ヘレン・ケラーとグラハム・ベル そしてマーク・トウェインの友情

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障害を持つ人に普通に接する、敬意を払うとはどういうことかを、わたしはヘレン=ケラー自伝―三重苦の奇跡の人に綴られたグラハム・ベル、そしてマークト・ウェインの態度から学んだ。

 

全盲、聾唖であった三重苦の人ヘレン・ケラーは伝記のなかで生涯の友として二人の人物の名前を挙げている。一人は電話の発明者であるベル博士ことアレキサンダーグラハム・ベル、もう一人は「ハックルベリーフィンの冒険」などでおなじみの作家マーク・トウェインだ。

 

ベル博士とヘレン

アレキサンダー・グラハムベルとヘレン・ケラーの友情はヘレンが6歳のときにはじまった。それは深くあたたかいものだった。ベルはヘレンを一人の女性として敬意をもって接し、同時にヘレンの苦悩に誠実な同情を寄せた。

 

ベルの母は聾者で、ベルの父は読唇術を完成させた。ベル自身も聾者の妻と四人の子供をもうけ、生涯をともにしている。祖父は吃音治療を研究し、ベルは聴覚障害者が話す技法を発明した。ことばを理解し、伝えることに生涯を費やした一族といえるかもしれない。

 

ベルは父親と仲がよく、二人は一種独特の話題を共有していた。

・・・おふたりはよく、なにもお話しにならずに、ただしずかにたばこをくゆらしながら、川を上下する船やボートをながめていらっしゃることがありました。
 そんなとき、どこかでききなれない小鳥が鳴くと、
 「おとうさん、いまの声は、どんな記号であらわしますか。」
 と、博士がおたずねになり、いっしょうけんめい、その声を口にして、くちびるの形を研究し、ああでもない、こうでもないと、いつまでもおふたりで、発生学の研究にむちゅうになられるということでした。

 

ある日博士はヘレンに電信柱に手のひらを押し付けてみるようにすすめる。ヘレンは電信柱の低い振動をはじめて感じ、衝撃をうける。

「いつも、こんなふうに、ブーンブーン、うなっているのですか」
「そうなんだよ。ま夜中でもね。・・・これはね、人生のものがたりをうたっている声なんだよ。人生というものは休むことがないからね。」
「このはしらの上にある電線は、人が生まれたり、死んだり、戦争がおこったり、会社がつぶれたり、もうけたり、しっぱいしたり、成功したりということを、たえず電信局から電信局に、そして世界中につたえているんだよ。はしらに手をおいていると、わたしには、わらい声や、なき声や、けんかしたり、なかなおりしている人間のようすが、手にとるようにきこえてくるんだよ」

ベル博士はヘレンに雨の日の樹の幹から伝わる振動を味わう楽しみも教えている。二人の間には器質的な隔たりがあったが、ベル博士は知的な会話により、またヘレンだからこそ共有できる鋭敏な感覚によって、友情を深めた。

 

ベル博士がヘレンの自立によせたメッセージ

当初ヘレンは大学を卒業したら教師サリバンとともに人里離れたところで書き物をして暮らそうと考えていた。しかしベル博士はヘレンをこのように激励した。

「あなたの仕事をきめるのは、あなたではないんだよ。わたしたちは、ただ宇宙を支配している大きな力の道具にすぎないのだ。いいかい、ヘレン。じぶんを一つの型にはめてしまってはいけないんだよ。・・・できるだけ多くのことをしてごらん。あなたが一つでも多くの仕事をすれば、それだけ、世の中にいる目の見えない人や、耳のきこえない人をたすけることになるのだよ。」

「こんなにきびしくわたしをはげましてくださったかたは、ベル博士のほかにはありませんでした」とヘレンは書いている。しかし深い友情と信頼に裏打ちされた激励とは別に、ヘレンの人生を操作しようとする善意の人々も大勢いた。

 

「神様がおあたえになった天職」

ヘレンが在学中に書いたさまざまな手記を通して「三重苦の乙女」に多くの注目が集まった。そのような人々の中には全盲聾唖の「障害者」が生きていくにはこれぞ最善と思うプランを持ってヘレンの元に押しかけてくる者もいた。

 

教師であったサリバンがかつて弱視というハンディを克服するため在校したパーキンズ学院の院長アナグノスもその一人だった。アナグノスはヘレンを学院にひきとり、学院の中で暮らすことを申し出たが、サリバンはヘレンが健常者の間で暮らす道を模索することをすすめた。

これがもとでサリバンとアナグノスの間には亀裂が入り、ヘレンとサリバンは学院を去った。アナグノスは「サリバンは恩知らずだ」と激怒した。しかし後にヘレンが語るようにこのサリバンの選択こそがヘレンを世界的な活躍へと導いたのだった。

 

またヘレンが大学で学問を学ぶのは無駄なことだという友人もいた。「それよりも視覚、聴覚障害の子供たちのために働くことこそ人類全体の益になる」と彼女はいった。

「それこそ、神さまがおあたえになった天職です。あなたはそれにしたがう義務があると思います。」
そのためにお金のことは、なんとでもするから、わたしにまかせてほしいともいいました。

これに対してサリバンはせめてへレンが大学を卒業するまで待ってほしいと懇願するが、相手はいっこうに聞き入れず、それどころか夜を徹して何時間もの議論をぶつ。ヘレンとサリバンはついに反論することに疲れて黙り込んだが、それを見た友人はこれを同意と受け取った。

・・・その人はあくる朝、わたしたちがまだねているうちに家をでて、ニューヨークとワシントンに出発していました。そして、いろんなかたがたに、ヘレン・ケラーはこういう事業をはじめようとしていると、ふれてまわったのでした。

これはヘレンを支援してきた人々の間に一大論争を巻き起こした。ヘレンの学費を支援していたロジャース氏をはじめ、グラハム・ベル夫妻も事態に困惑した。そしてこのロジャース氏の代理としてクレメンス氏ことマークト・ウェインが討論の場に姿を現す。

 

クレメンスとヘレン

話は前後するが、ヘレンとクレメンスの出会いはヘレンが14歳のころまでさかのぼる。ヘレンはあるパーティーで著名人たちに紹介されたのだが、そのなかの一人がクレメンスだった。

・・・ベル博士とサリバン先生のほかには、これほどわたしを愛し、はげましてくださったかたはありません。
 わたしは、手をにぎりあったそのときから、もうこのかたは、わたしの友だちになってくださるかただな、ということがわかりました。

クレメンスは面白おかしく話すのが上手で、初対面からヘレンを大いに笑わせた。しかしこの機転はときにヘレンに無神経な言葉をかけるものを痛烈な皮肉でやっつけるために使われることもあった。

クレメンスさんは、じぶんをいつも皮肉屋だといっておられました。でも、いわゆる皮肉やさんのように、卑劣な、見て見ぬふりをするようなことは、けっしてありませんでした。

二人の友情を示すエピソードは数多くあるが、彼の誠実さはつぎの一文に集約されていると思う。

クレメンスさんは、目の見えない、耳のきこえないわたしがそこにいるということなど、まったく気がつかないというようにふるまいながら、それでいて、ひじょうにこまかく、わたしのことを考えてくださるのでした。わたしには、それがよくわかりました。

 

クレメンスの主張

さて、このような関係を築いてきた皮肉屋で頭の切れるクレメンスがヘレンの後見人として討論に立った。彼は「障害者に学問は無駄である、福祉事業に打ち込むことこそ神の御心だ」という主張に対してこのように返答した。少し長いけれどそのまま引用したいと思う。

「わたしは、こんどの計画をおたてになったご婦人とちがって、神さまのお考えがどこにあるかということはぞんじません。しかし、わたしはロジャース氏のお考えがどこにあるかということは、氏の代理として、はっきりぞんじております。


 ロジャース氏は、ご婦人のすいせんになる神さまのご事業とやらには、一文のお金もだせないとおっしゃっていました。そのご婦人は、なかなか神さまのみ心をよくごぞんじでおられるらしく、さきほども、不幸な児童のために学校をたてるということは、とりもなおさず、神さまのご意思にそうものだと、きっぱりおっしゃいましたが、わたしにいわせれば、神さまのご命令書もおもちにならないで、よくもそれが神さまのご意思だなどと、おわかりになったものだといいたいくらいです。たぶん、神さまから、代理人としての委任状でもうけておられるのでしょう。


 そうでなければ、とくにこの仕事だけが神さまのご意思で、ほかの仕事はご意思にそうものではないなどと、おっしゃれないはずです。」

クレメンスのこの言葉が決定打となってこの件は決着がついた。ヘレンはこの後も善意のレール*2にヘレンを乗せようとする多くの人々と出会う。彼らはヘレンを聡明でユニークな人格をもった一人の女性としてではなく、「三重苦の障害者」としてみていた。

 こういう友人たちはきまって、わたしがいかに無力であるかをしめしてから、もしじぶんの計画にしたがえば、名誉やとみがえられるばかりでなく、同時にそれが人類のためになることだ・・・ととくのでした。

 

対等な関係で支援すること 

 支援するとは相手にかわって何が最善かを決定することではない。責任能力のある成人が仕事を選ぶとき、世間を知らない子供を相手にするように手取り足取り差し出がましく口を出すのは対等な関係とはいえない。

しかしなぜか器質的なハンディを持っている人を支援したいと思うとき、そのような口出しを支援と勘違いすることがある。自立した人間ではなく「保護してやらなければならない弱者」だと思ってしまうのだ。そこに悪意はないとしても、善意に潜む思い上がりには注意しなければならないと思う。

 

グラハム・ベルとクレメンス氏ことマーク・トウェインヘレン・ケラーに器質的な疾患を乗り越えろとはいわなかった。彼らはすすんでヘレンと会話する術を学び、ヘレンが支障なく暮らせるよう細やかな配慮をした。しかし神に変わって彼女にとっての最善を決定し、ヘレンの尊厳を奪うようなことはしなかった。

「ハンディのある人とふつうに接する」という言葉を目にするとき、この二人のことを思う。彼らはヘレンを自分たちと同様、サポートを必要とするひとりの人間としてみていた。見習いたいと思う。  

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:ハロウィーンの夜にガチの吸血鬼少年と出会った少女。

*2:そのなかにはヘレンを看板にひともうけしようという者もいたことだろう。