フェミニストであることとモテは両立する

フェミニズムを信じてきたけどその対応じゃ女にモテなかった、どうしてくれる」
という趣旨のテキストをここ数日あちこちで読んだ。はじめ、何を言っているのかわからなかった。女性の権利を侵害しないと女性に愛されないとな?まとめてみるとだいたいこんな感じ。
 
フェミニズムとは女性を男性と同等に扱うことである」と考える
→対等なので奢らない。対等だからリーダーシップを取らない。対等だから特別扱いしない。
→モテない
 
そりゃモテないよ。人として対等だということと特別に扱うことは両立できる。そして対等とは同質ということではない。子供の人権を守るとは子供に大人並みの知能と体力を要求することではないし、高齢者を尊重することと高齢者を人として対等に接することは両立できる。
 
同性間であっても親友と面識のない人との間には接し方に差が出る。親友には提供したいけどよく知らない人には提供したくないものがあるだろう。特別な関係になりたい女性を特別に扱うことは女性の人権を侵害することではない。仕事だって取引したい相手には特別な配慮を示す。それは相手を侮辱することではない。
 
もちろん関係性によっては拒絶されることもある。それは同性であっても同じことだ。親友の家で語り明かして朝まで飲むのは楽しい思い出かもしれないけど、一方的に好意を抱く相手の家に押しかければ警察を呼ばれることもある。
 
フェミフェミ言う人たちを見ていて思うのは、女性を自分たちと違うものとして考えすぎだということ。そりゃまあ違うところはあるんだけど、少し置き換えたらわかることもたくさんある。
 
仲良くなりたい人がいた場合、相手の出方をうかがうばかりでは仲良くなれない。それは友情でも恋愛でも同じだ。女性ばかりが、恋愛ばかりが難しいということではない。
 
先日映画「Back to the future」を観なおした。「女が男に迫るのははしたないこと」とされていた時代のコメディだけど、ヒロインのロレインは主人公のマーティにめっちゃ迫っていた。実際には女性から迫っているんだけど、形として男性から誘われたというところに落ち着けないと体面が保てない時代は「女の子からはっきり言わせないで。でも誘ってくれたらOKよ」というサインを送る方法が非常に発達していたのではないかと思った。この技術が失われたのは惜しい。*1
 
ロレインはマーティーに迫っている真っ最中に不良のビフに襲われる。上映当時は強引にキスを迫られているくらいに思っていたが、いま観たらどう見てもレイプだ。21世紀的にアウト。しかし1985年当時は「青春映画によくあるちょっと困った風景」くらいの扱いだった。これは正していかないといけないし、実際表向きは正されてきたんじゃないかと思う。*2フェミニズムの、あるいはジェンダー問題の進歩とはこういうことだと思う。
 
DQNがセクハラまがいの迫り方をしたり、強引に壁ドンとかやってせまっているおかげでモテているというのは幻想だ。彼らは人の心の機微を直感的に理解しているから相手選びに成功しているというだけで、誰がやっても相手選びに失敗すれば大いに問題になる。
 
恋愛は結局人間関係なので、そこに硬直したルールを入れるのはあまり現実的ではない。人と知り合おうと思ったら相手に自分を知ってもらって、誠実につきあっていくしかない。フェミニスト、あるいは性差によらず人に誠実であろうと考えている人でパートナーを得ている人はたくさんいる。
 
とはいえ「男性から誘うべきなのに最近の男は不甲斐ない」というのはまったくフェミニズムと関係ないとわたしは思う。それはただ「好みの相手に強引に迫られたい」という男女共に抱く幻想の発露で、それを旧態依然な「女の子から誘うなんてみっともない」で正当化するのはフェミニズムと真っ向から対立することだと思う。
 
「男性をデートに誘ったら『自分から告白する女とか引く』と言われた」とか「『騎乗位の女は受け付けない』と言われた」とか、そういうのだったらわかるけどさ。多いよね、ロマンチックアラフォー女性。男子が不甲斐ないとか言ってないで素敵な誘い方を研究した方が実りが多いと思うよ。男性も女性もね。

*1:小泉今日子の「渚のハイカラ人魚」にも「こっそりビーチで 口説かれちゃったら 大きくNG 小さくOK」という歌詞がある。

*2:言うまでもなくレイプ描写そのものが問題ということではなく、扱われ方として。