「家事は女がやるもの」社会は男子にとっても悲劇

「男性でもやる気があれば家事は出来るはず、だから自己責任」について思うこと。
 
二十代半ばの男の子と知り合った。
彼は母親と二人暮らしだけれど、まともに食事をしていない。
「そんな食生活では将来たいへんなことになる、せめてご飯を炊いて惣菜を買っちゃどうなの」
と、おばちゃんは口を酸っぱくして言った。
「えー。飯炊くとか無理」
「なんでよ、ちゃっちゃと研いでスイッチ入れておけばいいのよ」
よく聞いてみると彼の家には炊飯器がなかった。彼のお母さんは根っから料理をしない人だった。
 
「お母さんは食事どうしてるの」
「あいつは適当に食べてるだろ」
お互い外で何か買ってはその日その日をしのいでいるらしい。
わたしは三十代に入るなり倒れて寝込んで今に至るので、二十代の自己過信には過敏なところがある。
それで「まともな食事を!」とぎゃーぎゃーしつこく言い続けて、彼はついに中古で炊飯器を買った。
 
「炊き立てのご飯、うめぇ!」
「よかったね!」
 
しばらくしてどんなおかずを作っているのか聞いてみた。
一度炊いて以来炊飯器は使っていないという。
 
「なんで使わないのよ」
「だって入れておいたら黄色くなって臭くなってたから…」
「ご飯は炊いたら一食分ずつラップに包むか、タッパーに入れて冷蔵庫か冷凍庫に入れるのよ!」
「そうなのか」
彼は料理の常識というか、料理以前のことで知らないことがたくさんあった。
 
包丁を使うのが面倒だというのでピーラーを使えと言ったら、ピーラーを知らなかった。
カット野菜がスーパーで売っているのを知らなかった。
野菜や肉を混ぜるだけで出来る調味の元の存在を知らなかった。
冷蔵庫に入れた玉子が一週間で食べられなくなると思っていた。
こういう知識はテレビやネットからではなく、家庭で親を見て学ぶものだということがよくわかった。
 
わたしが特に驚いたのは、ここまで困っている二十代男が
「男が料理をするなんてみっともない、気持ち悪い、モテない」と言い張ることだった。
 
「なんでよ。食べなきゃ生きていけないでしょ。結婚したって奥さん倒れたらどうするの」
「そんときは外で適当に食べる」
「奥さんどうするのよ」
「え?なにが?」
「奥さんお腹すくでしょ!」
「あ、そうか。じゃあ適当に買って帰る」
「そういうときはおかゆとか消化のいいもの食べたいでしょうよ」
話を聞くと、どうやら彼は病床で病人食を出してもらったことがないらしかった。
 
彼の中では女性と結婚できればその女性が料理をしてくれるはずで、それまでは適当に買って食べていればいいという話になっている。
「母ちゃん料理してないじゃない、女が料理してくれるもんだって思ったら大間違いよ」
と話すけれど、なかなか信じられない。それどころか
「男が料理をするなんて女子力高くて気持ち悪い」とまで言う。
 
料理好きのわたしの母に彼のことを話したら、母は言った。
「母親がいけないのよ。男の子だからって過保護に育てて」。
母は自分の友人と、彼女が溺愛している息子のことを思い浮かべたらしかった。
これが女の子の話だったら、母は同じようには言わなかったと思う。
もう少し詳しく事情を話すと愕然として絶句した。
母には母親が料理を作らない家庭というのが想像できないらしかった。
 
漢民族は男が料理を作って女性にふるまいますよ」
漢民族の男性から聞いたことがある。そういう文化で育ったら少なくとも性差で料理に抵抗はないと思う。
エマ・ワトソンが「男性も男性のジェンダーロールから解放されるべきだ」と言ったのはこの辺だよね。
家事や育児、身だしなみに気を遣うことは男らしさと対立しないという文化になれば、男性は生きる術をもっと楽に身に着けられる。
そりゃ「面倒だからやりたくない!」と言う人もいると思うけれど、よっしゃやるかと思っても現状「そっちは女の子用」という状態だ。
 
女性同士には料理を教え合うという文化が定着していて、女の子に「料理を教えてあげようか」という人は割といる。言われた側もおいしそうだと思えば喜んで教えてもらう。楽しい。こういうことが男の子にもあればいいのにと思う。
Cookpadとやる気があれば何でもできる時代のように思えるけれど、料理って一緒に作ると本じゃわからないこといろいろ気が付く。何より楽しい。人と食べる体験が出来るところもいい。もちろん相手によるけれども。
 
けれどもたとえばわたしが二十代男子を家に呼んで、手取り足取り料理を教えるには、まずは夫の予定を確認しないといけない。一人暮らしのときだったらもっといろいろ考えるところだ。ということで、おばちゃんは一度買い物につきあって最低限の調味料と食材の選び方を教えるところで手を引いた。Good Luck.