「妻が勝手に夫のものを捨てる話」と日本むかし話

ネットで愛されるフォークロアに「日本むかし話」のような型と主題をみた話。

 

子供のころ、「日本むかし話」を録音したカセットテープを親がどこからかもらってきて、兄弟姉妹でテープレコーダーを囲んでは繰り返し聞いた。怖い話もいくつかあって、あまり怖いと兄が上からおかしなつっこみをいれて怖さを紛らわせたりしていた。わたしが怖かった話に「大歳の火」という話がある。検索すると出てくるけれど、うろ覚えで書く。

 

大歳の火

むかしむかしあるところに嫁いだばかりの若い嫁を迎えた家族があった。

この家には囲炉裏があり、火の始末は嫁の仕事だった。

 

一日が終わると嫁は火のついた炭に灰をかぶせる。

灰をかぶった炭は火の勢いを弱め、朝まで静かに燃え続ける。

火を消してしまってはいけない。これを火種に翌朝の仕事がはじまる。

 

火種は一年中絶やしてはいけない。

「けっして絶やしたらあかんぇ」と姑はいう。

嫁が来るまで火種を守るのは姑の仕事だった。

 

年の瀬の夜。

嫁は火種が消えてしまわないかと心配で、夜更けに起きて灰を掘る。

案の定、火種はすっかり消えて灰は冷たくなっていた。

 

嫁は狼狽し、心細さと悲しさで途方にくれて家を出る。

どこかで火をたいている家から火種をもらえないかと思ったのだ。

しかし深夜の村はどこも明かりが消え、暗く寒い夜道を歩くのは嫁ひとりだった。

 

嫁があてどなく歩いていると、遠くの川辺で焚き火をしている人々が見えた。

「あそこで火をわけてもらおう」

嫁は見知らぬ人々に頭を下げ、火種をわけてもらえないかとたずねる。

「火種か」「絶やしてしもたてか」「火種ほしいてか」

「火種を絶やしたら、もう家にいられない」

「わけてやらないこともない。そのかわり、われらの願い、聞いてくれるか」

「火種さえもらえたら、どんなことでも聞きます」

 

男たちの条件はこうだった。

「実は、われらの仲間の一人が死んだ」

「三日の間、あずかってくれんか」

 

嫁は火種とひきかえに男の遺骸を背負い、深夜の村をたった一人で家に帰る。

どこに隠すか悩んだ末、牛小屋の屋根に遺骸を隠し、囲炉裏に火種を戻して休んだ。

 

翌朝のこと。

新しい年を迎え、一家で囲炉裏を囲んで雑煮を食べていると、夫がしきりに牛小屋を見る。

嫁は不安に思いながら黙っていると、姑が息子にたずねた。

「どうしたんや」

「牛小屋の上になにかあるで、ちょっくら見てくる」

 

もうだめだ。嫁は覚悟を決めて夫の帰りを待つ。

「たいへんだ!牛小屋の上にこんなものが」

「それは、私が夕べ・・・」

「おまえが、これを?」

夫が牛小屋の屋根から下ろしてきたのは大きな金の塊だった。

 

嫁は驚き、姑に起きたことをすべて正直に話した。すると姑はにこにこしながらこういった。

「あんたが会ったのは七福神さまだ。あんたは宝嫁じゃ」

それからこの家は暮らし向きがぐっと楽になり、一家はいつまでもしあわせに暮らしたとさ。

 

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音だけ聞いてたけど、こんな絵だったんだな。人っていうか鬼じゃん。

 

福をはこんだ「嫁のまごころ」

この話は我が家の日本むかし話こわい話ランキングで微妙な位置にあった。いちおうハッピーエンドで終わるし、幽霊も化け物も出てこない。しかし嫁が火種を絶やして途方にくれるときの「どうすべ・・・どうすべ・・・」という声が、すごく怖い。ばれたらたいへんなことが起きた感がすごい。

 

「わしらのなかで夕べ仲間の一人が死んだ」からのくだりは、わけがわからない。火がぼんぼん燃えているのだから火葬するなり、土葬するなりすればいい。三日の間なきがらをあずかってくれというのがわけがわからない。

 

その条件をのんで火種をもらい、深夜の真っ黒な山陰の間を、小さな背中に男の重い遺骸を背負って歩く若い嫁の姿も、鬼気迫るものがある。音だけで聞いているからよけいに想像してしまう。

 

最後に姑がうれしそうに「あんたは宝嫁や」と語るくだりも、ぽかーんという感じだ。そこまで思いつめた嫁のことをどう思っているのか。あずかったものなんだから三日後に返さなくていいのか。大丈夫なのか。

 

しかし大人になったいま、あの話が伝えようとしていた教訓がわかって、あらためて怖いと思った。あの話は「嫁は婚家の決まりごとを、深夜に見知らぬ相手から遺体をあずかってでも守れ」という話なのだ。「嫁のまごころが福を呼んだ」という落ちだったが、「まごころ」とは、婚家の決めたことをここまでして守らなければどうなるかわからないと思った嫁の恐怖心だ。

 

わたしたち兄弟姉妹が幼い頃になんとなくぞっとしたもの、異常だと感じたものはここにあるのではないかと思う。火種が絶えたら家族で話し合えばいい、旦那さんやお姑さんに相談したらいい、どうしてそうしないの?話したら、どんな怖いことがあるの?そこがこの話の怖いところだ。ここが見えないからハッピーエンドでほっとできない。

 

物語の教訓と時代背景

我が家の怖い話ランキング堂々の一位は「津波の話」で、ついで「舟幽霊」ではなかったかと思う。しかし「布団の話」もかなり怖い話だった。これは何が怖いかというと児童虐待の話なのである。

 

「布団の話」は質屋で買って来た布団がひとばんじゅう喋るというもので、なぜ喋るかというとこの布団は親をなくした幼い兄弟がすべてを取り上げられて最後に持っていたものだからなのだ。「にいさん、さむかろ」「おまえ、さむかろ」と呼び合う兄弟の幼い声。こんなに幼い兄弟から質草として何もかも取り上げ、命まで奪った社会の恐ろしさがこの話の肝である。

 

これは幽霊や化け物の怖さとは違う。わたしたちはこの話を聞きながら、兄を自分の兄に、弟を自分の弟に投影せずにいられなかった。もしも親がいなくなり、路頭に迷って布団だけになったらどうしよう。そのときにはわたしたちもただ凍えながら身を寄せ合うしかないのか。

 

語り継がれる物語には共感を呼ぶ主題があり、その主題が普遍的なものかどうかは時の経過によって試される。「布団の話」の主題は現代にも通じる。しかし婚家絶対の時代が去ったいま「大歳の火」はやりすぎだ。

 

「夫の物を捨てる妻」の話

さて、この手の御伽話がいつまで語り継がれるのか興味がある。捨てられるものは当初もっぱら「男の趣味」に関係するものだったが、最近は仕事で必要なもの、文化資産を捨てたという話まで出ている。*1

 

「大歳の火」に「なぜほかの家族と助け合って解決しないの?」と不思議がる子供が出てくるように、「家事担当者は家族の要望にしたがうべきだ」という前提に素朴なつっこみが入る日も来ることだろう。

 

 たぶん「勝手に捨てられた」系の本質的な怖さは、コミュニケーション不全と互いの境界の曖昧さにあるんだよね。「家族の持ち物の重要度はいわれなくても察する」「家族の持ち物は家事担当者が管理する」というおかしさ。

 

散らかっていると頭にくる、センスの悪い部屋は見ていていらいらするというのは生理的なものだから、家族が混沌に腹を立てるのは時を越え、文化を超えて世界共通だと思う。「家族の持ち物と管理の仕方に頭にくる」という話自体は「布団の話」同様、今後も語り継がれていくことだろう。

 

でも、家族のなかで自他の境界をどこまではっきりさせるか、どこまで介入するかの線引きには文化と時代で、また家庭によってかなり差がある。自分の境界内のものは家族を不快にさせないように管理するのが当たり前だけど、この辺もどこまで管理するかは家庭内ヒエラルキーに影響される。その辺がどこまでうまくいっていたのか、捨てられる前の状況に興味があるよ。

 

個人的には「鑑識眼を持たない妻に物を捨てられた話」は「日本まーん話」として分類したいな。

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:「勝手に捨てて大事件」の亜種には「親戚が留守中に押しかけてくる or 訪ねてきた親戚に親兄弟が手土産として / 価値ある自分のコレクションを子供のおもちゃだと思って / 持ち出して壊す・紛失する・二束三文で売り飛ばす」というものもある。