あらためて、左利きが右手障害じゃないなら自閉症は?

「障害者」の障害は自身の体じゃなく社会にあることもあるという話。

九州男児の母が嫁について嘆くのを聞いていたときのこと。

 

嫁から常識で考えてありえないことをされたと彼女はたいへんなショックを受けていた。仮にTさんとする。Tさんは、嫁が姑にそこまでするとは、嫁は非常識なのか、異常者なのか、相当な悪意と敵対心があるのだろうと思っていた。「なぜこんなことになってしまったのだろう、どうしたらいいのかわからない」とTさんは言った。

 

しかし詳しい話を聞いてみると問題の件は

九州男児ワールドの常識 ≠ 関東首都圏の常識

あるいは姑世代の常識 ≠ 嫁世代の常識

という話だった。わたしは嫁さんは悪意ある異常者ではなく、互いの常識と感受性の違いなのではないかと思った。

 

感じ方、発想の違いという話をしていて、自閉症の話が出た。するとTさんは

「そう、あの人、自閉症なのかも!」

と少し皮肉な笑顔でいった。

「そうですか? ちなみにわたしは自閉症なんですが」

とわたしはいった。Tさんははっとした顔をして慌てていいなおした。

「あら、そうだったんですか、嫁は自閉症じゃなくてあれ、ほら、なんとか障害?じゃないかって」

発達障害?」

「そうそう!話が通じなくて」

自閉症発達障害のひとつですよ。それで、わたしは自閉症なんですけれども、家では・・・」

「そんなことないわ!ちゃんとお話が通じるじゃありませんか」

「そうですか。それはよかった」

「そんなことをいったら、私だって自閉症よ。ううん、私の方が・・・」

Tさんはいたく同情的に自分を戒めるようにいった。

 

うううん。「異人は生き血を吸う」くらいの情報しかないんだな。わたしもかつて自閉症については大いに勘違いしていたので、仕方がないことなのかもしれない。わたしはこういうとき左利きと右利きの話をすることにしている。

 

自閉症は障害でも病気でもなく少数派

「ちょっと待ってください。会話が通じるかどうかの問題ではなくて、脳のタイプの問題です。会話が得意な自閉症者もいれば、会話が苦手で話が通じない非自閉症者もいます」

「え、そうなの?」

「左利きの人は生まれつき左利きですよね?でも右手が使えて、なんなら右利きより器用な左利きの人もいます。でもそれは『左利きじゃなくなった』『左利きが治った』わけじゃないですよね」

「ええ、そうね」

「右利きだけれど左利きの人以上に右手が使えない人もいます。でも右手が使えなかったら左利きということにはならない。自閉症もこれと似ています。脳のタイプが違っているので、頭の使い方や体の使い方が非自閉症者と違う。だから非自閉症者と発想も違うし、そこで思い違いが起きることがあるんです」

 

自閉症はそれ自体は病気でも障害でもない。しかし多数派の間で暮らす少数派が不自由するという意味では障害がある。右利き向きにデザインされた社会では左利きは右利きにあわせて暮らさなければならない。カウンターに座って食事をするなら使いづらい右手で箸を持つか、左手で箸を持っても隣と肘がぶつからない左端の席を取るかしなければならない。

 

多数派は利き手で箸を持つことが正しいと思っているので、相手が自分に合わせて利き手ではない手を使っていることに特に感謝しない。肘がぶつかれば相手が悪いと考える。しかし右利きが少数派の国へいけば状況はかわる。

 

多数派と少数派が会話をするときは、いわばこの箸を持つ手が見えない状態だ。少数派は多数派に合わせて話すか、多数派と肘がぶつかる状態で話すかになる。けれども少数派の感じ方や発想はそれ自体が間違っている、邪悪で反社会的というわけではない。

 

「お話をうかがっている限り、わたしにはお嫁さんが自閉症だとは思えません。でも自閉症でなくても話の通じない人、発想が違う人はいるし、自閉症であっても考え方や価値観が似ていて話の合う人もいます」

 

むしろ感じ方や考え方の違いは性格と文化によるものではないか、とわたしはいった。Tさんは思い当たるところがあったようで、納得されていた。

 

少数派が障害にならない社会

「わたしは自閉症当事者です」と伝えるといろいろな反応がある。そもそも「発達障害」という言葉が曲者だ。「定型発達」に対して「定型にならなかった」という意味だと思うけれど、定型発達があるべき姿だといえる根拠はない。あすなろはヒノキではないし、ヒノキになる必要はない。

 

とはいえ、「障害」というからには視力や聴力、あるいは手足が欠損しているのようなものだと思う人は、伝えた瞬間同情的な表情をされる。それまでふつうにつきあってきた人から「でもあなたはそれを乗り越えてきたんじゃない。もう大丈夫よ」と感動的なまとめに入られたこともあった。

 

精神異常だと思う人は身を固くしたり、「あなたは異常者なんかじゃない」と励ましてくれたりする。「人とコミュニケーションがとれない、相手の気持ちがわからない」という意味でいっていると考える人は「ちゃんと話ができているから大丈夫」とやはり励ましてくれる。さすがに「自閉」を「人嫌い、ひきこもり」と字面で勘違いしている人は減ってきたが、自閉症それ自体は人嫌いや内向的な性格をさすわけではない。これらはみな勘違いだ。

 

かつてLGBTは気質的な、あるいは精神的な病気だと思われていた。いまもそう思っている人はいる。これらに医学的、科学的な根拠はないとわたしは思う。それは「治す」必要のないことだ。けれども少数派であるLGBTが、異性愛が多数派という社会で暮らすことには、いろいろ不自由な点が多い。そういう点でLGBTはハンディキャップのある人、「障害者」といえるかもしれない。

 

前にも書いたけれど、かつて日本には左利きを矯正するために血のにじむような努力を強いられた時代があった。いまは違う。少数派を減らすことではなく、多様性のある人々が生きやすい社会になることが理想だと思う。

 

「人は右手を使うもの」からはじまって、「左手を使うのは病気」「病気じゃないなら目立ちたいからわざと左手を使っている」「同情されたいから病気だと思われたくて左手を使っている」「あんなに右手が不器用なのは、本当は左利きなのを隠しているからじゃないか」みたいに、うがった見方をするのっていろいろな意味でリソースの無駄だと思うよ。

 

d.hatena.ne.jp