泉鏡花結核で床に就いていた樋口一葉に、近所の家の猫の困った話を面白おかしく書き送った。そういうほほえましい日常の手紙の一通のほうが、よく知らない人から一方的にすすめられる分厚い闘病美談よりずっとずっと病人を明るい気持ちにさせるものだ。

 

あなたも自分の日常のおもしろい話をブログにでも書きなさいよ。わたしたち日常系のおもしろブログにはずいぶん助けられているわ。

 

↑中学生のときに読んで「さすがだな、泉鏡花…!」って思った。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:闘病人も看護人も限られた時間と体力の中で読み物を選ばなければならにない状況にいる。メモ書き以上の文章を気楽に読める状態ではないのだけれど、URLや署名をがんがん送ってくる人がけっこういる。