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「同性愛は気持ち悪い」という色眼鏡

思うこと web日記

生理的にぞっとするものにも文化の影響は色濃くあらわれている。

 

南国福岡にはでかい蜘蛛が出る。女郎蜘蛛ってやつ。あのくらいになるとびっくりするけれど、わたしは基本的に蜘蛛が好きだ。子供のころ蜘蛛が出ると、母がいつも「蜘蛛はいい虫なのよ。害虫を食べてくれるんだから」といったのを真に受けたのだと思う。

 

消しゴムのかすのように小さな蜘蛛が引っかき傷のようなほっそりした足で一生懸命逃げていくのを見るとかわいらしいなあと思う。物影に隠れていた黒いボタンのような蜘蛛が、とつぜんの光に驚いてぴょんぴょん逃げてくのをみると「あらあら」と気の毒になる。手のひらにのせて逃がしてやることもある。

 

実家の裏には竹やぶがあって、そこから姫鼠という小さな鼠がやってくることがあった。お琴の中やピアノの中に住んで、テレビを見ていると後ろ足で立ってじっと見ているのを祖母と祖父、母が目撃した。うらやましかった。わたしも鼠がテレビを真剣に見る様子を見たかった。

 

でも、Gはダメなんですよ。母がGが大嫌いだったから。単に嫌いなだけでなく、飛んできたGに半狂乱になった母が電撃でもくらったかのようにむちゃくちゃな踊りを踊る姿にすっかり恐れをなしてしまった。そして母はわたしがGが大嫌いなのを面白がって、黒い丸を画用紙に描いて「はてこ、ゴ○ブリ!」と投げてよこして脅かしたりした。いい思い出がない。

 

だけど北海道の人は平気だっていうじゃないですか。本州にくるまで見ないから。「人はなぜ蛇を怖がるのか。それは人が猿だった時代に」っていう話なんかときどき聞くと、いや、自分は蛇気持ち悪くないよ?と思う。蜘蛛も。

 

同性愛を不快に思うのは、高いところに上ると足が震えるとか、多量の出血を見ると血の気が引くとか、生まれついての感覚ではなく、前の時代の文化の影響だと思う。

 

え、蜘蛛や鼠にたとえるのは失礼だって?わたしもGは大嫌いだから例えられたくない。それはごめんなさい。でもわたしは蜘蛛はすきだから、蜘蛛に例えられたらうれしいな。ディズニーはやたらにGをキャラクター化して愛でるのをやめてほしいと思うけれど、それも文化的な偏見かな、と自分については思う。 

 

生理的な恐怖があるとすれば、男性は自分と互角か自分以上に強靭な肉体を持った他者から性的に侵入したいと欲望されることに慣れていないということだと思う。でも女性はそれを早いうちから経験する。だから相手の人格によらず「男の人が怖い」という感覚を大なり小なりもっている。

d.hatena.ne.jp

 

 

 これからレンタル漫画を返しにいかなきゃいけないから今日はここまで。