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ベルサイユの九州男児

思うこと

修羅の国作法に反響があったので、今日はわたしが修羅の国をベルサイユとして理解していることをお伝えしたいと思う。 

九州男児のネゴシエーションがめんどくさいと書いたら「あーやだ、そんな男ペッペ!」という反応が各方面から来た。九州男児、男尊女卑で有名な九州。しかし九州の女性がみなそんな男性に辟易としているかといえば一概にそうともいえない。九州男児の存続は男女の協力によって成り立っている。

 

九州男児失格な人々

ここ九州に生まれ育ってた男性のなかにも、女性と男性が対等なのは当然だと思っている男性はいる。そういう男性は家事労働も外仕事も育児も介護もできるものがやって、互いに助け合うのが家族だと思っている。「女の仕事」を自分がやっても、「男の仕事」を妻のほうが得意であっても別段気にしない。

 

しかしこうしたリベラル男性は十分な稼ぎと体力、知力があっても「頼りない」「情けない」「気が弱い」という評価をえがちなのが九州。周囲の信頼があつい人なら「やさしい」といってもらえることもあるが、「頼もしい」「男らしい」とはけして言われない。

 

「あんなにいい息子だったのに嫁の言いなりになって」とこぼすお母様方の話をうかがうことがよくある。息子は嫁の口車に乗って実家の財産を横取りするとか、反社会的組織に加わるわけではない。嫁に尽くして家事育児、また妻の仕事に協力し、妻と実家で言い分が合わないときに妻の言い分を支持しているのだという。*1

 

これがお母様方の心をどれほど傷つけているのか、首都圏にお住まいの方にはぴんと来ないんじゃないかと思う。*2わたしも以前はまとめサイトで出てくる農家ネタは作り話だと思っていた。舞台が九州だと書いてあっても「嘘つけ、うちの実家はこうじゃない」と思っていた。でも来てみてわかった。ネタじゃなかった。

 

「息子が連れてきた女性がおかしな人で、娘と二人で心配している」

「どんな方ですか?」

「私たちの前で息子に甘えるの」

「どんな風に?」

「魚の小骨を、息子にとってもらっていたのよ」

とても深刻で恐ろしげな調子だった。器用でやさしい息子さんにお育ちになられてけっこうなことではございませんか、と思ったけれど、そんな風に返せる雰囲気ではなかった。

 

わたしは当初息子が嫁候補にとられてしまって嫉妬と寂しさから息子の恋人のやることなすこと気に入らないのかと思っていた。でも最近少しわかってきたのは、息子が女性からどう扱われるかは、息子の尊厳、ひいては親と家の尊厳にかかわることらしい、ということだ。

 

立派な男はよい妻を得る。夫を尊敬していればよい妻は夫に仕える。よい妻は家のこと、家事育児いっさいを取り仕切り、夫は外で仕事をする。よい妻は家で夫をくつろがせる。

 

夫が家で家事をするのは妻がよい妻ではないか、夫が尊敬されていないかのどちらか。立派な男は良妻をえるから、悪妻をえる男はたいしたやつじゃない。良妻が家事を怠るのは夫が尊敬されていないからで、妻に尊敬されない男はたいしたやつじゃない。

 

つまり妻の態度は男の社会的評価のバロメーターなのだ。そして息子の社会的評価は親の社会的評価のバロメーターでもある。地域での評価を安泰なものにするために、妻にはどうしても息子と婚家につくしてもらいたいと切実に思っている男女は少なくない。

 

この点、九州はベルサイユに似ている。

 

マリー・アントワネット九州男児

池田理代子の漫画「ベルサイユのばら」に、皇太子妃であったマリー・アントワネットが王の愛妾と宮廷内の立場をめぐって争うくだりがある。

 当時宮廷では身分の高いものから低いものに声をかけるきまりがあった。愛妾デュ・バリー婦人は15歳のマリー・アントワネットから挨拶を受けることを望むが、王の寵愛をほしいままにして権力を濫用する愛妾の存在を快く思わないものたちはマリー・アントワネットが無視を決め込むことを望む。

 

潔癖な少女であったマリー・アントワネットは「娼婦と口を利くなどもってのほか」とあからさまな無視を決め込むが、政治的なかけひきに敗れ、心ならずもデュ・バリーに声をかける。

「きょうは・・・べ・・・ルサイユはたいへんな人ですこと!」

これだけ。なんかもっと気の利いた意地悪でもいってやれよ、と思う。

 

しかしこのあとマリー・アントワネットは「うわあああああん!」と泣き叫びながら、苦悩のうちに走り去る。「きょうはベルサイユはたいへんな人ですこと!きょうはベルサイユはたいへんな人ですこと!負けた!皇太子妃が敗れた!」気にしすぎだよ、と思う。

 

しかしかのオスカルはマリー・アントワネットのこの姿にいたく心を打たれる。

「なんと誇り高く気高い心をもった女性だろう・・・!」

えー。

 

わたしは「平民ペッペ!まして娼婦!ペッペッペ!」と思うことを尊いと思わないので、「挨拶くらいしてやればいいじゃんな」と思う。しかし「高貴なもの」が「下々」に膝を折ることは敗北を意味し、周囲は負け犬を蔑みの目で見るという構造を理解すると、なるほど、マリー・アントワネットが泣いてしまうのもわかる。

 

九州男児はいわばマリー・アントワネットなのだ。民衆の尊敬を勝ち得る王妃たれと訓戒され続けたマリー・アントワネットはまだ15歳。その若さで王の愛妾におさまる怪物のような女性相手のパワーゲームを周囲に焚き付けられ、人前で敗れたら泣かずにはいられない。

 

右も左もわからないうちから「男の子だ」ともてはやされ、期待されてきた典型的な九州男児は非常に繊細でデリケートだ。女性から軽く扱われたと感じるとマリー・アントワネットのように傷ついてしまう。しかるべき敬意を勝ち得ていればこのような扱いを受けることはないはずだと考えてしまうからだ。

 

でも泣いたらいけない。男の子なんだから。だから怒りの沈黙に閉じこもったり、切れて暴れたりするしかない。酔っ払って心の痛みを忘れるしかない。マリー・アントワネットもオスカルがいなくて酒が飲めたら酒に溺れて暴れただろう。 

 

革命児型九州男児

 さて、ベルサイユ九州にはこのようなマリー・アントワネット型とは違うタイプの反骨精神に満ちた勇ましい男性もいる。

 

「そんなことをされたらおまえの面子も家の評判も丸潰れだ」と親に泣かれ、親類縁者や同級生からあきれられたり冷笑されたりしたとしても、「でっていう」とどこ吹く風で従来の「男の仕事」の壁を越えて妻と家を築くタイプの無法者である。

 

「女の仕事」に手を出す男、「男の仕事」を妻にゆるす男は情けなく、頼りないと思われている。しかしキャンプ地でなくても家事ができる男はかっこいい。「実際には「心配するな、俺に任せろ」と妻を眠らせ、深夜の授乳を引き受ける男性は頼もしい。

 

長期の育児休暇をとって、出産後の妻に代わって家事育児を引き受けた男性を知っている。彼の家事能力の伸び、子育てに対する気づき、妻への配慮はすばらしかった。頭がよくて頼りになるたくましい旦那さんね、すてき、と思う。

 

なによりそれらの評価が低い土地柄、土地に根ざした古い人間の見本市みたいな役所勤めの身で、民間企業に勤める妻の職場復帰を優先し、自身は職場への啓蒙の一貫として育児休暇の経過報告をfacebookで発信し続けるこの勇敢さ。

 

こういう勇敢な男性は福岡市内でもよく見かける。天神周辺でおしゃれな男性がさまざまな今風抱っこ紐で赤ちゃんを抱え、きりっとしたしかめっ面で一人歩いている。考えてみると気の弱そうな男性がそういうことをしているのを見ない。逆風に立ち向かう気概のある人にしかできないことなのかもしれない。

 

形のいいスーツをビシッと着こなしてママチャリに乗り、後ろの籠にヘルメットをかぶった幼い娘を乗せた男性を平日の午後、赤坂けやき通りで見た。病院帰りなのか、お迎えの帰りなのかわからないけれど、娘はお父さんを頼もしく思っていることだろうと思う。ご実家のみなさまが同じように息子さんを誇りに思っておられたらいいなと思う。

 

出戻り九州女子はロザリー

わたしは十代から東京、神奈川で人生を送ったのでベルサイユ九州の作法がよくわからない。貴族の子でありながら貧しい平民として宮廷作法を知らずに育ったロザリーのようなものだと思う。

*3

 「郷に入れば郷に従え」というが、ベルサイユではベルサイユの作法に従っておいたほうがいろいろ動きやすい。親の敵を討とうとしたロザリーに宮廷のマナーを教え込んだオスカルにはそれがわかっていた。

 

わたしもロザリーのように賢くなりたい。そしてかわいそうなマリー・アントワネットを極力刺激しないように配慮しつつ、レジスタンス勢力にはしっかり協力し、じわじわと目的を達成していきたい。ただ家庭内ではこういう芝居はやりたくないから、もちおがどっちの勢力に加担するつもりなのか、しっかり確認しておきたいのよね。

 

宮廷で暮らす時間が長いもちおが周囲の圧力をいっしんに受けながら、平民の感覚を保つのは難しいと思うけれど。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:あんなに立派だった祖父を父が毛嫌いして見下していたのはいまにして思えばこのせいだったのだろう。

*2:こういう話が出るとき「息子の嫁」は関東が多い。広島、関西というのもあった。

*3:右のリボン娘がロザリー。